中唐詩-276 題木居士二首其二 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-32


韓愈は王伾、王叔文の急進改革に反対であった。彼は保守派に所属していた。王伾たちからは敵側と見られていたし、宦官の暗躍が問題になり始めていた。
韓愈の書き残したものを読むと、たしかに政治的に革新派であったとは思えないが、かといって徳宗時代の「弊政」の保守派を擁護しょうとする態度は見られないのは、儒者の特徴かもしれない。しかも王伾の一派で相当の重要人物である柳宗元や劉南錫は、韓愈とは前からの友人であった。だから韓愈は王伾の一派に属してもよかったはずであるが、現実にはそうでないはかりか、反感すらもっていたのである。人の行動、考え方を儒者の目で見るところは、ある意味革新性はなく、仁徳を重んじる復古主義へつながるものである。この詩「其一、其二」も儒者の考え方を示すものである。
韓愈の地図03

題木居士二首其二
爲神詎比溝中斷,遇賞還同爨下餘。
朽蠹不勝刀鋸力,匠人雖巧欲何如?


題木居士二首  其の二
神と為ることは詎【なん】ぞ溝中【こうちゅう】の断に比せん、賞に遇うことは還た爨下【さんか】の余【よ】に同じ。
朽蠹【きゅうと】して刀鋸【とうきょ】の力に勝【た】えず、匠人【しょうじん】は巧みなりと雖も何如せんとか欲っする。


徳宗崩御のしらせがいつ陽山にとどいたのかはわからない。都ではその年の二月(一説には三月)、大赦令が発せられて、徳宗の時代に罪を得た者は一律に赦免されることとなった。ただしこれは一般的な処置で、個々の人については、朝廷からあらためて沙汰の下るのを待たなければならない。
大赦令が出たという情報も、当然陽山までとどいたはずであるが、これもいつのことかはわからない。とにかく韓愈は、その情報をつかんで間もなくのことと思われるが、次の任地がどこかわからないが、流罪を解くという赦免状がとどいていたので、805年永貞元年の夏ごろに陽山を出て、来た道を逆にたどった。北へと峠を越えて湖南の地に入り、榔州という町に滞在して彼自身についての命令が来るのを待ち受けた。


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現代語訳と訳註
(本文)
題木居士二首其二
爲神詎比溝中斷,遇賞還同爨下餘。
朽蠹不勝刀鋸力,匠人雖巧欲何如?


(下し文) 題木居士二首其の二
神と為ることは詎【なん】ぞ溝中【こうちゅう】の断に比せん、賞に遇うことは還た爨下【さんか】の余【よ】に同じ。
朽蠹【きゅうと】して刀鋸【とうきょ】の力に勝【た】えず、匠人【しょうじん】は巧みなりと雖も何如せんとか欲っする。


(現代語訳)
神さまに祭られているのはどぶの中のきれはしよりもましだが、めでられたといってもやはりたきぎ、『莊子』でいうもえ残りの琴と同じようなものだ。
どんな桐の木でも虫食いにより朽ちていては小刀細工する力にさえ堪えないので、どんな腕ききの大工であろうとどうしようにもならぬのだ。


(訳注) 題木居士二首
爲神詎比溝中斷,遇賞還同爨下餘。

神さまに祭られているのはどぶの中のきれはしよりもましだが、めでられたといってもやはりたきぎ、『莊子』でいうもえ残りの琴と同じようなものだ。
○詎比 比べものにはならない。詎は反語。○溝中断 どぶ中にすてられた木の切れっぱし。「荘子」天地篇に 「百年之木,破為犧尊,比溝中之斷,則美惡有間矣,其於失性一也。」(百年の木、破【わか】って犧尊【みきどつくり】と為し、青と黄ぬりて之を文【かざ】る。其の断【のこ】りは溝の中に在り。犠尊を溝の中の断【きれはし】に比ぶれぱ、即ち美しきと悪【みにく】きと間【ちが】い有れども、其の性を央しなうに於いては一なり。」とあるにもとづく。○還 やはり。これもまた。○爨下餘 めしたきの薪の余り。「後漢蔡邕在吳,有燒桐以爨者,聞火烈之聲,知其良木,因裁為琴。」後漢の蔡邕(132-192年)が、桐をたきぎとしているのを見ていたが、そのもえぐあいから、その桐が良質であるのを知り、もえ残りを用いて琴を作ったところ、はたして名器「焦尾琴」(しょうびきん)となったという故事にもとづく。


朽蠹不勝刀鋸力,匠人雖巧欲何如?
どんな桐の木でも虫食いにより朽ちていては小刀細工する力にさえ堪えないので、どんな腕ききの大工であろうとどうしようにもならぬのだ。
朽蠹 朽ちて虫が食っている。○不勝 できない。それに持ちこたえるだけの力がない。○匠人 大工。指し物師。


気の早いことをしたものである。当時の慣例では、官僚の異動に際し、いちおうそれまでの職の辞表を提出し、それが受理されてから、次のポストの辞令が下されることとなっていた。恵は形式上は陽山県令の肩書をもっているので、都に帰るとなれば、県令の辞表を提出し、一時的に無位無官となる必要がある。だがそれも、赦免状を持った使者が陽山に来てからでよいはずであった。流罪を解かれるのが既定の事実になっているからよいようなものの、本来は勝手に配所を離れるのは御法度のはずで、この点はもう大赦令が出された以上、大丈夫との見通しが立っていたのであろう。
おそらく恵は、一刻も早く赦免の使者に会い、都に帰りたいと思っていたのであろう。陽山と那州との間には五嶺と総称される山脈があって、ここの山越えは難儀には達いないが、南方のことだから冬でも寒さのために遭難といったケースは、めったにない。こちらから山を越えて得たねはならぬ必要には乏しいと思われる。やはり一刻も早く使者に会って、赦免の命令を耳にしたいという心が、北への旅を開始させたのであろう。

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