苦寒 韓愈<45>#8 Ⅱ韓退之(韓愈)詩327 紀頌之の漢詩ブログ 1060
*『唐書』の五行志によると、803良元十九年三月に大雪が降った。三月といえば、太陽暦では四月の末から五月のはじめにかけてに当たる。よほど不順な気候だったわけで、この詩はその時の模様につて、諷刺的な傾向の強い詩として書かれたものである。

苦寒 #1
四時各平分,一氣不可兼。
隆寒奪春序,顓頊固不廉。
太昊弛維綱,畏避但守謙。
遂令黄泉下,萌牙夭句尖。」
#2
草木不複抽,百味失苦甜。
凶飆攪宇宙,铓刃甚割砭。
日月雖雲尊,不能活烏蟾。
羲和送日出,恇怯頻窺覘。」
#3
炎帝持祝融,呵噓不相炎。
而我當此時,恩光何由沾。
肌膚生鱗甲,衣被如刀鐮。
氣寒鼻莫嗅,血凍指不拈。」
#4
濁醪沸入喉,口角如銜箝。
將持匕箸食,觸指如排簽。
侵鑪不覺暖,熾炭屢已添。
探湯無所益,何況纊與縑。」
#5
虎豹僵穴中,蛟螭死幽潛。
熒惑喪纏次,六龍冰脱髯。
芒碭大包内,生類恐盡殲。
啾啾窗間雀,不知已微纖。
擧頭仰天鳴,所願晷刻淹。」
#6
不如彈射死,卻得親炰燖。
鸞皇苟不存,爾固不在占。
其餘蠢動儔,俱死誰恩嫌。
伊我稱最靈,不能女覆苫。
悲哀激憤歎,五藏難安恬。」
#7
中宵倚牆立,淫淚何漸漸。
天王哀無辜,惠我下顧瞻。
褰旒去耳纊,調和進梅鹽。
賢能日登禦,黜彼傲與憸。
生風吹死氣,豁達如褰簾。」
#8
懸乳零落堕,晨光入前檐。
ツララがすべてくずれおちてきた、朝の光が軒先に差し込んできていたのだ。
雪霜頓銷釋,土脈膏且黏。
するとふかく積もった雪もとけはじめている、土が顔を出し始め台地は油で地肌を整えたようになり、そして粘土の様にしっとりと潤いを見せている。
豈徒蘭蕙榮,施及艾與蒹。
どういうものか見る間に蘭のよい香や蘭のように薫るよい草がさかんになってくる、また、ヨモギやアシばんぶつが芽をふいてくるのである。
日萼行鑠鑠,風條坐襜襜。
日に映えて花はきらきらと輝いている、風はそよぎそぞろに枝にさらさらとぬけていく。
天乎苟其能,吾死意亦厭。」
もしわたしの春の思いの望みをかなえてくださるならば、その代償としてわたしが死なねばならないとしても、それでもわたしは満足するでしょう。

寒きに苦しむ #1
四時 各々 平分し、一気 兼ぬ可からず。
隆寒【りゅうかん】 春序を奪ふは、顓頊【せんぎょく】 固に廉ならず。
太昊【たいこう】 維綱【いこう】を弛め、畏避【いひ】して 但 謙を守る。
遂に黄泉の下【もと】をして、萌牙【ほうが】 勾尖【こうせん】を夭【よう】せしむ。
#2
草木 復 柚【ぬ】かず、百昧【ひゃくみ】 苦甜【くてん】を失ふ。
凶飆【きょうふう】 宇宙を攪【みだ】し、鑑刀【ぼうじん】 割砭【かつへん】より甚【はなはだ】し。
日月は尊しと云ふと韓も、烏蟾【うせん】を活かす能はず。
義和 日を造って出づるに、恇怯【きょうきょう】して頻りに窺覘するのみ。
#3
炎帝 祝融【しゅくゆう】を持【ひか】え、呵嘘【かきょ】して 相 炎【も】えしめず。
而も 我 此の時に當って、恩光 何に由ってか沾【うるは】はむ。
肌膚【きふ】鱗甲【りんこう】生じ、衣被【いひ】刀鐮【とうれん】の如し。
気 寒くして 鼻 嗅ぐなく、血 凍って 指 拈めず。
#4
濁醪【だくろう】沸いて 喉に入れども、口角 箝を銜める如し。
將に匕箸【ひちょ】を持して食はむとするに、指に觸【ふ】るること簽【せん】を排【なら】ぶるが如し。
鑪【ろ】を侵して暖【だん】を覚えず、炭を熾【さかん】にして 屡【しばしば】 己に添【そ】ふ。
湯を探れども益【えき】する所無し、何に況んや纊【こう】と縑【けん】とをや。
#5
虎豹【こひょう】穴中に僵【たう】れ、蛟螭【こうち】 幽潜【ゆうせん】に死す。
熒惑 纏次【てんじ】を喪【うしな】ひ、六龍【りくりゅう】冰って 髭脱く。
芒碭【ぼうとう】たる大包の内、生類【しょうるい】恐らくは盡く殲【つ】きむ。
啾啾たり窗間【そうかん】の雀、己の微纖【びせん】なるを知らず。
頭を挙げ 天を仰いで 鳴く、願う所は晷刻【きこく】の淹【ひさ】しからむことを。
#6
如【し】かず 彈射【だんしゃ】せられて死し、卻【かえ】って親く炰燖【ほうじん】せらるるを得むには。
鸞皇【らんこう】苟【いやし】くも存せず、爾【なんじ】は固【もと】より占【せん】に在らず。
其の餘【よ】の蠢動【しゅんどう】する儔【たぐい】、俱【とも】に死すとも誰か恩嫌【おんけん】せむ。
伊【こ】れ 我 最も靈なりと稱すとも、女【なんじ】を覆苫【ふくせん】すること能はず。
悲哀【ひあい】 激して 憤歎【ふんたん】し、五臓【ごぞう】 安恬【あんてん】し難し。
#7
中宵【ちゅうしょう】牆【かき】に倚って立てば、淫涙【いんるい】何ぞ 漸漸【ぜんぜん】たる。
天や 無辜【むこう】を哀み、我を惠みて下に顧瞻【こせん】せよ。
旒【りゅう】を褰【かか】げて耳纊【じこう】を去り、調和するに梅鹽【ばいえん】を進めよ。
賢能 日に登御【とうぎょ】し、彼の傲【ごう】と憸【せん】とを黜【しりぞ】けよ
生風【せいふう】死気【しき】を吹き、豁達【かくたつ】 簾【すだれ】を褰【かか】ぐる如くならむ。
#8
懸乳【けんにゅう】零落【れいらく】して堕ち、晨光【しんこう】 前檐【ぜんえん】に入り。
雪霜【せつそう】頓【とみ】に銷釋【しょうしゃく】し、且土脈【どみゃく】膏【こう】にして 且 黏【でん】ならむ。
豈 徒に蘭と蕙との榮【はなさ】くのみならむや、施【し】いて艾【かい】と蒹【けん】に及ばむ。
日萼【じつがく】行くゆく鑠鑠【しゃくしゃく】たり,風條【ふうじょう】坐【い】ながら襜襜【せんせん】たり。
天乎【てんや】苟【いやし】くも其れ能くせは,吾死すとも意【こころ】に亦厭【た】りなむ。」


現代語訳と訳註
(本文)
#8
懸乳零落堕,晨光入前檐。
雪霜頓銷釋,土脈膏且黏。
豈徒蘭蕙榮,施及艾與蒹。
日萼行鑠鑠,風條坐襜襜。
天乎苟其能,吾死意亦厭。」


(下し文) #8
懸乳【けんにゅう】零落【れいらく】して堕ち、晨光【しんこう】 前檐【ぜんえん】に入り。
雪霜【せつそう】頓【とみ】に銷釋【しょうしゃく】し、且土脈【どみゃく】膏【こう】にして 且 黏【でん】ならむ。
豈 徒に蘭と蕙との榮【はなさ】くのみならむや、施【し】いて艾【かい】と蒹【けん】に及ばむ。
日萼【じつがく】行くゆく鑠鑠【しゃくしゃく】たり,風條【ふうじょう】坐【い】ながら襜襜【せんせん】たり。
天乎【てんや】苟【いやし】くも其れ能くせは,吾死すとも意【こころ】に亦厭【た】りなむ。」


(現代語訳)
ツララがすべてくずれおちてきた、朝の光が軒先に差し込んできていたのだ。
するとふかく積もった雪もとけはじめている、土が顔を出し始め台地は油で地肌を整えたようになり、そして粘土の様にしっとりと潤いを見せている。
どういうものか見る間に蘭のよい香や蘭のように薫るよい草がさかんになってくる、また、ヨモギやアシばんぶつが芽をふいてくるのである。
どういうものか見る間に蘭のよい香や蘭のように薫るよい草がさかんになってくる、また、ヨモギやアシばんぶつが芽をふいてくるのである。
日に映えて花はきらきらと輝いている、風はそよぎそぞろに枝にさらさらとぬけていく。
もしわたしの春の思いの望みをかなえてくださるならば、その代償としてわたしが死なねばならないとしても、それでもわたしは満足するでしょう。


(訳注) #8
懸乳零落堕,晨光入前檐。
ツララがすべてくずれおちてきた、朝の光が軒先に差し込んできていたのだ。
懸乳 つらら。○晨光 明け方の光。○前檐 のきさき。


雪霜頓銷釋,土脈膏且黏。
するとふかく積もった雪もとけはじめている、土が顔を出し始め台地は油で地肌を整えたようになり、そして粘土の様にしっとりと潤いを見せている。
 すぐ。○銷釋 消解、消散。銷は消とおなじ。とけてきえる。○土脈 土地の脈絡。○膏且黏 膏:あぶら、潤肌膏 黏:(1)ねばりけがあること。また、ねばねばするもの。 (2)「粘土(ねばつち)」に同じ。。


豈徒蘭蕙榮,施及艾與蒹。
どういうものか見る間に蘭のよい香や蘭のように薫るよい草がさかんになってくる、また、ヨモギやアシばんぶつが芽をふいてくるのである。
蘭蕙 蘭のよい香。蘭のように薫るよい草。『楚辞』ではつねにすぐれた人物と美人にたとえられる。○艾與蒹 よもぎとあし。どこにでもある草。一般の人にたぐえる。


日萼行鑠鑠,風條坐襜襜。
日に映えて花はきらきらと輝いている、風はそよぎそぞろに枝にさらさらとぬけていく。
○日萼 日の光に照り映える花。○轢轢 きらきらとかがやくさま。○風條 夙にふかれる枝。條:細く垂れさがった枝、柳条という表現が多い。○襜襜 さやさやとそよぐさま。


天乎苟其能,吾死意亦厭。」
もしわたしの春の思いの望みをかなえてくださるならば、その代償としてわたしが死なねばならないとしても、それでもわたしは満足するでしょう。
筍其能 もしわたしの望みをかなえてくださるならば。○吾死意亦厭 その代償としてわたしが死なねばならないとしても、それでもわたしは満足するでしょう。
*『唐書』の五行志によると、803良元十九年三月に大雪が降った。三月といえば、太陽暦では四月の末から五月のはじめにかけてに当たる。よほど不順な気候だったわけで、この詩はその時の模様につて、諷刺的な傾向の強い詩として書かれたものである。800年前後10年(805年陸贄が死没)陸贄の不遇を詠ったものであろう。


陸贄(りくし730~805)
 (792年)韓愈を進士に及第させた人
  字は敬輿。蘇州嘉興の人。十八歳のとき、進士に及第した。華州鄭県の県尉・渭南県主簿・監察御史などを歴任した。徳宗が即位すると、翰林学士となった。帝の不興も恐れず、帝の重用していた盧杞の罪を鳴らしてやまなかったという。建中四年(783)、朱泚が叛乱を起こすと徳宗に従って奉天に避難した。官は考功郎中に遷った。朱泚が大秦皇帝を名乗って勢威をほこったため、陸贄は徳宗に己を罪する詔を下すことを勧めた。その方策はあたって、罪を許された藩鎮が帰順したので、危機は去った。李懐光が叛乱したときも、徳宗は梁州に逃れたが、陸贄は諫議大夫としてこれに従った。貞元八年(792)、中書侍郎・同門下同平章事(宰相)に上った。この年科挙の試験で韓愈を及第させた。両税法の改革を推進した。十年(794)、裴延齢の讒言を信じた徳宗により宰相職を罷免され、太子賓客に任ぜられた。翌年、旱害や辺境防備について上疏したところ、かえって誣告を受けて忠州別駕に左遷された。忠州にあること十年、順宗が呼び戻そうとしたが、詔書が届く前に病没した。『陸氏集験方』。