雜詩 #3 Ⅱ-313韓退之(韓愈)詩<40>#3 紀頌之の漢詩ブログ1018

792年進士及第。793・794年上級の博学宏詞科の落第が続いていたころの作で、こののち董晉に随って汴州の観察推官として幕下についた。

雜 詩
古史散左右、詩書置後前。
豈殊蠧書蟲、生死文字閒。
古道自愚憃、古言自包纏。
當今固殊古、誰與爲欣歓。』
獨攜無言子、共昇崑崙巓。
長風飄襟裾、逐起飛高圓。
下覛禹九州、一塵集豪端。
遨嬉未云幾、下已億萬年。
向者夸奪子、萬墳厭其巓。』
惜哉抱所見、白黒未及分。
残念なことだが、わたしには別の考えがあった。物の白黒、善悪を分別し、考え直すものもないではなかったということだ。
慷慨爲悲咤、涙如九河翻。
世間の悪しき風潮や社会の不正などを、怒り嘆き、かなしみにあふれるのだ。この悲しみの涙は九河の流れをひとつに束ねたかわがひるがえったようにとどまらない。
指摘相告語、雖還今誰親。
一緒に来た無言子は相手に向かって、下界を指さし、こう告げた。「彼方に帰ったとしても、もはや親しみ語るものもありはしない。」
翩然下大荒、被髪騎騏驎。』

髪ふりさばき、千里走るという騏驎に騎乗して、ひらりと翻り、果てしない天空に下って行った。

雜詩 #1
古史 左右に散じ、詩書 後前【こうぜん】に置く。
豈に殊【こと】ならむや 蠧書蟲【としょちゅう】の、文字の閒に生死するに。
古道【こどう】は自らを愚憃【ぐとう】にし、古言【こげん】は自らを包纏【ほうてん】す。
當今は固より古しえと殊【こと】なれり、誰と與【とも】にか欣歓をなさむ。』
#2
獨り無言子を攜へ、共に昇る崑崙【こんろん】の巓【いただき】。
長風【ちょうふう】襟裾【きんきょ】を飄し、逐に起て高圓【こうえん】に飛ぶ。
下 禹の九州を覛る、一塵 豪端に集【とど】まるを。
遨嬉【ごうぎ】すること未だ云【ここ】に幾【いくばく】ならん、下は已に億萬年。
向者【さき】の夸奪子【かだっし】、萬墳【まんふん】其の巓【いただき】厭【おそ】う。』
#3
惜しい哉【かな】所見を抱きしに、白黒【はくこく】未だ分【わか】つに及ばず。
慷慨【こうがい】悲咤【ひた】をなし、涙は九河【きゅうが】の翻えるが如し。
指摘【してき】して相【あい】告語【こくご】す、還ると雖も今や誰とか親【したし】まむ。
翩然【へんぜん】大荒【たいこう】に下らむとし、被髪【ひはつ】して騏驎【きりん】に騎【き】す。』

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現代語訳と訳註
(本文)
#3
惜哉抱所見、白黒未及分。
慷慨爲悲咤、涙如九河翻。
指摘相告語、雖還今誰親。
翩然下大荒、被髪騎騏驎。』

(下し文) #3
惜しい哉【かな】所見を抱きしに、白黒【はくこく】未だ分【わか】つに及ばず。
慷慨【こうがい】悲咤【ひた】をなし、涙は九河【きゅうが】の翻えるが如し。
指摘【してき】して相【あい】告語【こくご】す、還ると雖も今や誰とか親【したし】まむ。
翩然【へんぜん】大荒【たいこう】に下らむとし、被髪【ひはつ】して騏驎【きりん】に騎【き】す。』


(現代語訳)
残念なことだが、わたしには別の考えがあった。物の白黒、善悪を分別し、考え直すものもないではなかったということだ。
世間の悪しき風潮や社会の不正などを、怒り嘆き、かなしみにあふれるのだ。この悲しみの涙は九河の流れをひとつに束ねたかわがひるがえったようにとどまらない。
一緒に来た無言子は相手に向かって、下界を指さし、こう告げた。「彼方に帰ったとしても、もはや親しみ語るものもありはしない。」
髪ふりさばき、千里走るという騏驎に騎乗して、ひらりと翻り、果てしない天空に下って行った。


(訳注)
惜哉抱所見、白黒未及分。

残念なことだが、わたしには別の考えがあった。物の白黒、善悪を分別し、考え直すものもないではなかったということだ。
所見 かんがえ。○白黒 善悪。


慷慨爲悲咤、涙如九河翻。
世間の悪しき風潮や社会の不正などを、怒り嘆き、かなしみにあふれるのだ。この悲しみの涙は九河の流れをひとつに束ねたかわがひるがえったようにとどまらない。
慷慨【こうがい】[名・形動](スル)1 世間の悪しき風潮や社会の不正などを、怒り嘆くこと。「社会の矛盾を―する」「悲憤―」2 意気が盛んなこと。また、そのさま。○悲咤 かなしみなげく。○九河 『禹貢』「九河之名,徒駭太史馬頰覆釜胡蘇簡絜鉤槃﹑鬲津.」周の時代、斉の桓公がこれを塞いで一本の河とした。今の河間弓高から東、平原の鬲・般まで、至る所にその名残がある。」槃は『爾雅』九河の鉤槃の河である。


指摘相告語、雖還今誰親。
一緒に来た無言子は相手に向かって、下界を指さし、こう告げた。「彼方に帰ったとしても、もはや親しみ語るものもありはしない。」


翩然下大荒、被髪騎騏驎。』
髪ふりさばき、千里走るという騏驎に騎乗して、ひらりと翻り、果てしない天空に下って行った。
○倒句読み。○大荒 ①大凶年。大飢饉。 ②中国からきわめて遠い地。日月の入る所『山海經、大荒東經』「大荒之中有山、名曰合虚。日月所出。」(大荒の中に山あり。名を日月出といふ。)③そら、天、虚空。ここでは③の.意味○騏驎 一日に千里を走るというすぐれた馬。○この詩は李白『古風五十九首 其三十九』を源泉としつつ韓愈独自のものを歌ったもので、宋の王安石はここから多くのものを学んで多く作っている。

江行寄遠 李白 3

渡荊門送別 李白 5

『古風五十九首 其三十九』 李白178



韓愈は受験準備の期間であり、前後左右に書物を置いて、他との接触もなくこの詩を書いたのだ。この詩は李白の『古風五十九首其三十九』に影響を受けている。儒教者の韓愈が若いころにはお遊びとして道教の発想をこころみていた。この詩の参考をいかに示す。

(1)
太陽がかつて十個あったという神話は、殷王朝も共有していた(干支の「十干」や暦の「旬」に今も残る。この前後・相互関係は極めて複雑かつ微妙で、要するに不明である)。三本足のカラスは「八咫烏」(やたがらす)として有名である。

(2)
 月のウサギは道教の神・西王母(せいおうぼ)の神話に属しているが、西方の仙界・崑崙山(こんろんさん)に棲むその西王母に従うものにウサギがいる。ウサギは、上下対称で中央部を持って搗(つ)く杵(きね)でもって、餅ではなく不死の薬草を練って作る。


 以上の諸神話は習合し、定式化されたのは、数千年前であろう。それが時代に合わせて微調整され現代に至っているのである。現代も古代もそれほどのちがいはないのかもしれない。

太陽にはカラスが棲み(あるいは太陽の神使であり)、月(太陰)にはウサギが棲んで杵を搗くということになった。これを実証してくれたのが、楚とその先行文明を色濃く残した地・湖南省長沙市から出た、漢代の馬王堆(まおうたい)遺跡の帛画(はくが:絹衣に描かれた絵)である。そこには扶桑に宿る十個の太陽とカラス、それに三日月にウサギが描かれている。ところが、月にはより大きくヒキガエルが描かれ、しかもカラスは二本足であったのだ。

(3)
古風 其三十九
登高望四海。 天地何漫漫。
霜被群物秋。 風飄大荒寒。
榮華東流水。 萬事皆波瀾。
白日掩徂輝。 浮云無定端。
梧桐巢燕雀。 枳棘棲鴛鸞。
且復歸去來。 劍歌行路難。

参考(4)
古風 五十九首 其四十 
鳳飢不啄粟、所食唯琅玕。
焉能與羣鶏、刺蹙爭一餐。
朝鳴崑邱樹、夕飮砥柱湍。
歸飛海路遠、獨宿天霜寒。
幸遇王子晉、結交青雲端。
懐恩未得報、感別空長歎。

○崑邱樹 崑崙山の絶頂にそびえる木。「山海経」に「西海の南、流沙の浜、赤水の後、黒水の前、大山あり、名を足寄の邸という」とある。朝の朝礼、天子にあいさつする。○砥柱濡 湖は早瀬。砥柱は底柱とも書き、黄河の流れの中に柱のように突立っている山の名。翰林院での古書を紐解き勉学する。○朝鳴二句「港南子」に「鳳凰、合って万仰の上に逝き、四海の外に翔翔し、崑崙の疏国を過ぎ、砥柱の浦瀬に飲む」とあるのにもとづく。
鳳凰は空腹で飢えていても、穀物をつついたりはしない。食べものはただ、琅玕の玉だけである。
どこにでもいるにわとりの群れに加わったとして、こせこせと一回の食事をとりあいすることなど、どうしてできようか。
朝には崑崙山の頂上の木の上で鳴き、夕方には、黄河の流れの中にある砥柱の早瀬の水を飲んだのだ。
住まいとするとこには、海上から道のりは遠いけれど、飛んで歸えったものだった。びとりで宿る住まいには、天より霜が降りて寒いものだった。
さいわいに、もし、笙を吹くのがうまかった仙人の王子晋に出会えるなら、道士たちともきっと会えるし、出世をしたもの、青雲の志を持ったもの同士で旧交をあたためたるのだ
受けたご恩と恵みというものは心にいだいているけれど、いまだに恩返しできないでいる。別れた時の感情は持ち続けているけれど、逢えないから、むなしくいつまでも、ため息をついているだけなのだ。