河之水二首寄子侄老成 <44>Ⅱ韓退之(韓愈)詩319 紀頌之の漢詩ブログ 1036


詩経、王風『揚之水』(たばしるみず)
揚之水、不流束薪。
彼其之子、不與我戍申。
懐哉懐哉、曷月予還歸哉。
揚之水、不流束楚。
彼其之子、不與我戍甫。
懐哉懐哉、曷月予還歸哉。

(たばしる水)
揚れる水は、束ねし楚をも流さず。
彼の其の子は、我と與に申を戍らず。
懐う哉 懐う哉、曷【いつ】の月か予【わ】れは還り歸らん哉。

揚れる水は、束ねし薪をも流さず。
彼の其の子は、我と與に甫を戍らず。
懐う哉 懐う哉、曷【いつ】の月か予【わ】れは還り歸らん哉。

平王の時代、あいまいな理由で、国境警備に狩出された近衛兵が、理不尽な配置であること、早く故郷に帰りたいと不平を詠う詩である。同じ語で、一部置き換えて詠う。詩経に多い形である。韓愈はこれを踏襲している。



河之水二首寄子侄老成

河之水,去悠悠。
我不如,水東流。
我有孤侄在海陬,三年不見兮使我生憂。
日複日,夜複夜。
三年不見汝,使我鬢發未老而先化。
  

河之水,悠悠去。
黄河の水、はるかかなたに去り流れていく。
我不如,水東注。
わたしは黄河の流れがあたりまえのこととして東の海に注いでいるのに君にこの思いをそそぐことをしていない情ない身の上だ。
我有孤侄在海浦,三年不見兮使我心苦。
そして、私には君という宣城上元の荘園に孤独にさせ、それは東海の海や入り江の泊まりにそのまま放置しているのと同じことなのだ、もう三年逢っていない、だから心配で仕方がない気持ちがいつも胸が苦しくてたまらない思いだ。
采蕨於山,緡魚於淵。
わたしは高い山にワラビを取りながら君のことを思いやり、君は沈碑潭の淵で釣り糸を垂れて魚を取りながら私の迎えを待っている。
我徂京師,不遠其還。

そして私は長安の都に行ったままだけど、そんなに遠くではないやがて君をむかえに帰るよ。



(河の水 二首 子姪老成に寄す)1
河の水、去って悠悠【ゆうゆう】。
我は 如【し】かず、水の東流するに。
我に孤侄【こてん】有り、海陬【かいすう】に在り、三年 見ず、我をして忧【うれえ】を生ぜしむ
日 復 日、夜 復 夜。
三年 汝を見ず、我が鬢髪【びんはつ】をして未だ老いざるに而【しか】も先づ化【か】せしむ。

2.
河の水、悠悠と去る。
我は如かず、水の東注するに。
我に孤姪有り 海浦に在り、三年 見ず我をして心苦ましむ。
蕨を山に采り、魚を淵に緡す。
我 京師に徂くも、遠からず其れ還らむ


現代語訳と訳註
(本文) 2.

河之水,悠悠去。
我不如,水東注。
我有孤侄在海浦,三年不見兮使我心苦。
采蕨於山,緡魚於淵。
我徂京師,不遠其還。


(下し文)
河の水、悠悠と去る。
我は如かず、水の東注するに。
我に孤姪有り 海浦に在り、三年 見ず我をして心苦ましむ。
蕨を山に采り、魚を淵に緡す。
我 京師に徂くも、遠からず其れ還らむ

(現代語訳)
黄河の水、はるかかなたに去り流れていく。
わたしは黄河の流れがあたりまえのこととして東の海に注いでいるのに君にこの思いをそそぐことをしていない情ない身の上だ。
そして、私には君という宣城上元の荘園に孤独にさせ、それは東海の海や入り江の泊まりにそのまま放置しているのと同じことなのだ、もう三年逢っていない、だから心配で仕方がない気持ちがいつも胸が苦しくてたまらない思いだ。
わたしは高い山にワラビを取りながら君のことを思いやり、君は沈碑潭の淵で釣り糸を垂れて魚を取りながら私の迎えを待っている。
そして私は長安の都に行ったままだけど、そんなに遠くではないやがて君をむかえに帰るよ。

嚢陽一帯00

(訳注)
河之水,悠悠去。

黄河の水、はるかかなたに去り流れていく。
悠悠 日本語では悠悠とか悠然とかいう場合は、ゆったりしたとの意で、やや威張った感じに使われるが、中国の詩文では愁いを帯びたことばとして用いられることが多い。


我不如,水東注。
わたしは黄河の流れがあたりまえのこととして東の海に注いでいるのに君にこの思いをそそぐことをしていない情ない身の上だ。


我有孤侄在海浦,三年不見兮使我心苦。
そして、私には君という宣城上元の荘園に孤独にさせ、それは東海の海や入り江の泊まりにそのまま放置しているのと同じことなのだ、もう三年逢っていない、だから心配で仕方がない気持ちがいつも胸が苦しくてたまらない思いだ。

 
采蕨於山,緡魚於淵。
わたしは高い山にワラビを取りながら君のことを思いやり、君は沈碑潭の淵で釣り糸を垂れて魚を取りながら私の迎えを待っている。
采蕨於山 詩経、召南の『草蟲』「渉彼南山、言采其蕨。未見君子、憂いの心、をる彼の南山に捗って、言、其の蕨を采る。未まだ君子を見ざれば、憂いの心惙惙たり。」の句がある。南の山に登って私はワラビを摘む。あなたの御顔を見ぬうちは心配で胸がずきずき痛む。○緡魚於淵 詩経召南の『何彼穠矣』に「其釣維何、維絲伊緡。」(其の釣するは維れ何ぞ、維れ糸を伊れ緡とす)の句がある。行こうにも行けない韓愈を、兵士の妻や、嫁入りの娘に喩え、詩経を釈文してあらわす。挺古詩をいかに巧みに作りうるかが、詩人の才能をはかる一つの尺度とされていた(科挙試験など)。この詩も『詩経』の諸篇とほとんどみわけがつかないぐらいうまく古調を模している点で高く評価されたのであろう。復古主義の韓愈はこうして、子供の時に約束した子供のように思っていた老成に語句の背面にある『詩経』の心を、老成にくみ取らせ、老成が『詩経』を読むたびに韓愈を思い、寂しさを勉学に向かわせようとした。中國の人々は老成と同じ気持ちになって、韓愈の思いやりを読み取ったのである。したがって韓愈のこの詩が人々の中に受け入れられたのであり、華美、美辞麗句、艶歌に向かいがちであった人たちに古き詩文の新しさを感じさせたのである。


我徂京師,不遠其還。
そして私は長安の都に行ったままだけど、そんなに遠くではないやがて君をむかえに帰るよ。