陪杜侍御遊湘西兩寺獨宿有題一首,因獻楊常侍(4) 韓退之(韓愈) 詩<55-#4>Ⅱ中唐詩354 紀頌之の漢詩ブログ1141


椒蘭爭妒忌,絳灌共讒諂。
唐の王椒文や漢の呉子蘭は凄まじい妬みと怨みにより政権を争った。周勃と濯嬰は共に讒言したり、こびへつらうことで政権を握った。
誰令悲生腸,坐使淚盈臉。
屈原や賈誼とわたしとは、時代をへだて環境を異にするが、罪なくして貶められ、謫せられ、長沙のほとりをさまよう点では同じだ。だがわたしの場合、誰が悲しみを共にしてくれるのであろうかというのである。そしてそぞろに、頬に涙をあふれさせていてくれるのか。
翻飛乏羽翼,指摘困瑕玷。
天上に飛翔するにはわたしは羽翼をもっているわけではなく、そのうえ、いわれのない指摘をされ、その欠点によってこの苦しみをしているのである。
珥貂藩維重,政化類分陝。
揚常侍は貂の尾と金璫とを插み、蝉をつけて飾りとした冠つけ藩屏の重責を良くわかっておられる方である。あなたの治績は隣を境に国政を分担された周の周公と召公にも似るお方なのだ。
禮賢道何優,奉己事苦儉。
賢者には礼をつくしてなんと優遇されることが本道であり、しかも自分の生活に対してはなんときびしい質素倹約をしておられるのだ。


椒蘭【しょうらん】 爭ひて妒忌【とき】し、絳灌【こうかん】 共に讒諂【ざんてん】す。
誰か悲をして腸に生ぜしめ、坐【そぞろ】に涙をして臉【ほほ】に盈【み】てしむる。
翻飛【はんひ】せむとするも羽翼【うよく】に乏しく、指摘【してき】して瑕玷【かてん】に困【くるし】めらる。
貂【ちょう】を珥【さしはさ】んで藩維【はんい】重く、政化は陝【せん】を分ちしに類【に】たり。
賢を礼して 道 何ぞ優【ゆう】なる、己【おのれ】を奉ずるに 事 苦【はなは】だ倹【けん】なり。


現代語訳と訳註
(本文)

椒蘭爭妒忌,絳灌共讒諂。
誰令悲生腸,坐使淚盈臉。
翻飛乏羽翼,指摘困瑕玷。
珥貂藩維重,政化類分陝。
禮賢道何優,奉己事苦儉。

(下し文) #4
椒蘭【しょうらん】 爭ひて妒忌【とき】し、絳灌【こうかん】 共に讒諂【ざんてん】す。
誰か悲をして腸に生ぜしめ、坐【そぞろ】に涙をして臉【ほほ】に盈【み】てしむる。
翻飛【はんひ】せむとするも羽翼【うよく】に乏しく、指摘【してき】して瑕玷【かてん】に困【くるし】めらる。
貂【ちょう】を珥【さしはさ】んで藩維【はんい】重く、政化は陝【せん】を分ちしに類【に】たり。
賢を礼して 道 何ぞ優【ゆう】なる、己【おのれ】を奉ずるに 事 苦【はなは】だ倹【けん】なり。


(現代語訳)
唐の王椒文や漢の呉子蘭は凄まじい妬みと怨みにより政権を争った。周勃と濯嬰は共に讒言したり、こびへつらうことで政権を握った。
屈原や賈誼とわたしとは、時代をへだて環境を異にするが、罪なくして貶められ、謫せられ、長沙のほとりをさまよう点では同じだ。だがわたしの場合、誰が悲しみを共にしてくれるのであろうかというのである。そしてそぞろに、頬に涙をあふれさせていてくれるのか。
天上に飛翔するにはわたしは羽翼をもっているわけではなく、そのうえ、いわれのない指摘をされ、その欠点によってこの苦しみをしているのである。
揚常侍は貂の尾と金璫とを插み、蝉をつけて飾りとした冠つけ藩屏の重責を良くわかっておられる方である。あなたの治績は隣を境に国政を分担された周の周公と召公にも似るお方なのだ。
賢者には礼をつくしてなんと優遇されることが本道であり、しかも自分の生活に対してはなんときびしい質素倹約をしておられるのだ。


 (訳注)
椒蘭爭妒忌,絳灌共讒諂。
唐の王椒文や漢の呉子蘭は凄まじい妬みと怨みにより政権を争った。周勃と濯嬰は共に讒言したり、こびへつらうことで政権を握った。
椒蘭 王椒文(おうしゅくぶん)805年正月徳宗が崩御、順宗が即位し、気に入られていた王叔文は王伾と組んで政権を握った。しかし、凄まじい妬みと怨みにより七月には政権を追われやがて八月憲宗の即位に伴い名がされ翌年には殺された。この王叔文の事件で韓愈は都に復帰できるのである。 ・蘭  呉子蘭(ごしらん、生年不詳~200年)、名は不詳で子蘭は後漢朝の将軍。献帝が董承に曹操暗殺の密勅を出した際、董承に協力していた将軍。 しかし事が露見し、董承らと共に殺された。・妒忌 ねたむ,嫉妬する,
絳灌 周勃と濯嬰。周勃(しゅう ぼつ、? - 紀元前169年)は、中国の秦末から前漢初期にかけての武将、政治家。子は世子の周勝之、条侯・周亜夫、平曲侯・周堅らがいる。爵位は絳侯。諡号は武侯。・灌嬰(かん えい、? - 紀元前176年)は、中国の秦・前漢時代の武将。 ・讒諂 讒言することと、こびへつらうこと。諂う【へつらう】相手の気に入るようにふるまう。機嫌をとる。おもねる。


誰令悲生腸,坐使淚盈臉。
屈原や賈誼とわたしとは、時代をへだて環境を異にするが、罪なくして貶められ、謫せられ、長沙のほとりをさまよう点では同じだ。だがわたしの場合、誰が悲しみを共にしてくれるのであろうかというのである。そしてそぞろに、頬に涙をあふれさせていてくれるのか。
誰令悲 屈原や賈誼とわたしとは、時代をへだて環境を異にするが、罪なくして貶められ、謫せられ、長沙のほとりをさまよう点では同じだ。だがわたしの場合、誰が悲しみを共にしてくれるのであろうかというのである。


翻飛乏羽翼,指摘困瑕玷。
天上に飛翔するにはわたしは羽翼をもっているわけではなく、そのうえ、いわれのない指摘をされ、その欠点によってこの苦しみをしているのである。
瑕玷 欠点。


珥貂藩維重,政化類分陝。
揚常侍は貂の尾と金璫とを插み、蝉をつけて飾りとした冠つけ藩屏の重責を良くわかっておられる方である。あなたの治績は隣を境に国政を分担された周の周公と召公にも似るお方なのだ。
・珥 漢代に侍中・常侍の冠には、貂の尾と金璫とを插み、蝉をつけて飾りとした。珥はさしはさむ。あるいは耳を飾る玉。揚常侍に対していいかけていることばだ。・藩維 藩は王庭の藩屏、維は天下を維持すること。揚常侍は監察使だから諸侯にひとしい地位だ、とたたえているのだ。・分陝 周の周公と召公は隣の地を境として天下の政治を二分して担当したことをいう。


禮賢道何優,奉己事苦儉。
賢者には礼をつくしてなんと優遇されることが本道であり、しかも自分の生活に対してはなんときびしい質素倹約をしておられるのだ。