中唐詩-277 宿龍宮灘 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-33
(竜宮灘に宿す)

 徳宗崩御の報せがいつ陽山にとどいたのかはわからない。その年の二月(一説には三月)、大赦令が発せられて、徳宗の時代に罪を得た者は一律に赦免されることとなった。
大赦令が出たという情報などは、一般的なものと異なるため、早い段階でしらされる。当然、陽山の韓愈のもとにもすぐとどけられた。
それが届けられると陽山の県令でいることの意味はなくなってくる。韓愈は、次の任地がどこかわからないと動きようがない。
しかし、流罪というものがなければ次の認知の報せまで、ゆっくりその地で待つものであるが、流罪を解かれているのであるから、その場にいることの意味がないので、805年永貞元年の夏ごろにになって、陽山を出て、北へと峠を越えて湖南の地に入り、郴州という町に滞在して命令が来るのを待ち受けることとしたのだ。

韓愈の地図03

宿龍宮灘
竜宮灘というところに宿泊する。
浩浩複湯湯,灘聲抑更颺。
ごうごうという流れのおおきな音がして、今度はざわざわと低い音がしている、この川の瀬の音は低くなったと思ったらまた高くなる。
奔流疑激電,驚浪似浮霜。
急流の乱れ方は稲光の電光かと思われるほどのものである、さかまく浪の白さとしぶきを飛散させているのは空中に霜に似た状態である。
夢覺燈生暈,宵殘雨送涼。
眠りの途中で目覚めて見たら、灯火は月のかさのような光の輪を生じている、夜はもう残り少なく、雨が朝の涼気を送って来ようになる。
如何連曉語,一半是思鄉。
嬉しくて仕方がないのだ、どうしたものか、夜明けまで語り続ける言葉の半分がふるさとを思うものになってしまうのだ。

(竜宮灘に宿す)
浩浩【こうこう】復た湯湯【しょうしょう】、灘声【たんせい】抑えて更に揚がる。
奔流は激電かと疑い、驚浪【きょうろう】は浮霜に似たり。
夢覚【さ】むれば 灯【ともしび】暈【かさ】を生じ、宵残【よいざん】して 雨 涼を送る。
如何【いかん】ぞ 連暁の語、一半は是れ郷を思う。
ishibashi00

 
 二月に報せが来て、当時の慣例で、流罪による県令の命をまず返上しなればならない、早速韓愈は辞表の提出をしている。
 書して韓愈は、一刻も早く赦免の使者に会い、都に帰りたいと思っていたのであろう。陽山と郴州との間には南と文化をくっきりと分ける五嶺山脈がある。ここの山越えは難儀ものであったから、陽山への赴任の折には別の容易なルートで来ている。湘江を南下しそのもっとも源流である臨武という町に入り、そこから陽山に赴いている。やはり一刻も早く次の任地先へ行きたかったのであろうということが、北への旅を開始さぜたものであった。


現代語訳と訳註
(本文)
宿龍宮灘
浩浩複湯湯,灘聲抑更颺。
奔流疑激電,驚浪似浮霜。
夢覺燈生暈,宵殘雨送涼。
如何連曉語,一半是思鄉。

(下し文) (竜宮灘に宿す)
浩浩【こうこう】復た湯湯【しょうしょう】、灘声【たんせい】抑えて更に揚がる。
奔流は激電かと疑い、驚浪【きょうろう】は浮霜に似たり。
夢覚【さ】むれば 灯【ともしび】暈【かさ】を生じ、宵残【よいざん】して 雨 涼を送る。
如何【いかん】ぞ 連暁の語、一半は是れ郷を思う。

(現代語訳)
竜宮灘というところに宿泊する。
ごうごうという流れのおおきな音がして、今度はざわざわと低い音がしている、この川の瀬の音は低くなったと思ったらまた高くなる。
急流の乱れ方は稲光の電光かと思われるほどのものである、さかまく浪の白さとしぶきを飛散させているのは空中に霜に似た状態である。
眠りの途中で目覚めて見たら、灯火は月のかさのような光の輪を生じている、夜はもう残り少なく、雨が朝の涼気を送って来ようになる。

(訳注)
宿龍宮灘

竜宮灘というところに宿泊する
龍宮灘 陽山の郊外にある地名である。たぶん川底に竜が住むなどという伝説があって、この名がついたのであろう。灘とは川、が激流になっている交通の難所。○川岸で一夜を明かし、この詩を作ったのである。


浩浩複湯湯,灘聲抑更颺。
浩浩【こうこう】復た湯湯【しょうしょう】、灘声【たんせい】抑えて更に揚がる。
ごうごうという流れのおおきな音がして、今度はざわざわと低い音がしている、この川の瀬の音は低くなったと思ったらまた高くなる。

奔流疑激電,驚浪似浮霜。
奔流は激電かと疑い、驚浪【きょうろう】は浮霜に似たり。
急流の乱れ方は稲光の電光かと思われるほどのものである、さかまく浪の白さとしぶきを飛散させているのは空中に霜に似た状態である。

夢覺燈生暈,宵殘雨送涼。
夢覚【さ】むれば 灯【ともしび】暈【かさ】を生じ、宵残【よいざん】して 雨 涼を送る。

眠りの途中で目覚めて見たら、灯火は月のかさのような光の輪を生じている、夜はもう残り少なく、雨が朝の涼気を送って来ようになる。


如何連曉語,一半是思鄉。
如何【いかん】ぞ 連暁の語、一半は是れ郷を思う。
嬉しくて仕方がないのだ、どうしたものか、夜明けまで語り続ける言葉の半分がふるさとを思うものになってしまうのだ。
○韓愈に随って従者が数人以上おおくいる。すべてのものが異習慣の地を去ることに喜びを感じないものはなかったはずである。嬉しさあふれる感情を表に出した無感情の儒者、韓愈の中では珍しい良い作品である。真夏の暑さを滝のように流れる場所に宿したというのもよく表現されている。

hinode0200

blogram投票ボタン

毎日それぞれ一首(長詩の場合一部分割掲載)kanbuniinkai紀 頌之の漢詩3ブログ
05rihakushi350

李白詩350首kanbuniinkai紀頌之のブログ

700Toho shi

kanbuniinkai11の頌之漢詩 杜甫詩700首

800tousouSenshu
kanbuniinkai10 頌之の漢詩 唐宋詩人選集 Ⅰ李商隠150首 Ⅱ韓退之(韓愈)Ⅶ孟郊
各詩人についてはブログ内の検索を利用したほうが良い場合もあります。
burogutitl770

http://kanshi100x100.blog.fc2.com/




唐宋詩 
(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))350
李白詩INDEX02
李商隠INDEX02
杜甫詩INDEX02