陪杜侍御遊湘西兩寺獨宿有題一首,因獻楊常侍(3) 韓退之(韓愈)詩<55-#3>Ⅱ中唐詩353 紀頌之の漢詩ブログ1138


幸逢車馬歸,獨宿門不掩。
程好い機転に、わたしを送るためにやってきた車や馬が帰ってくれたのは幸せに感じることだ。ひとりで過ごす宿の気楽さで戸口をしめることもしないのだ。
山樓黑無月,漁火燦星點。
山車の楼台は月もない漆黒のなかに沈んでいく、漁火は星かと見まちがえるかのようにキラリと遠く燦いている。
夜風一何喧,杉檜屢磨颭。
夜風が吹きそのなんという騒がしさを起すのだろう、杉や檜がひっきりなしに擦れ合いざわめいている。
猶疑在波濤,怵惕夢成魘。
その風と木々の音はまるで波涛に漂うような錯覚におちいってしまう、それでびっくりして目覚めると 夢にうなされているのだった。
靜思屈原沈,遠憶賈誼貶。
冷静に考えればここは屈原が身を沈めたところである、遠い昔の世ながらおもいかえせば、賈誼が流されたのもここである。


幸に軍馬の帰るに逢ひ、濁り宿って 門 掩【おお】はず
山楼【さんろう】 黒くして 月無く、漁火【ぎょか】 燦【さん】として 星のごとく點ず。
夜風 一に何ぞ喧【かまびす】しき、杉檜【さんかい】 屡【しばし】ば磨颭【ません】す。
猶は疑ふらくは波涛【はとう】に在るがごとく、怵惕【じゅつてき】して 夢 魘【えん】を成す。
静に屈原の沈みしを思い、遠く賈誼【かぎ】の貶【へん】せられしを憶ふ。


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現代語訳と訳註
(本文)

幸逢車馬歸,獨宿門不掩。山樓黑無月,漁火燦星點。
夜風一何喧,杉檜屢磨颭。猶疑在波濤,怵惕夢成魘。
靜思屈原沈,遠憶賈誼貶。

(下し文)#3
幸に軍馬の帰るに逢ひ、濁り宿って 門 掩【おお】はず
山楼【さんろう】 黒くして 月無く、漁火【ぎょか】 燦【さん】として 星のごとく點ず。
夜風 一に何ぞ喧【かまびす】しき、杉檜【さんかい】 屡【しばし】ば磨颭【ません】す。
猶は疑ふらくは波涛【はとう】に在るがごとく、怵惕【じゅつてき】して 夢 魘【えん】を成す。
静に屈原の沈みしを思い、遠く賈誼【かぎ】の貶【へん】せられしを憶ふ。

(現代語訳)
程好い機転に、わたしを送るためにやってきた車や馬が帰ってくれたのは幸せに感じることだ。ひとりで過ごす宿の気楽さで戸口をしめることもしないのだ。
山車の楼台は月もない漆黒のなかに沈んでいく、漁火は星かと見まちがえるかのようにキラリと遠く燦いている。
夜風が吹きそのなんという騒がしさを起すのだろう、杉や檜がひっきりなしに擦れ合いざわめいている。
その風と木々の音はまるで波涛に漂うような錯覚におちいってしまう、それでびっくりして目覚めると 夢にうなされているのだった。
冷静に考えればここは屈原が身を沈めたところである、遠い昔の世ながらおもいかえせば、賈誼が流されたのもここである。


(訳注)
幸逢車馬歸,獨宿門不掩。
程好い機転に、わたしを送るためにやってきた車や馬が帰ってくれたのは幸せに感じることだ。ひとりで過ごす宿の気楽さで戸口をしめることもしないのだ。
幸逢車馬歸 わたしを送るためにやってきた車や馬が帰ってくれたのは幸せだ。相手が気をきかせてくれたことを感謝しているのだ。


山樓黑無月,漁火燦星點。
山車の楼台は月もない漆黒のなかに沈んでいく、漁火は星かと見まちがえるかのようにキラリと遠く燦いている。


夜風一何喧,杉檜屢磨颭。
夜風が吹きそのなんという騒がしさを起すのだろう、杉や檜がひっきりなしに擦れ合いざわめいている。
・磨颭 磨はすれる。颭は風が吹いて波立つ。立つ。山楼崇拝月からここまでの四旬は、山寺の夜を映してまことに美しい。


猶疑在波濤,怵惕夢成魘。
その風と木々の音はまるで波涛に漂うような錯覚におちいってしまう、それでびっくりして目覚めると 夢にうなされているのだった。
・猶疑在波濤 杉や槍の木立の波だち騒ぐ音を暗い部屋で聞いているといつの間にか、嵐ふく波涛の中に漂うているかと錯覚する。その錯覚がただちにかれを陽山左遷の回想へと駆りたて、洞庭湖上の苦しい体験に結びつくのだ。

中唐詩-295 岳陽樓別竇司直 #1 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-36-#1

怵惕 おそれて心が安らかでないさま。 ・夢成魘 夢の中でうなされる。


靜思屈原沈,遠憶賈誼貶。
冷静に考えればここは屈原が身を沈めたところである、遠い昔の世ながらおもいかえせば、賈誼が流されたのもここである。
・屈原沈 屈原は名は平、原はその字、号は霊均。戦国時代の楚の人。楚王の一族で、懐王に仕え、三閭大夫となり国政にたずさわって信任されたが、懐王の弟の令尹子蘭や大夫の子槭に妬まれ、王からも疎まれるようになった。懐王の子㐮王はかれを長抄に追放した。「離騒」はじめ楚辞の諸篇はかれの作である。長沙
を放浪中、ついに汨羅の淵に投身自殺した。
要誼茫 漢代の洛陽の人。わずか二十歳で孝文帝に召されて博士となり、一年のうちに大中大夫となり、法制の改革にカをつくしたが、重臣である絳侯の周勃や穎陰侯の潅嬰に妬まれ、長沙王の傅に左遷された。のち梁の懐王の大将となり、三十三歳で死んだ。屈原とともに、すぐれた才能をもつがゆえに不遇であった文人としてよく例にひかれる。

李白行路難三首 其一 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白183』参照。

賈誼 漢の孝文帝劉恒(紀元前202-157年)に仕えた文人賈誼(紀元前201―169年)のこと。洛陽の人。諸吉家の説に通じ、二十歳で博士となった。一年後、太中大夫すなわち内閣建議官となり、法律の改革にのりだして寵任されたが、若輩にして高官についたことを重臣たちに嫉まれ、長沙王の傅に左遷された。のち呼び戻され、孝文帝の鬼神の事に関する質問に答え、弁説して夜にまで及び、孝文帝は坐席をのりだして聴き入ったと伝えられる。その後、孝文帝の少子である梁の懐王の傅となり、まもなく三十三歳を以て死んだ。屈原を弔う文及び鵩(みみずく)の賦が有名。賈誼が長沙にいた時、「目鳥 其の承塵に集まる」。目鳥はふくろうに似た鳥というが、詩文のなかのみにあらわれ、その家の主人の死を予兆する不吉な鳥とされる。賈誼はその出現におびえ、「鵩鳥の賦」(『文選』巻一三)を著した。

李商隠「賈生」 李商隠:紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 64 参照

贈劉司戸蕡  李商隠

哭劉蕡  李商隠 :紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 36 

寄令狐郎中 李商隠 :紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 37 

杜司勲  李商隠 :紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 38

哭劉司戸二首 其一 李商隠 :紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 39 

哭劉司戸二首其二 李商隠:紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 40

潭州 李商隠 :紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 41


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