從仕 Ⅱ韓退之(韓愈)詩<41>314 紀頌之の漢詩ブログ 1021


從仕  
居閑食不足,從仕力難任。
暇を持て余して暮らしていると先のことが不安で食が細くなりがちになる。仕事に忙殺されていると体の方が問題になってくる。
兩事皆害性,一生恒苦心。
食がたりない「食不足」と身が持たない「力難任」の事柄はどちらも体の害になることである。だけど私の一生は常に苦しみに思う心境が続いている。
黄昏歸私室,惆悵起歎音。
夕方黄昏てきたら私の部屋にかえる。そうすると決まって歎き悲しむことが続いてどうしても口に出してしまう。
棄置人間世,古來非獨今。
こうした惆悵の毎日であると人の世を捨てて隠棲したと思う、この考えは昔からあることであるし、特別今に始まった事ではない。

仕に從う
閑に居れば 食ふもの足らず、仕に從へば 力 任へ難し
兩事 皆 性を害す、一生 恆【つね】に心を苦む。
黄昏【こうこん】私室に歸り、惆悵【ちゅうちょう】して歎音【たんおん】を起す。
人間【じんかん】の世を棄置【きち】せむに、古來 獨り今のみに非ず。


現代語訳と訳註
(本文)
從仕  
居閑食不足,從仕力難任。
兩事皆害性,一生恒苦心。
黄昏歸私室,惆悵起歎音。
棄置人間世,古來非獨今。


(下し文) 仕に從う
閑に居れば 食ふもの足らず、仕に從へば 力 任へ難し
兩事 皆 性を害す、一生 恆【つね】に心を苦む。
黄昏【こうこん】私室に歸り、惆悵【ちゅうちょう】して歎音【たんおん】を起す。
人間【じんかん】の世を棄置【きち】せむに、古來 獨り今のみに非ず。


(現代語訳)
暇を持て余して暮らしていると先のことが不安で食が細くなりがちになる。仕事に忙殺されていると体の方が問題になってくる。
食がたりない「食不足」と身が持たない「力難任」の事柄はどちらも体の害になることである。だけど私の一生は常に苦しみに思う心境が続いている。
夕方黄昏てきたら私の部屋にかえる。そうすると決まって歎き悲しむことが続いてどうしても口に出してしまう。
こうした惆悵の毎日であると人の世を捨てて隠棲したと思う、この考えは昔からあることであるし、特別今に始まった事ではない。



(訳注)
從仕
  
官吏生活の味気なさをうたった。


居閑食不足,從仕力難任。
暇を持て余して暮らしていると先のことが不安で食が細くなりがちになる。仕事に忙殺されていると体の方が問題になってくる。
居閑 ひまな状態でいること。「二句は謝霊運の『登池上樓』の「進徳智所拙、退耕力不任」を意識においてつくったとされている。
登池上樓
潛虯媚幽姿,飛鴻響遠音。薄霄愧雲浮,棲川怍淵沉。
進德智所拙,退耕力不任。徇祿反窮海,臥痾對空林。
衾枕昧節候,褰開暫窺臨。傾耳聆波瀾,舉目眺嶇嶔。』
初景革緒風,新陽改故陰。池塘生春草,園柳變鳴禽。
祁祁傷豳歌,萋萋感楚吟。索居易永久,離群難處心。
持操豈獨古,無悶徵在今。』
(現代語訳)池の上りの樓に登る
淵深く潜むみずちの龍の奥ゆかしい姿は心惹かれ麗しいものである、空高く飛ぶ大きな雁は遥か遠くからそのなく声を響かして聞えてくる。(俗世を超越し、隠棲した人は一人物静かに生き、奥ゆかしく美しい。)しかし、私は空高く上がっても浮雲のうえにでることはできない心の萎縮を愧じるのである、かといって川に棲み淵の底のその奥に身を潜めることもできないことは、この身も切られるくらいの慚に思うのだ。徳を積み修行をして立派な人として官僚の上に立つほど智徳、慈悲が稚拙である、そうかといって引退して畑を耕して暮らすにはそれに耐えるだけの体力がないのである。(隠棲することは自然への同化である。道教でなくても仏教の修行も死と隣り合わせであるからそれに耐えうる体力がない。持病を持っていた)官を辞せずにやむをえず俸禄を求めてこんな最果ての見知らぬ海辺のまちに来ている、その上、厄介な病気のことを考えると志で棲みたいと思っていたひと気のない林を眺めるしかないのである。そして、寝床にいたため節季行事もすることができないため季節感がわからなくなっている、簾の裾を開けてはしばらく外を覗き見るのである。寝床から耳をすますと大きな波の連なるのを聞くのである、目を挙げて険しく聳えてのしかかってくるかのような山を眺めるのである。
初春の景色は去年の秋冬の名残の風を改めている、新しい日の光が照り、去年の冬の名残りの陰気はすっかり改まっている。池の堤防にびっしり春の草が生えている、庭園の柳の梢に鳴いている小鳥たちも冬のものと違って聞こえてくる。春の日あしはのどかにあるとした『詩経』の豳歌に心を痛め、さわさわとした草の茂りに『楚辞、招隠士』の「王孫遊びて帰らず、春草生じて萋萋たり。」ということに感動するのである。友と離れて病床につき一人引きこもってれば永久になりやすのだ、群から離れたら心を落ち着けることは難しい。それでも志を持ち続ける節操として守り続けるのは一人古人だけだろうか、今の世に隠棲してよをのがれることができるなら、「無悶」の徴候は今ここに実証としてあるということなのだ。


兩事皆害性,一生恒苦心。
食がたりない「食不足」と身が持たない「力難任」の事柄はどちらも体の害になることである。だけど私の一生は常に苦しみに思う心境が続いている。
両事 食不足と力難任の二つをさす。○害性 生命を害する。肉体的生命を生、精神的生命を性と表現することがある。現代のサラリーマンにノイローゼ患者が多いのは、性を害しているのである。○恒苦心 長い間ずっと心を苦しめる。陸機の「悪木豈無枝、志士多苦心。」を意識してつくった句だとする。陸機「猛虎行」から》志士は、簡単にはその志を変えないために、こと志と違って苦労することが多い。
猛虎行
渇不飲盗泉水、熱不息悪木陰。
悪木豈無枝、志士多苦心。整駕肅時命、杖策將尋遠。
飢食猛虎窟、寒栖野雀林。」日歸功未建、時往歳載陰。
崇雲臨岸駭、鳴條随風吟。靜言幽谷底、長嘯高山岑。
急絃無懦響、亮節難爲音。人生誠未易、曷云開此衿。
眷我耿介懐、俯仰愧古今。」


黄昏歸私室,惆悵起歎音。
夕方黄昏てきたら私の部屋にかえる。そうすると決まって歎き悲しむことが続いてどうしても口に出してしまう。
惆悵 歎き悲しむさま、韓愈が今日よりさかのぼってうらむ。ここまで心苦なことが、かなりの経過時間そうであったこと。韓愈の尊敬した杜甫に「惆悵再難述」「閭里為我色惆悵」などの句がみえる。
杜甫.『自京赴奉先縣詠懷五百字詩』「榮枯咫尺異,惆悵難再述。」
杜甫『乾元中寓居同谷縣作歌七首之二』「嗚呼二歌兮歌始放,閭里為我色惆悵。」
宋玉『九辨』、
悲哉秋之為氣也!
蕭瑟兮草木搖落而變衰,
憭慄兮若在遠行,
登山臨水兮送將歸,
泬寥兮天高而氣清,
寂寥兮收潦而水清,
憯悽欷兮薄寒之中人,
愴怳懭悢兮去故而就新,
坎廩兮貧士失職而志不平,
廓落兮羇旅而無友生。
惆悵兮而私自憐。
燕翩翩其辭歸兮,蝉寂漠而無聲。
鴈廱廱而南遊兮,鶤[昆+鳥]雞 啁哳而悲鳴。
獨申旦而不寐兮,哀蟋蟀之宵征。
時亹亹而過中兮,蹇淹留而無成。


棄置人間世,古來非獨今。
こうした惆悵の毎日であると人の世を捨てて隠棲したと思う、この考えは昔からあることであるし、特別今に始まった事ではないし、現実はそうはいかない。
棄置人間世 隠遁することをいう。○棄置 うっちゃりすてる。○人間世 人間も、人間世も、ともに人間社会のこと。『荘子』に「人間世」の一篇がある。『漢書』の張良伝に、「願はくは人間の事を棄て、赤松子に従ひて遊ばんと欲するのみ」 の語がみえる。豪傑の張良さえ逃げ出したくなる人間世。神経の細い読書人、高級、下級とわず官吏が脱出したくなるのも無理もない。間は閒の俗字。○古来非独今 むかしからそうなのであった。ただ現代、現実としてそうなのではない。