中唐詩-263 落歯#3 監察御史 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈詩集-27


四門博士も後輩を指導する職で、韓愈の日ごろの理想に合致したものではあったが、こわもてのする監察御史も、韓愈にふさわしい官職であったといえよう。
 これで監察御史として平穏に勤務していれば何でもなかったのだが、どうやら官僚としての出世街道に出たと思った矢先に、わずか2カ月で重大事件が発生した。彼は流罪という処分を受けてしまったのである。


落 歯
去年落一牙、今年落一齒。俄然落六七、落勢殊未已。
餘存皆動搖、盡落應始止。憶初落一時、但念豁可恥。
及至落二三、始憂衰即死。毎一將落時、懍懍恆在己。』

叉牙妨食物、顛倒怯漱水。終焉捨我落、意與崩山比。
今來落既熟、見落空相似。餘存二十餘、次第知落矣。
儻常歳落一、自足支両紀。如其落併空、與漸亦同指。』

人言齒之落、壽命理難恃。
歯がぬけるというのは道理として寿命があてにならないことなのだと人はいう。
我言生有涯、長短倶死爾。
私の考えでは人生には限りがあって、長かろうと短かろうとともに死んでしまうものだ。
人言齒之豁、左右驚諦視。
歯並びにすきまのあいたのは、まわりの者がびっくりしてまじまじ見つめると人はいう。
我言荘周云、木鴈各有喜。
私の考えでは、『荘子』にあるように、『材木として役に立たないから伐られないで天寿を全うした山の木もある。く啼くために料理されずにすんだ雁もあるというわけで、それぞれに幸いがあるものだ。
語訛黙固好、嚼廢軟還美。
ものが言いにくくなれば、黙っていられるから却って都合がよい。噛むことが出来なくなったら、軟らかいものがずっとうまくなる。
因歌遂成詩、持用詫妻子。』
そこで歌って、この一遍の詩を作り上げる、それをひとつ、妻や子供達に見せびらかしてやろう。


(落歯)
昨年、一牙【いちが】を落ち、今年、一歯【いっし】を落つ。
俄然【がぜん】として六七を落ち、落つる勢い殊に未だ己【や】まず。
余の存するものも皆動揺す、尽く落ちて応に始めて止むべし。
憶う 初め一を落ちし時、但だ念う豁【ひろ】きは恥ず可しと。
二三を落つるに至るに及び、始めて憂う衰えて即ち死なんと。
一つ将に落ちんとする時毎に、懍懍【りんりん】たること恒【つね】に己【おのれ】に在り。』

叉牙として物を食うことを妨げ、顛倒【てんとう】して水に注ぐ漱【くちす】ぐことを怯る。
終焉【しゅうえん】として我を捨てて落つ、意は崩るる山に比す。
今来【きんらい】、落つること既に熟し、落つるを見れば空しく相似たり。
余の存せる二十余りも、次第に落ちんことを知る。
儻【も】し常に歳ごとに一を落つれば、自ら両紀【りょうき】を支うるに足れり。
如し其れ落ちて併【あわ】せて空しくとも、漸【ぜん】なると亦指を同じくせん。』

人は言う「歯の落つるは、寿命も理として恃【たのし】み難し」と。
我は言う「生は涯【かぎ】り有り、長短 倶に死する爾【のみ】」と。
人は言う「歯の割【ひろ】きは、左右 驚きて諦視【ていし】す」と。
我は言う「荘周がいえり、『木雁【ぼくがん】 各々喜び有り』と。
語の訛【あやま】るは黙すること固【もと】より好く、嚼【か】むこと廢【はい】すれば軟かなもの還【また】 美なり。」
因って歌って遂に詩を成し、持して用って妻子に誇る。』


現代語訳と訳註
(本文)

人言齒之落、壽命理難恃。
我言生有涯、長短倶死爾。
人言齒之豁、左右驚諦視。
我言荘周云、木鴈各有喜。
語訛黙固好、嚼廢軟還美。
因歌遂成詩、持用詫妻子。』

(下し文)
人は言う「歯の落つるは、寿命も理として恃【たのし】み難し」と。
我は言う「生は涯【かぎ】り有り、長短 倶に死する爾【のみ】」と。
人は言う「歯の割【ひろ】きは、左右 驚きて諦視【ていし】す」と。
我は言う「荘周がいえり、『木雁【ぼくがん】 各々喜び有り』と。
語の訛【あやま】るは黙すること固【もと】より好く、嚼【か】むこと廢【はい】すれば軟かなもの還【また】 美なり。」
因って歌って遂に詩を成し、持して用って妻子に誇る。』


(現代語訳)
歯がぬけるというのは道理として寿命があてにならないことなのだと人はいう。
私の考えでは人生には限りがあって、長かろうと短かろうとともに死んでしまうものだ。
歯並びにすきまのあいたのは、まわりの者がびっくりしてまじまじ見つめると人はいう。
私の考えでは、『荘子』にあるように、『材木として役に立たないから伐られないで天寿を全うした山の木もある。く啼くために料理されずにすんだ雁もあるというわけで、それぞれに幸いがあるものだ。
ものが言いにくくなれば、黙っていられるから却って都合がよい。噛むことが出来なくなったら、軟らかいものがずっとうまくなる。
そこで歌って、この一遍の詩を作り上げる、それをひとつ、妻や子供達に見せびらかしてやろう。


(訳注)
人言齒之落、壽命理難恃。
歯がぬけるというのは道理として寿命があてにならないことなのだと人はいう。


我言生有涯、長短倶死爾。
私の考えでは人生には限りがあって、長かろうと短かろうとともに死んでしまうものだ。


人言齒之豁、左右驚諦視。
歯並びにすきまのあいたのは、まわりの者がびっくりしてまじまじ見つめると人はいう。


我言荘周云、木鴈各有喜。
私の考えでは、『荘子』にあるように、『材木として役に立たないから伐られないで天寿を全うした山の木もある。く啼くために料理されずにすんだ雁もあるというわけで、それぞれに幸いがあるものだ。


語訛黙固好、嚼廢軟還美。
ものが言いにくくなれば、黙っていられるからかえって都合がよい。噛むことが出来なくなったら、軟らかいものがずっとうまくなる。


因歌遂成詩、持用詫妻子。』
そこで歌って、この一遍の詩を作り上げる、それをひとつ、妻や子供達に見せびらかしてやろう。

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最初の流罪
 愈が流罪の処分を受けたのは803年貞元十九年の冬、流された先は陽山(広東省)であった。
形式上は監察御史から陽山の県令に転任させる辞令が出たわけだが、扱いは朝廷の罪人としてであった。

 流罪の原因ははっきりしない。当の愈にも、よくわからなかったらしいのである。わずかに考えられるのは、貞元十九年は長安一帯に日照りが続き、そのうえ秋には早くも霜が降りて、農作物は壊滅的な損害を受けたが、この地方の長官である京兆尹の李実は、平年どおりに租税を徴収しようとした、という事実があったことである。

監察御史であった愈は、これに対して意見書を皇帝に捧げた。その「御史台より上りて天旱人儀を論ずる状」は、今も残っているが、本年度分の租税の徴収を延期せよといった内容である。ことさら李実の政策を批判するようなところはない。だいたい李実は、愈が四門博士を辞任したあとによいポストにつけてもらうよう運動した一人であり、手紙のなかでは「国を憂うる」ことについて李実は現代の第一人者だなどと褒めちぎっている。

それは運勤する以上、やむを得ぬお世辞であったかもしれないが、一度褒めちぎった手前、監察御史になったからといって、いまさら李実を弾劾したり、彼の政策を批判したりするのは、気がとがめたであろう。しかし李実は、自分に反対する者に対して容赦4ない弾圧を加える人物であった。だから、自分の気に入らぬ「状」を書いた愈を、監察御史から追いはらい、都を遠く離れた土地に流罪としてしまったのだろうとする説がある。


 しかし、この説には何の証拠もないうえ、流された本人の愈が李実のしわざとは思っていなかったらしいのである。結果的には李を批判したこととなるわけだが、愈としてはそのつもりはなく、李実の名前も出さなかったのだから、それも当然といえよう。

 しかも、このとき流された張署という人があった。これは都に近い武功の尉から監察御史となっていたが、やはり流罪の処分を受けて臨武に流されることとなった。ほかにも一人が別の土地へ流されており、同時に監察御史が三人も流罪となったのだから、何かの事件があったことは確実である。

 湖南省を南から北へと流れて縦断する湘江という川がある。その川ぞいの街道を行ってかなり源流に近くなったあたりに臨武があり、そこからさらに山越えをすれば、陽山に行き着く。今の行政区画でいえば、臨武は湖南省に、陽山は広東省に属する。二つの町のあいだは、直線距離にすればたいしたことはないが、山があるので、互いに隔絶されている。配所へ行くのに、観光旅行ではないのだから、意と張署とが連れだって旅することが許されるはずもなかったろう。しかし、同じく流された者として、この二人が互いの消息を知っており、また知ろうとつとめたのはしごく当然のことなのであった。