別盈上人 韓退之(韓愈)詩<53>Ⅱ中唐詩349 紀頌之の漢詩ブログ1126
805年順宗永貞元年 七言絕句


別盈上人
盈上人と別れる
山僧愛山出無期,俗士牽俗來何時。
この山で修行の僧侶は山を愛でており、この山を出る約束時などは有りはしない、わたしなど世俗の士であるため、世俗にひかれているのでいつかまた来るということなのだ。
祝融峰下一回首,即是此生長別離。

祝融峯のすその野ほとりをひと度振り返り、みわたしてみたのである、この山の世界はこの人の世とは永久の別れということなのだ。

盈上人に別る
山僧 山を愛して出づるに期無し,俗士は俗に牽かる 来ること何れの時ならむ。
祝融峰 下に一たび首を廻さば,即ち是れ 比の生の長き別離なり。



現代語訳と訳註
(本文)
別盈上人
山僧愛山出無期,俗士牽俗來何時。
祝融峰下一回首,即是此生長別離。


(下し文) 盈上人に別る
山僧 山を愛して出づるに期無し,俗士は俗に牽かる 来ること何れの時ならむ。
祝融峰 下に一たび首を廻さば,即ち是れ 比の生の長き別離なり。


(現代語訳)
盈上人と別れる
この山で修行の僧侶は山を愛でており、この山を出る約束時などは有りはしない、わたしなど世俗の士であるため、世俗にひかれているのでいつかまた来るということなのだ。
祝融峯のすその野ほとりをひと度振り返り、みわたしてみたのである、この山の世界はこの人の世とは永久の別れということなのだ。


(訳注)
別盈上人

盈上人と別れる
・別盈上人 民本巻九。衡山で韓危がとまった寺にいる僧におくった詩。この僧は同じ寺の希操上人の弟子の誠盈という人だろうといわれ、般若経読誦の功をつんだ高徳の僧だったらしい。
盈上人,即誡盈律師,時居衡山中院
柳宗元『衡山中院大律師塔銘』
「誡盈,蓋衡山中院大律師希操之弟子也。」夫佛門號律師者,率以輕重等持,守戒精嚴著稱

韓愈が五嶺山脈の南、陽山に流刑されて2年,805年順宗の永貞元年,大赦され,陽山から帰る時、衡山、湘州に立ち寄った。赴任先が決まらず、報せを待つ間、衡嶽廟に拝謁、嶽寺にしゅくはくした。
韓愈『謁衡嶽廟遂宿嶽寺題門樓』盈師の所で作ったものである。


山僧愛山出無期,俗士牽俗來何時。
この山で修行の僧侶は山を愛でており、この山を出る約束時などは有りはしない、わたしなど世俗の士であるため、世俗にひかれているのでいつかまた来るということなのだ。
出無期 山を出る時などはなさそうだ、というほどの意。・俗士 相手が僧だから、自分のことをこう謙称している。・牽俗 世俗のことに牽制せられる。宋玉の「招魂」に「俗に牽かれて蕪猿たり」という語が見える。
韓愈が僧に贈った詩としては珍しく素直な作品だ。盈上人がそれだけすぐれた僧だったのだろう.


祝融峰下一回首,即是此生長別離。
祝融峯のすその野ほとりをひと度振り返り、みわたしてみたのである、この山の世界はこの人の世とは永久の別れということなのだ。
祝融峰 海拔1290米で,衡山の最高峰であり,古代帝王三皇の一の祝融が曾てここに栖息奏楽し,死後もこの地に葬ったので,この名があると伝わる。祝融峰の高きことは衡山の一絶である。峰は群山を繞らし,その中心の“独尊”の位置にある。山高く風強きがゆえに,“草木は堅痩”で,蒼松は低矮である。峰頂には祝融殿があり,その旁には望月台や,風穴雷池がある。風穴は“雨の降らんとするや陰風怒号する(毎雨將作,陰風怒号,自其穴而発)”。雷池は古人の禱雨の場所であり,旁には甘泉が涌流する。峰下には羅漢洞、舍身崖、会仙橋などの景観点がある。峰頂の気象は変化に富み,“煙靄未だ盡きず澄徹”なる時,“四望すれば渺然として極るところを知らず”,“大海の只中にいる”が如くである。月明く星稀なる夜には,月西に沈み“下界の月は盡きても ,ここはまだ清光低からず(人間朗魄巳皆盡 ,此地清光猶未低)”(孫應鰲)の趣きがある。日の出に至っては,尚更に多くの登山者の感動するところである。古くから,多くの文人雅士が雲集し詩篇を残している。