中唐詩-259 寄盧仝#4 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-22


811年 元和六年春 韓愈44歳の作 作詩順からすると韓愈詩の35番目くらいに掲載予定であったが、孟郊と盧仝詩を掲載したので順を繰り上げて掲載。
孟郊 『答盧仝』(盧仝に答える#1~#3)中唐詩 Ⅶ孟郊(孟東野) 答盧仝#1 <24> kanbun-iinkai紀頌之の漢詩ブログ248
盧仝 新茶について述べながら、生き方、生活ぶりについて触れている。『走筆謝孟諫議寄新茶』(筆を走らせて孟諫議の新茶を寄せるを謝す)(#1~#3)
中唐詩人ID-44 盧仝 走筆謝孟諫議寄新茶#1 kanbun-iinkai紀頌之の李商隠と中唐の漢詩ブログ251



寄盧仝
#1 
玉川先生洛城裏,破屋數間而已矣。一奴長鬚不裹頭,一婢赤腳老無齒。
辛勤奉養十余人,上有慈親下妻子。先生結發憎俗徒,閉門不出動一紀。
至令鄰僧乞米送,仆忝縣尹能不恥?俸錢供給公私余,時致薄少助祭祀。』
#2
勸參留守謁大尹,言語纔及輒掩耳。水北山人得名聲,去年去作幕下士。
水南山人又繼往,鞍馬仆從塞閭裏。少室山人索價高,兩以諫官征不起。
彼皆刺口論世事,有力未免遭驅使。先生事業不可量,惟用法律自繩己。』
#3
《春秋》三傳束高閣,獨抱遺經究終始。往年弄筆嘲同異,怪辭驚眾謗不已。
近來自說尋坦途,猶上虛空跨綠駬。』
#4
去歲生兒名添丁,意令與國充耘耔。
去年、男の子がうまれた「添丁」と名づけられた、国のため農耕につとめさせる壮丁にされるおおつもりらしい。
國家丁口連四海,豈無農夫親耒耜?
国家の壮丁の人口は世界のはてまでもみちあふれている、どうして耕作に直接たずさわる農夫がいないわけではあるまいとおもいますが。
先生抱才終大用,宰相未許終不仕。
先生はすぐれた才能をかかえておられてりっぱな地位に用いられるべきだのに、宰相が許さないので仕えられないままだ。
假如不在陳力列,立言垂範亦足恃。
かりに陳述の才能を発揮し官僚の列に並ばれることは無くても、老荘孔子のようにいましめとなる立派な考えを書物をお書きになっており、その模範を後世に示されたことは十分将来にとってたのみになります。
苗裔當蒙十世宥,豈謂貽厥無基阯。
子孫は禍があったとしても十世まで刑罰から免除きれるほどのもので、どうして子孫に財産が残されていないなどなんの問題があるというのか。
故知忠孝生天性,潔身亂倫安足擬。』

だから分かるのですが、盧仝先生の忠孝は生まれつきに具わったもの、自分ひとり潔く暮らして主君に仕えることをやめたひとたちとは比べものになりはしない。

#5
昨晚長鬚來下狀,隔墻惡少惡難似。每騎屋山下窺闞,渾舍驚怕走折趾。
憑依婚媾欺官吏,不信令行能禁止。先生受屈未曾語,忽此來告良有以。
嗟我身為赤縣令,操權不用欲何俟?立召賊曹呼伍伯,盡取鼠輩屍諸市。』
#6
先生又遣長鬚來,如此處置非所喜。況又時當長養節,都邑未可猛政理。
先生固是余所畏,度量不敢窺涯涘。放縱是誰之過歟?效尤戮仆愧前史。』


買羊沽酒謝不敏,偶逢明月曜桃李。先生有意許降臨,更遣長須改雙鯉。


#4
去歳【きょさい】児を生んで添丁【てんてい】と名づく、意は国の与に耘抒【うんじ】に充【あ】てしめんとなり。
国家の丁口【ていこう】は四海に連なり、豈 農夫の耒耜【らいし】を親しくする無からんや。
先生 才を抱いて大いに用いられ終わるべし、宰相未だ許さざれば終【つい】に仕えず。
仮如【たとい】力を陳【の】ぶる列に在らずとも、言【げん】を立て範を垂るること亦 恃【たのし】むに足れり。
苗裔【びょうえい】当【まさ】に十世【じつせい】宥【ゆる】さるることを蒙【こう】むるべし。
豈 謂【おも】わんや 貽厥【いけつ】に基阯【きし】無しと。
故に知んぬ 忠孝の天性に生【な】ることを、身を潔【きよ】め倫を乱るものは安【いずく】んぞ擬【ぎ】するに足らん。


現代語訳と訳註
(本文)

去歲生兒名添丁,意令與國充耘耔。
國家丁口連四海,豈無農夫親耒耜?
先生抱才終大用,宰相未許終不仕。
假如不在陳力列,立言垂範亦足恃。
苗裔當蒙十世宥,豈謂貽厥無基阯。
故知忠孝生天性,潔身亂倫安足擬。』

(下し文)
去歳【きょさい】児を生んで添丁【てんてい】と名づく、意は国の与に耘抒【うんじ】に充【あ】てしめんとなり。
国家の丁口【ていこう】は四海に連なり、豈 農夫の耒耜【らいし】を親しくする無からんや。
先生 才を抱いて大いに用いられ終わるべし、宰相未だ許さざれば終【つい】に仕えず。
仮如【たとい】力を陳【の】ぶる列に在らずとも、言【げん】を立て範を垂るること亦 恃【たのし】むに足れり。
苗裔【びょうえい】当【まさ】に十世【じつせい】宥【ゆる】さるることを蒙【こう】むるべし。
豈 謂【おも】わんや 貽厥【いけつ】に基阯【きし】無しと。
故に知んぬ 忠孝の天性に生【な】ることを、身を潔【きよ】め倫を乱るものは安【いずく】んぞ擬【ぎ】するに足らん。

(現代語訳)
去年、男の子がうまれた「添丁」と名づけられた、国のため農耕につとめさせる壮丁にされるおおつもりらしい。
国家の壮丁の人口は世界のはてまでもみちあふれている、どうして耕作に直接たずさわる農夫がいないわけではあるまいとおもいますが。
先生はすぐれた才能をかかえておられてりっぱな地位に用いられるべきだのに、宰相が許さないので仕えられないままだ。
かりに陳述の才能を発揮し官僚の列に並ばれることは無くても、老荘孔子のようにいましめとなる立派な考えを書物をお書きになっており、その模範を後世に示されたことは十分将来にとってたのみになります。
子孫は禍があったとしても十世まで刑罰から免除きれるほどのもので、どうして子孫に財産が残されていないなどなんの問題があるというのか。
だから分かるのですが、盧仝先生の忠孝は生まれつきに具わったもの、自分ひとり潔く暮らして主君に仕えることをやめたひとたちとは比べものになりはしない。


(訳注)
去歲生兒名添丁,意令與國充耘耔。

去年、男の子がうまれた「添丁」と名づけられた、国のため農耕につとめさせる壮丁にされるおおつもりらしい。
去歲 去年。○添丁 丁は、一般の人民。人「氏が一人ふえたという意味で、「丁を添う」添丁と名づけたわけである。唐の律令制度では、21歳になると、一般人民は、口分田として一頃(約十町歩)の田が与えられ、租庸調の納税と府兵制度、兵役の義務が生じ、それを丁という。ただし、韓愈の時代の100年前には崩壊していた。のち盧仝が甘露の変の巻き添えで死刑に処せられ、頭が禿げていたため、頭に釘を打ち込んで殺した。子どもに添丁「丁(釘)を添う」と名づけたのは、その前兆であったという、中国特有の伝説ができる儒者であった。○ その役をさせる。○耘耔【うんし】 耘は、草取り。耔は、苗の根もとをかためること。したがって耘耔とは、農作をすることをいう。『詩経、小雅甫田』「今適南畝、或耘或耔。」(今南畝に適き、或は耘【くさぎ】り或は耔【つちこ】う。)とある。○丁口 人民の数。口は、人口の口。律令制度では、男子を(壮)丁といい、女子を口とし、女子を兵士にはしなかった。(古代は女子も兵士になった)つまり人間の数に入れなかったということだ。


國家丁口連四海,豈無農夫親耒耜?
国家の壮丁の人口は世界のはてまでもみちあふれている、どうして耕作に直接たずさわる農夫がいないわけでらあるまいとおもいますが。
四海 中国の四方のはては天涯、海だと考えられ、そのはてまでの全世界をもいう。○ 自分で直接行う。○耒耜【らいし】 すき。田を耕す道具。・柄の方を耒といい、さきの刃の部分を耜という。ここは、すきを用いて耕すという動詞で、透きをもって耕すこと、耕作ということ。


先生抱才終大用,宰相未許終不仕。
先生はすぐれた才能をかかえておられてりっぱな地位に用いられるべきだのに、宰相が許さないので仕えられないままだ。
終大用 「終大用」の終わりは~を完了する。=成。『國後、周語下』「純明則終〔終成也〕」(純明は則ち終る〔終は成る也〕)次の句の「終不仕」は窮極には、とどのつまり。最後まで、どうしても。『大学』「有斐君子、終不可諠」(斐【はい】たる君子有り、終に諠【わす】るべからず)○宰相 天子を助けて政治の全体を総括する大臣をいう。今の総理大巨に当たる。韓愈の時代は、中書門下同平章事がそれであった。


假如不在陳力列,立言垂範亦足恃。
かりに陳述の才能を発揮し官僚の列に並ばれることは無くても、老荘孔子のようにいましめとなる立派な考えを書物をお書きになっており、その模範を後世に示されたことは十分将来にとってたのみになります。
仮如 かりに……であったとしても。仮定を示す助辞。○陳力列 できるだけの力を出すべき位置。政治にたずさわって発言できる地位をいう。『諭語、季氏篇』「孔子曰、求、周任有言、曰、陳力就列、不能者止。危而不持、顚而不扶、則將焉用彼相矣。」(孔子曰く、求、周任言えること有り、曰く、力を陳[し]いて列[くらい]に就き、能うまじきときに止む。危けれども而も持[たも]たず、顚[たおれ]るとも而も扶[たす]けずんば、則ち將に焉んぞ彼の相[たすけ]を用いん。)力を陳べて列に就き、能わざる者は止む。」-「できるだけ努力して職務を行い、もし応自分の努力が受け入れられなかったら辞蔵する。」ということぱにもとづく。○立言 後世の戒めとなる立派な考えをことばに著わすこと。『左伝、襄公二十四年』に叔孫豹のことばとして、「大上有立徳、其次有立功、其次有立言。雖久不廃。此謂不朽。」(大上は徳を立つること有り、其の次ぎは功を立つること有り、其の次は言を立つること有り。久しといえども廃れず。此れを不朽と謂う。」とあり、そのくわしい説明をした唐の孔穎達(574-648年)の「左伝正義」に、「言を立つとは、言の其の要を得、理の伝うべきに足るを謂う。老(子)荘(子)荀(子)孟(子)管(子)晏(子)楊 (子)墨(子)孫(子)呉(子)の徒、子書を制作し、屈原・宋玉・賈誼・楊雄・司馬遷・班固以後、史伝を撰集し、及び文章を制作し、後世をして学習せしむる、皆是れ言を立つる者なり。」とある。哲学・文学・史学いずれであろうと著述によっていつの世までも不朽に伝わることをいう。○垂範 模範を後世に示す。○足恃 頼りにできる。期待してよい。


苗裔當蒙十世宥,豈謂貽厥無基阯。
子孫は禍があったとしても十世まで刑罰から免除きれるほどのもので、どうして子孫に財産が残されていないなどなんの問題があるというのか。
苗裔 子孫。・苗は稲のなえ、すえ、ちすじ、・裔は着物のすそ。屈原(紀元前339―278年)の『楚辞』に離騒に見えることば。○十世宥 子孫十世まで刑罰を免除される。『左伝、襄公二十一年』叔向が芭宜子に捕えられたとき、祁奚が叔向を赦免するように芭宜子に説いたときのことばに先祖の嬉によって、十世の子孫まで、その恩恵を蒙って刑罰から免れさせ、有能な宥の励みにしたい、ということ。○ 厥、子孫のことをいう。「詩経」大雅文王有声篇に「詒(貽)厥孫謀」とあり、詒(貽)厥といえば、その下のことば、孫謀「子孫のための計画」或は孫をあらわすようになった。このように成語のはじめだけをあげて つづくことばを意味するものを歇後語といい、中国では現代に至るまでよく用いられることばのしゃれである。 なお、この「詒厥」の場合い、「詩経」の本来の意味よりも主として文字づらからいうのであって、後漢の『詩経』の注釈者鄭玄(127―200年)によれば、ここの孫は、順といい泣味、モタ吋り遜に通ずるのだとしている。○基阯 財産の基礎。田や家呈などの不動産をいう。漢代の歴史「漢書」の疏広の伝に、「子孫幾わくは君が 時に及んで、頗ぶる産業の基阯を立てんことを。今日飲食の費え且に尽きんとす。宜しく丈人の所に従って、君 に田宅を買わんことを勧説せよ。」とある。産業の基阯、すなわち財産の基礎が、田宅であることを示している。
 

故知忠孝生天性,潔身亂倫安足擬。』
だから分かるのですが、盧仝先生の忠孝は生まれつきに具わったもの、自分ひとり潔く暮らして主君に仕えることをやめたひとたちとは比べものになりはしない。
天性 生まれつき。○潔身乱倫 自分ひとりだけ行いをきれいにして、大切な人間関係である君主に仕えるとをやめる。「論語」微子篇の中のはなし、子路がある隠者に一夜泊めてもらい、明くる日、孔子に話してもう一 度行ってみると、隠者がいないので、その二人の子どもにいったことばの中に「其の身を潔くして、大倫を乱る。」とある。○安足擬 比べものにならぬ。擬は、なぞらえる、比べる。盧仝の行いは、君にも忠であって、自分ひとりだけ清くして君主を忘れるような隠昔と比べものにならぬほどりっぱだ、というのである。