雜詩 #1 Ⅱ-311韓退之(韓愈)詩40  紀頌之の漢詩ブログ1012

792年進士及第。793・794年上級の博学宏詞科の落第が続いていたころの作で、こののち董晉に随って汴州の観察推官として幕下についた。


雜 詩
古史散左右、詩書置後前。
古代の歴史の巻々は左右において勉学しているのでどうしても散らばりがちになってしまう。『詩経』『書経』詩人の詩文を前後において私の詩作に生かしている。
豈殊蠧書蟲、生死文字閒。
これではまるで書物を食い荒すシミダニではないか、文字と文字、書物と書物、ダニが文字の中に生きている、わたしは受験のための書物に前後左右をはさまれ そして死んでゆくあのダニとどこが違うのだ。
古道自愚憃、古言自包纏。
昔の人のいうことは、まず自分を愚か者であるとするところから始まり、「子曰く」という言葉は、自分自身を包みまといつき束縛することばでもあるのだ。
當今固殊古、誰與爲欣歓。』

私の生きているいま、基本的に昔とは事情が違っている。誰となら一緒に喜ぶことができるというのか。(教えを守りぬいて古人と喜びを享受できないのか。)
獨攜無言子、共昇崑崙巓。
長風飄襟裾、逐起飛高圓。
下覛禹九州、一塵集豪端。
遨嬉未云幾、下已億萬年。
向者夸奪子、萬墳厭其巓。』
惜哉抱所見、白黒未及分。
慷慨爲悲咤、涙如九河翻。
指摘相告語、雖還今誰親。
翩然下大荒、被髪騎騏驎。』


雜詩 #1
古史 左右に散じ、詩書 後前【こうぜん】に置く。
豈に殊【こと】ならむや 蠧書蟲【としょちゅう】の、文字の閒に生死するに。
古道【こどう】は自らを愚憃【ぐとう】にし、古言【こげん】は自らを包纏【ほうてん】す。
當今は固より古しえと殊【こと】なれり、誰と與【とも】にか欣歓をなさむ。』

#2
獨り無言子を攜へ、共に昇る崑崙【こんろん】の巓【いただき】。
長風【ちょうふう】襟裾【きんきょ】を飄し、逐に起て高圓【こうえん】に飛ぶ。
下 禹の九州を覛る、一塵 豪端に集【とど】まるを。
遨嬉【ごうぎ】すること未だ云【ここ】に幾【いくばく】ならん、下は已に億萬年。
向者【さき】の夸奪子【かだっし】、萬墳【まんふん】其の巓【いただき】厭【おそ】う。』
#3
惜しい哉【かな】所見を抱きしに、白黒【はくこく】未だ分【わか】つに及ばず。
慷慨【こうがい】悲咤【ひた】をなし、涙は九河【きゅうが】の翻えるが如し。
指摘【してき】して相【あい】告語【こくご】す、還ると雖も今や誰とか親【したし】まむ。
翩然【へんぜん】大荒【たいこう】に下らむとし、被髪【ひはつ】して騏驎【きりん】に騎【き】す。』



現代語訳と訳註
(本文)

古史散左右、詩書置後前。
豈殊蠧書蟲、生死文字閒。
古道白愚憃、古言自包纏。
當今固殊古、誰與爲欣歓。』

(下し文) #1
古史 左右に散じ、詩書 後前【こうぜん】に置く。
豈に殊【こと】ならむや 蠧書蟲【としょちゅう】の、文字の閒に生死するに。
古道【こどう】は自らを愚憃【ぐとう】にし、古言【こげん】は自らを包纏【ほうてん】す。
當今は固より古しえと殊【こと】なれり、誰と與【とも】にか欣歓をなさむ。』


(現代語訳)
古代の歴史の巻々は左右において勉学しているのでどうしても散らばりがちになってしまう。『詩経』『書経』詩人の詩文を前後において私の詩作に生かしている。
これではまるで書物を食い荒すシミダニではないか、文字と文字、書物と書物、ダニが文字の中に生きている、わたしは受験のための書物に前後左右をはさまれ そして死んでゆくあのダニとどこが違うのだ。
昔の人のいうことは、まず自分を愚か者であるとするところから始まり、「子曰く」という言葉は、自分自身を包みまといつき束縛することばでもあるのだ。
私の生きているいま、基本的に昔とは事情が違っている。誰となら一緒に喜ぶことができるというのか。(教えを守りぬいて古人と喜びを享受できないのか。


(訳注)
雜詩

「無題」とする場合もある。風刺、特別な感情を込める場合、詩題をわざと目立たない、無造作なものにした。さりげない、つまらないもの・・・そのなかにこそ詩人の思いを凝らしているものである。


#1
古史散左右、詩書置後前。

古史 左右に散じ、詩書 後前【こうぜん】に置く。
古代の歴史の巻々は左右において勉学しているのでどうしても散らばりがちになってしまう。『詩経』『書経』詩人の詩文を前後において私の詩作に生かしている。
○古史 古典、古体、古辞、古文学、歴史書、古文書をいう。○詩書 『詩経』『書経』楚辞、古詩、詩賦など、韓愈の時代には、杜甫の詩集がないだけで、六朝、謝霊運、初唐詩、孟浩然、李白、王維、などは発表されていた。


豈殊蠧書蟲、生死文字閒。
豈に殊【こと】ならむや 蠧書蟲【としょちゅう】の、文字の閒に生死するに。
これではまるで書物を食い荒すシミダニではないか、文字と文字、書物と書物、ダニが文字の中に生きている、わたしは受験のための書物に前後左右をはさまれ そして死んでゆくあのダニとどこが違うのだ
蠧書蟲 書物を食い荒すシミ。ケダニ
斡愈のこの詩は屈原の「離騒」あたりをお手本にしたのであろうか、読書人がくわだてる現実からの脱出には、古今を一にするものがあって、おもしろい。


古道自愚憃、古言自包纏。
古道【こどう】は自らを愚憃【ぐとう】にし、古言【こげん】は自らを包纏【ほうてん】す。
昔の人のいうことは、まず自分を愚か者であるとするところから始まり、「子曰く」という言葉は、自分自身を包みまといつき束縛することばでもあるのだ。
愚憃 おろかでにぶいこと。後漢書『張酺傳』「臣實愚憃、不及大體。」(臣實に愚憃にして、大體に及ばざる。)また、韓非子にみえる。○包纒 包みまといつくさま。束縛。


當今固殊古、誰與爲欣歓。』
當今は固より古しえと殊【こと】なれり、誰と與【とも】にか欣歓をなさむ。』
私の生きているいま、基本的に昔とは事情が違っている。誰となら一緒に喜ぶことができるというのか。(教えを守りぬいて古人と喜びを享受できないのか。)
欣歓 喜び楽しむこと。荘子『盗跖』「怵惕之恐、欣歓之喜、不監於心。」(怵惕之恐れ、欣歓之喜びは、於心に監みず。)