條山蒼 <39>Ⅱ韓退之(韓愈)詩310 紀頌之の漢詩ブログ1009


條山蒼
786年貞元二年、韓愈19歳の時、長安に出た。その長安途上の作とされる。現存の作品の最初のものである。長安では従兄韓弇【かんえん】の門生となって勉強した。


條山蒼
條山蒼  、河水黄。
浪波沄沄去、松栢在山岡。


(条山 蒼く)
条山 蒼く、河水 黄なり。
浪波は沄沄として去りぬ、松柏 高岡に在り。

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現代語訳と訳註
(本文)
條山蒼
條山蒼  、河水黄。
浪波沄沄去、松栢在山岡。


(下し文) (条山 蒼く)
条山 蒼く、河水 黄なり。
浪波は沄沄として去りぬ、松柏 高岡に在り。


(現代語訳)
中条山脈は蒼然としている。
中条山脈は日暮れの薄暗さの中で青々としている。その南を流れる黄河の流れは広々として黄色にひろがっている。
黄河は、大波、小波、渦巻き流れさっていく、世間の波もそうやって東流して行く。いつの日にも松やヒノキは常緑でいるけれどそれは特別な事でなくそれは天から授けられた精気の違いで、めいめい自分に与えられた時節に存分に過ごすものなのだそしてその木はその陽城先生と共に高岡に立っている。

(訳注)
條山蒼
中条山脈は蒼然としている。
○条山蒼 底本では巻三。詩の最初の句をとって題としたのは中国最古の詩集『詩経』にならった。蒼は蒼生、蒼然、日暮れの薄暗さ、隠棲を連想させる。


條山蒼  、河水黄。
中条山脈は日暮れの薄暗さの中で青々としている。その南を流れる黄河の流れは広々として黄色にひろがっている。
条山 華山に対し黄河の北にある中条山のこと。中条山は黄河の北岸を東西に走る山脈で、芮城県のある平野と運城市の中心のある盆地との間に立ちはだかっている。芮城県の西端にある風陵渡鎮で山脈が途切れておりその西側には黄河が南北に延びている。県内の最高峰は雪花山の標高1993メートル。その直ぐ東側にある五老峰(標高1809メートル)は風光明媚な観光地として知られる。当時、陽城がここに隠棲していた。陽城はのちに諫議大夫として天子から召された。その時代の陽城を韓愈は無能だとして論難したこともあるが、やはりすぐれたひとで、いと条山蒼は、青年の韓愈が隠者としての陽城に対する敬嘉の気持ちをうたったものだ、ともいわれる。○河水 黄河の水。詩経『碩人』「河水洋洋、北流活活。」(河の水は洋洋として、北に流るること活活たり。)


浪波沄沄去、松栢在山岡。
黄河は大波、小波、渦巻き流れさっていく、世間の波もそうやって東流して行く。いつの日にも松やヒノキは常緑でいるけれどそれは特別な事でなくそれは天から授けられた精気の違いで、めいめい自分に与えられた時節に存分に過ごすものなのだそしてその木はその陽城先生と共に高岡に立っている。
浪波 浪は大波、波は小波。『六書、故』「浪跳波也。」「水紋」「大波爲攔、小波爲淪、直波爲徑。」流行・変化・群衆の暗喩とみることができる。『荘子人閒世』「言者風波也。夫一言之發、激怒千人、非風波乎。」(言は者 風波なり。夫れ一言 之れ發っするや、怒するは千人を激、風波に非ざる乎。)○沄沄 水が渦巻き流れるさま。杜甫『次空霊岸詩』「沄沄逆素浪、落落展清眺。」(沄沄として素浪逆し、落落として清眺に展ぶ。)○松栢 マツとコノテガシワ、いずれも常緑樹、ひのき類の総称。不変・節操の比喩として使用されることが多い。松やヒノキは、冬でも青いが、それは天から授けられた精気の違いで、めいめい自分に与えられた時節に存分に過ごし、自分の安心すべき位置を得ていればそれが良いので、冬青いからといって、特に尊重する必要はない。論語『子罕篇廿八』「子曰 歳寒 然後知松栢之後彫也」人の運は四十にならないと分からない。そこで枯れてしまった者は、ただ運がよかっただけ。栢は柏の俗字。○山岡 高岡とする本があって、上句に沄沄があり、その方がよいようにおもわれる。