陪杜侍御遊湘西兩寺獨宿有題一首,因獻楊常侍(5) 韓退之(韓愈)詩<55-#5>Ⅱ中唐詩355 紀頌之の漢詩ブログ1144


805年 貞元二十一年、順宗の即位で、韓愈は大赦にあい、夏の終わりごろ陽山をたち、友人の張署がいる郴州にゆき、新任の命令を待った。ふたりは、もう一人の友李方叔とともに、同じとき監察御史から左遷され、ともに南方僻地の県令となっていた。このたびの異動では、韓愈と張署のふたりが、共に、江陵府の法曹参軍事となった。正式の任命書をうけとると、韓愈は任地に向かい、途中、衡山に立ち寄り『謁衡獄廟遂宿獄寺題門樓』「衡嶽廟に閲し、遂に嶽寺に宿り、門樓に題す」、『岣嶁山』「岣嶁の山」、『別盈上人』「盈上人に別る」、『祝融峰』「祝融の峰」などの詩をつくった。

さらに北上して、潭州、いまの湖南省長沙市に入り、その地方の長官である湖南観察使の楊憑をたずね、その部下の侍御史の社某の案内で湘西寺に遊び『陪杜侍御遊湘西兩寺獨宿有題一首』「杜侍御に陪して湘西両寺に游び独宿し、一首題あり、因って楊常侍に献ず」をつくった。
805年 この年は、中央では、順宗が即位し、王叔文党が政権をにぎり、まもなく皇太子が摂政となり、王叔文が追放され、順宗が譲位し、皇太子が即位し、永貞と改元した実に慌ただしい年で朝廷内の大混乱の杜詩であったとされる。その永貞元年も、韓愈が江陵に到着してまもなくおわる。新しい年をむかえ、新帝憲宗は、元号を「元和」と改めた。


大廈棟方隆,巨川楫行剡。
あなたこそは興隆していく大きな家を支える棟木のようなお方である。書経や易経でいう大河を渡らせた船の楫として仕上げの削りを受けているような信頼のおける方なのである。
經營誠少暇,遊宴固已歉。
常侍の仕事に夢中に務めていて少しの暇もおもちにならぬ誠実なお方である、わたしのために宴会をひらかれなかったのも、儒者として質素倹約をもとにしており、凶作などで民が苦しんでいることに対し後ろめたさをお感じになるからでしょう。
旅程愧淹留,徂歲嗟荏苒。
旅路の予定として愚図愚図と逗留していることについて恥ずかしく、ああ、なすことのないまま歳月が過ごしてしまっていることか。
平生每多感,柔翰遇頻染。
わたしは平生から折にふれ感動しやすい性格をしてる。ここで感じたことを墨をしっかりふくませた筆でしきりにしきりに書きつけるのである。
輾轉嶺猿鳴,曙燈青睒睒。
寝返りをうつと高い嶺で猿の悲しい叫びが耳に聞えてくる、そして、眠りの浅いままに、明け方の燈火は睒睒と青くゆらいでいるのである。


大廈【たいか】棟 方【まさ】に隆【たか】く、巨川【きょせん】楫【かじ】行く削【けず】る。
経営【けいえい】して誠に暇【いとま】少く、遊宴【ゆうえん】は固【もと】より己【すで】に歉【あきた】りず。
旅程【りょてい】 淹留【えんりゅう】を愧【は】ぢ、徂歲【そさい】 荏苒【じんぜん】を嗟【さ】す
平生【へいぜい】毎【つね】に感ずること多く、柔翰【じゅうかん】遇【たまた】ま頻【しきり】に染む。
展転【てんでん】して 嶺猿【れいえん】鳴き、曙燈【しょとう】 青くして睒睒【せんせん】たり。


現代語訳と訳註
(本文)

大廈棟方隆,巨川楫行剡。經營誠少暇,遊宴固已歉。
旅程愧淹留,徂歲嗟荏苒。平生每多感,柔翰遇頻染。
輾轉嶺猿鳴,曙燈青睒睒。


(下し文)#5
大廈【たいか】棟 方【まさ】に隆【たか】く、巨川【きょせん】楫【かじ】行く削【けず】る。
経営【けいえい】して誠に暇【いとま】少く、遊宴【ゆうえん】は固【もと】より己【すで】に歉【あきた】りず。
旅程【りょてい】 淹留【えんりゅう】を愧【は】ぢ、徂歲【そさい】 荏苒【じんぜん】を嗟【さ】す
平生【へいぜい】毎【つね】に感ずること多く、柔翰【じゅうかん】遇【たまた】ま頻【しきり】に染む。
展転【てんでん】して 嶺猿【れいえん】鳴き、曙燈【しょとう】 青くして睒睒【せんせん】たり。


(現代語訳)
あなたこそは興隆していく大きな家を支える棟木のようなお方である。書経や易経でいう大河を渡らせた船の楫として仕上げの削りを受けているような信頼のおける方なのである。
常侍の仕事に夢中に務めていて少しの暇もおもちにならぬ誠実なお方である、わたしのために宴会をひらかれなかったのも、儒者として質素倹約をもとにしており、凶作などで民が苦しんでいることに対し後ろめたさをお感じになるからでしょう。
旅路の予定として愚図愚図と逗留していることについて恥ずかしく、ああ、なすことのないまま歳月が過ごしてしまっていることか。
わたしは平生から折にふれ感動しやすい性格をしてる。ここで感じたことを墨をしっかりふくませた筆でしきりにしきりに書きつけるのである。
寝返りをうつと高い嶺で猿の悲しい叫びが耳に聞えてくる、そして、眠りの浅いままに、明け方の燈火は睒睒と青くゆらいでいるのである。


(訳注)
大廈棟方隆,巨川楫行剡。
あなたこそは興隆していく大きな家を支える棟木のようなお方である。書経や易経でいう大河を渡らせた船の楫として仕上げの削りを受けているような信頼のおける方なのである。
 廈:おおきな家。寄棟の家。
巨川楫行剡 『書経』商書説命「若済巨川、用汝作舟楫。」(若し巨川を済らば、汝を用で舟楫と作さむ)殷の高宗が、夢に傅説を見、彼を得、彼のことを、巨川を渡るときの楫、日照りの時の霖雨に喩えた『書』説命上「若濟巨川、用汝作舟楫、若歳大旱、用汝作霖雨」とあり『易経』繋辞下伝に「蓋帝尭舜垂衣裳而天下治、蓋取諸乾坤、刳木為舟、剡木作楫、舟楫之利、以済不通、致遠以利天下、蓋取諸渙」(木を刳【えぐ】りて舟と為し、木を剟【けず】りて楫と為し、舟楫の利、以て通せざるを済し、遠きを致して以て天下を刺す)とある。、「黄帝や尭舜が衣裳を垂れたまま、ことさらの作為も施さずに天下が無事に治まったのは、おそらく乾坤の卦(乾坤は天地、天地の変化は無為自然)から思いついたことであろう。また木を刳り抜いて舟をつくり、木を剡(けず)って楫をつくり、これら舟と楫の便利さによって、今まで通れなかった水上に人を渡し遠方にまで行きつけるようにして天下の人々を利したのは、おそらく渙の卦(坎下巽上、坎は水、巽は木、すなわち水上に浮かぶ木の象)から思いついたことであろう。つまり楊常侍が今や巨川をわたす舟の楫としての信頼をうけ政治家としての仕上げのけずりをうけている人だ、ということ。
 

經營誠少暇,遊宴固已歉。
常侍の仕事に夢中に務めていて少しの暇もおもちにならぬ誠実なお方である、わたしのために宴会をひらかれなかったのも、儒者として質素倹約をもとにしており、凶作などで民が苦しんでいることに対し後ろめたさをお感じになるからでしょう。
遊宴固已歉 わたしのために宴会をひらかれなかったのも、儒者として質素倹約をもとにしており、凶作などで民が苦しんでいることに対し後ろめたさをお感じになるからでしょう。・ (1) 凶作,不作歉年凶年.(2) すまないと思う気持ち,遺憾(い/かん)の意抱歉申し訳なく思う.歉疚 ]気がとがめる,良心がうずく.歉收 凶作に見舞われる
 

旅程愧淹留,徂歲嗟荏苒。
旅路の予定として愚図愚図と逗留していることについて恥ずかしく、ああ、なすことのないまま歳月が過ごしてしまっていることか。
荏苒【じんぜん】なすことのないまま歳月が過ぎるさま。また、物事が延び延びになるさま。


平生每多感,柔翰遇頻染。
わたしは平生から折にふれ感動しやすい性格をしてる。ここで感じたことを墨をしっかりふくませた筆でしきりにしきりに書きつけるのである。
柔翰 墨をしっかりふくませた筆。
頻染 しきりに書きつける。


輾轉嶺猿鳴,曙燈青睒睒。
寝返りをうつと高い嶺で猿の悲しい叫びが耳に聞えてくる、そして、眠りの浅いままに、明け方の燈火は睒睒と青くゆらいでいるのである。
曙燈青睒睒 睒睒はひかりかがやくさま。眠りが浅く淡々と夜が明けていく表現に使われる。