中唐詩-292 赴江陵途中寄贈王二十補闕李十一拾遺李二十六員外翰林三學士 #11 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-35-#11


#10
懸知失事勢,恐自罹罝罘。
湘水清且急,涼風日修修。
胡為首歸路,旅泊尚夷猶?
昨者京使至,嗣皇傳冕旒。
赫然下明詔,首罪誅共兜。
#11
復聞顛夭輩,峨冠進鴻疇。
またこのようにも聞いた、周の文王の補佐となった泰顛【たいてん】・閎夭【こうよう】にも比すべき人々(宰相となった杜黄裳・鄭余慶たちをさす)が、廟堂に立って政治の根本である『尚書』の深遠な国家の大計をささげている ということらしい。
班行再肅穆,璜珮鳴瑯璆。
朝廷の百官の列はふたたび厳粛清安なものとなり、腰に下げた佩玉がよい音をたてて鳴る。
佇繼貞觀烈,邊封脫兜鍪。
このぶんでは唐の初めの貞観時代の仁徳のある隆盛烈な政治が継承されて、辺境を守る兵士たちが兜をはずして平和な日々を送ることも期待できよう。
三賢推侍從,卓犖傾枚鄒。
三人の賢者たち(この詩題の王二十補闘たちをさす)は侍従に推薦され、はるかに枚乗・鄒陽たちも及ばぬほどの勢いだ。
高議參造化,清文煥皇猷。
高くすぐれた議論は万物を創造するわざも参与するものであり、清らかな文章は天子の王道を明らかに表現している。
#10
懸ねて知る事勢を失い,恐らくは自ら罝罘【しゃふ】に罹【か】からんことを。[30]
湘水は清く且つ急なり、涼風 日に脩脩【しゅうしゅう】。
胡為【なんす】れぞ帰路に首【むか】いて、旅泊 尚夷猶【いゆう】する。
昨者【さきごろ】 京師より至り、嗣皇【しこう】 冕旒【べんりゅう】を伝え。
赫然【かくぜん】として明詔を下し、首罪 共兜【きょうとう】を誅すと。
#11
復聞く顛夭【てんよう】の輩、冠を峨【たか】くして鴻疇【こうちゅう】を進むと。
班行 再び肅穆【しゅくぼく】たり、璜珮【こうはい】鳴って瑯璆【ろうきゅう】たり。
貞觀の烈を繼ぎて,邊封【へんぽう】兜鍪【とうぼう】を脫ぐを佇【ま】つ。
三賢 侍從に推され,卓犖【たくらく】枚鄒【ばいすう】を傾く。
高議 造化【ぞうか】に參【まじ】わり,清文【せいぶん】皇猷【こうゆう】煥【かがや】かす。



<この詩の背景>
この詩は題にもあるとおり、江陵へ赴任の途中で作ったものであるが、どこで作ったのかは定めがたい。ただ、順宗が退位して憲宗が即位したことは、おそらく旅の途中でのことであろうが、韓愈の耳に入っていたわけである。そこで王伾・王叔文など革新派の失脚とともに浮かび上がった王涯たちに対し、自分を都へ呼びもどしてくれるようにと、韓愈は訴えているのである。彼を江陵府の法曹参軍に任じたのは、順宗の名で出された辞令であり、事態が変わった以上変更されるはずのものであるが、黙っていては忘れられてしまうおそれがある。変更されるはずの辞令でも、皇帝の名で出されているのだから、無視するわけにはいかない。そこで江陵へと赴任の旅を続けるのだが、「三学士」 の運動が功を奏して召還の命令が出れば、赴任の道すじをそのまま都へ帰る道とすればよい。韓愈はそこに期待をかけているのである。よほど江陵へは行きたくなかったと見える。


現代語訳と訳註
(本文)
#11
復聞顛夭輩,峨冠進鴻疇。
班行再肅穆,璜珮鳴瑯璆。
佇繼貞觀烈,邊封脫兜鍪。
三賢推侍從,卓犖傾枚鄒。
高議參造化,清文煥皇猷。


(下し文) #11
復聞く顛夭【てんよう】の輩、冠を峨【たか】くして鴻疇【こうちゅう】を進むと。
班行 再び肅穆【しゅくぼく】たり、璜珮【こうはい】鳴って瑯璆【ろうきゅう】たり。
貞觀の烈を繼ぎて,邊封【へんぽう】兜鍪【とうぼう】を脫ぐを佇【ま】つ。
三賢 侍從に推され,卓犖【たくらく】枚鄒【ばいすう】を傾く。
高議 造化【ぞうか】に參【まじ】わり,清文【せいぶん】皇猷【こうゆう】煥【かがや】かす。


(現代語訳)
またこのようにも聞いた、周の文王の補佐となった泰顛【たいてん】・閎夭【こうよう】にも比すべき人々(宰相となった杜黄裳・鄭余慶たちをさす)が、廟堂に立って政治の根本である『尚書』の深遠な国家の大計をささげている ということらしい。
朝廷の百官の列はふたたび厳粛清安なものとなり、腰に下げた佩玉がよい音をたてて鳴る。
このぶんでは唐の初めの貞観時代の仁徳のある隆盛烈な政治が継承されて、辺境を守る兵士たちが兜をはずして平和な日々を送ることも期待できよう。
三人の賢者たち(この詩題の王二十補闘たちをさす)は侍従に推薦され、はるかに枚乗・鄒陽たちも及ばぬほどの勢いだ。
高くすぐれた議論は万物を創造するわざも参与するものであり、清らかな文章は天子の王道を明らかに表現している。


(訳注)
復聞顛夭輩,峨冠進鴻疇。

またこのようにも聞いた、周の文王の補佐となった泰顛【たいてん】・閎夭【こうよう】にも比すべき人々(宰相となった杜黄裳・鄭余慶たちをさす)が、廟堂に立って政治の根本である『尚書』の深遠な国家の大計をささげている ということらしい。
顛夭輩 周の文王の補佐した名臣泰顛・閎夭のこと。 文王より、弓矢斧鉞を賜って、諸侯征伐の権が与えられた。犬戎・密須・耆国を破り、崇侯虎を討った。のち、豊邑を造営して、都とした。紂王が妲己に迷って、人心を失うと、討殷の兵を挙げ、王号を名乗ったともいう。・杜黄裳 元和元年(未詳―806年病没),西川節度使、805年当時は宰相になっている。・鄭余慶 748―820年字居業,鄭州の滎陽(現在河南省滎陽)の人。四十六歳で進士に合格し、五十歳ではじめて任官というひとであるが,すぐに中書侍郎同中書門下平章事になり、上奏できる立場にあった。七十二歳。
峨冠 高い冠。高官がかむる。○鴻疇 深遠な国家の大計。


班行再肅穆,璜珮鳴瑯璆。
朝廷の百官の列はふたたび厳粛清安なものとなり、腰に下げた佩玉がよい音をたてて鳴る。
班行 朝臣の序列。 ○肅穆,厳粛清安。○璜珮 おび玉。璜は璧を二分した石で、二個で美音を発する。○瑯璆。コロンコロンという音。


佇繼貞觀烈,邊封脫兜鍪。
このぶんでは唐の初めの貞観時代の仁徳のある隆盛烈な政治が継承されて、辺境を守る兵士たちが兜をはずして平和な日々を送ることも期待できよう。
貞觀烈 太宗の貞観時代は唐代を通じて最も政治が正しくおこなわれ国勢が隆盛だった。杜甫、韓愈、白居易、李商隠の詩にみえる。○邊封 辺境。○兜鍪 かぶと。


三賢推侍從,卓犖傾枚鄒。
三人の賢者たち(この詩題の王二十補闘たちをさす)は侍従に推薦され、はるかに枚乗・鄒陽たちも及ばぬほどの勢いだ。
三賢 この詩題の王二十補闘たち、王涯、李建、李程のこと。○ 傾倒させる。○枚鄒 枚乗・鄒陽梁の孝王の食客だった鄒陽、枚乗で司馬相如らと共にした。枚乗ばい じょう前漢淮陰の人で賦や文章を得意とした遊説の徒。李白『贈王判官時余歸隱居廬山屏風畳』「荊門倒屈宋、梁苑傾鄒枚。」(荊門に屈宋を倒し、梁苑には鄒枚を傾く。)


高議參造化,清文煥皇猷。
高くすぐれた議論は万物を創造するわざも参与するものであり、清らかな文章は天子の王道を明らかに表現している。
○高議 高くすぐれた議論。○造化 万物を創造するわざ。○清文 清雅の文章。○皇猷 王道。○煥 かがやかす。