感春四首其四 (4) 韓退之(韓愈)詩<60-#2>Ⅱ中唐詩362 紀頌之の漢詩ブログ1165



806年元和元年正月、南地の江陵には珍しく雪がどっさり降った。雪のふるなかに梅がさき、うぐいすが鳴いた。韓愈には、そのひとつびとつが、楽しく、うれしかった。うれしくなると詩ができた。「早春雪中聞鸎」(早春雪中に鷲を聞く)はそのひとつである。この詩には、いまにも都から、呼び戻されようとばかりに、そわそわしてしまって、それをうぐいすに言いわけしているようなところがみえる。
だが、待ちに待ったその便りは、杏の花のさくころになってもやって来ぬ。『杏花』『感春四首』(春に感ず四首)『憶昨行和張十一』(憶昨行張十一に和す)は、このころの作である。

83 感春四首 其一
我所思兮在何所,情多地遐兮遍處處。
わたしがいつも心におもうところ、それはどこだというのか、人と長く接すれば情というもの多くの行ったところで育つものであり、それはあちらこちら、遙かな所に点在するのである。
東西南北皆欲往,千江隔兮萬山阻。
東西南北、どこへでも行きたいと思っている。黄河、長江、淮河、あまたある河川に隔てられている、それはあまたの山々によって阻まれているのだ。
春風吹園雜花開,朝日照屋百鳥語。
今も吹いてくる東風、春の風はこの庭に吹き多くの花を咲かせ木々や草を成長させる。朝日はこの建物を照らし あらゆる鳥たちが囀り始めるのである。
三杯取醉不復論,一生長恨奈何許。
いっぱい飲む度、愚痴を言い、三杯も盃を傾けるころには酔いどれてしまい、もう論理が成り立たない。人生にとって理不尽な事への裏には長く続くものであり、これをどうしたらよいというのか。

(春に感ず四首 其の一)
我が思ふ所 何所【いずこ】に在りや、情 多く 地遐【とお】くして處處【しょしょ】に偏【あまね】し
東西南北 皆 住かむと欲すれども、千江 隔たり 萬山【まんざん】阻【へだ】つ。
春風 園を吹いて 雜花 開き、朝日 屋【おく】を照して 百鳥【ひゃくちょう】語る。
三盃 酔を取りて 復た論ぜざれ、一生 長恨 奈【い】何【か】許【ばかり】ぞ と。


84  感春四首 其二
皇天平分成四時,春氣漫誕最可悲。
天は、『楚辞』にいう春夏秋冬の四季は三カ月ずつ平均して配分されている。そして、朝、昼、夕、夜の四時、総運、人運、外運、地運の四運と成している、四季のうちの春の気をとりとめなく過ごしたとすると最も悲しいこととなってしまう。
雜花妝林草蓋地,白日坐上傾天維。
いろんな草花は森林を華やかに飾ってくれて地面を覆っている、真昼の太陽でさえも行楽で喜んでいるこの坐に花曇りとして天からの帷をしてくれているようだ。
蜂喧鳥咽留不得,紅萼萬片從風吹。
花の蜜を取って歩く蜂はうるさく飛んでいる、多くの鳥も囀ることを妨げるものはいない、紅い花弁、花房は風が吹いてきてその花びらを万片というほど散らしている。
豈如秋霜雖慘冽,摧落老物誰惜之。
秋の霜のように万物を凋落させるのは惨酷な上うに見えるかもしれないが、ほっておいてもくたばるような老いぼれどもをくだき落とすのだから、誰がそんなものどもを惜しもうか。
為此徑須沽酒飲,自外天地棄不疑。
ゆく春のためにただちに当たり前のことだけど酒を買って飲むのであるし、自分で天地の外に出ていって天地を棄ててしまっても、そのことに疑問ももたない。
(其の二)
皇天【こうてん】平分【へいぶん】して四時【しじ】と成す,春氣【しゅんき】漫誕【まんたん】として最も悲しむ可し。
雜花【ざつか】妝林【しょうりん】し 草は地を蓋【おお】う,白日【はくじつ】坐上【ざじょう】に 天維【てんい】を傾く。
蜂喧【かまびす】しく鳥咽【むせ】べども留め得ず,紅萼【こうがく】萬片【まんべん】風の吹くに從う。
豈 秋霜の如きは慘冽【さんれつ】と雖ども,老物を摧落【さいらく】する誰か之を惜まん。
此の為めに徑【ただ】ちに須【すべか】らく酒を沽【か】いて飲むべし,自ら天地を外にして 棄てて疑わず。
#2
近憐李杜無檢束,爛漫長醉多文辭。
李白や杜甫が、春になるといい機嫌に酔いどれて、やたらに詩を書き散らしたのを、だらしのないことだと思っていたが、ちかごろになって、かれらも、いまのわたしのような心情だったのだとわかり、共鳴できるようになった。
屈原離騷二十五,不肯餔啜糟與醨。
ところが屈原ときたら、離騒など二十五篇もの文章をつくっているが。その詩の中で漁夫も云っている「その酒かすを食べて、薄い酒を飲めばよいのに」というのをあえてしないのだ。
惜哉此子巧言語,不到聖處寧非癡。
惜しいことにはこの君は言葉がやたらに上手なのに、人間の諸悪・苦しみの根源というところではないにしても聖人とされるところには到達はしていない。
幸逢堯舜明四目,條理品彙皆得宜。
わたしには、「堯舜のように四方の事物に対して正しい観察力、分析力と判断力をおもちになる天子の御時世にあうことができて、ものごとのすじみちや分析が適当である。すべてがうまくいっている。」ということなのか。(とてもそうではない。)
平明出門暮歸舍,酩酊馬上知為誰。
平生は朝、夜明けには家の門を出て夕方暮れれば宿舎に帰る。帰り道、すでに馬上で酩酊していることを知っているからといって誰もができることである。

(其の二 #2)
近ごろ憐む李杜【りと】の檢束【けんそく】無くして,爛漫【らんまん】として長【とこしな】えに醉いて文辭【ぶんじ】多きを。
屈原 離騷 二十五,不肯【あ】えて糟【そう】と醨【り】を餔啜【ほせつ】せず。
惜しい哉 此の子 言語に巧【たくみ】なれども,聖處【せいしょ】に到らず寧【むし】ろ癡【さ】に非らざらんや。
幸【さいわい】に 堯舜【ぎょうしゅん】四目【しもく】を明かにするに逢い,品彙【ひんい】を條理【じょうり】して皆宜しきを得たり。
平明 出門して暮に歸舍し,馬上に酩酊【めいてい】することを知る誰とか為す。

DCF00117

85  感春四首 其三
朝騎一馬出,暝就一床臥。
朝になるたびに馬にまたがって門を出るのである。そして暮れてくると毎日のことであって床に就くのである。
詩書漸欲拋,節行久已惰。
今まで手放すことなどなかった『詩経』『書経』と『楚辞』詩集を、この頃では、めんどうくさくて、ほったらかしにするように、だんだんなってきたし、節度のある行動というものは儒教徒のつねづね心がけねばならないことなのだが、それもものぐさく、いいかげんにしだしてから、かなりの時間がたってしまった。
冠欹感發禿,語誤驚齒墮。
これでは、役人としての冠が傾いてしまってまるで髪の毛が禿げてしまったと思われてしまい様なものであり、勉強不足で語句を間違えてしまいまるで歯が抜け落ちてしまって驚くのと似ていることになってしまう。
孤負平生心,已矣知何奈。
儒者として平生のこととして心がけるべきことに背いてしまう、それをすんでしまったことだ、どうしようもないじゃないかといってしまっていいのだろうか。

其の三
朝に一馬を騎して出で,暝【くれ】に一床【いっしょう】に就【つ】きて臥す。
詩書【ししょ】漸【ようや】く拋【なげう】たんと欲す,節行【せつこう】久しく已に惰【おこた】れり。
冠 欹【そばだ】ちて 發【かみ】の禿【とく】なるを感ず,語 誤【あやま】ちて 齒の墮【おつ】るに。驚く。
孤負【こふ】す 平生の心,已【やんぬる】矣 知る何奈【いかん】せん。


86  感春四首 其四
我恨不如江頭人,長網橫江遮紫鱗。
わたしは隠遁して川辺で仕事する労働者のように できない自分自身のことを恨むのだけれど、仕掛けの長網を長江に打ちかけ紫鱗の魚をとらえるのである。
獨宿荒陂射鳧雁,賣納租賦官不嗔。
独り江の傍に宿しいばらや雑草の生いしげる荒れた堤で かもとかりを射るのだ、それを撃って租税を支払うこととし、そして貢物とすれば官僚は以下ることはないだろう。
歸來歡笑對妻子,衣食自給寧羞貧。
そうして帰って来て妻子と楽しく歓談すると微笑もでるというものだ、何より衣食を自給自足して貧しいものであってもそれを羞じることはないのだ。
今者無端讀書史,智慧只足勞精神。
それら労働者に対して、いま、わたしはどうかというと五経史書を学ぶことにしている、すると、物事の筋道を立て、計画し、正しく処理していく能力が、ただ、精神をついやすことによって備わってくるのである。
其の四
我は恨む 江頭【こうとう】の人に如かざることを,長網【ちょうもう】江に橫たへ 紫鱗【しりん】を遮【さえぎ】る。
獨り荒陂【こうは】に宿り鳧雁【ふがん】を射,賣りて租賦【そふ】を納めて 官 嗔【いか】らず。
歸り來りて 歡笑して妻子に對し,衣食は自給す 寧【なん】ぞ 貧を羞じむや。
今者【いま】端なくも書史を讀み,智慧【ちけい】は只 精神を勞するに足れり。

花と張0104

感春四首 其四 #2
畫蛇著足無處用,兩鬢霜白趨埃塵。
余計なことをするということの故事にヘビを画くのに「忘れていた」といって足を書き加えた無用のことをしてしまう、そんなことをしているうち両鬢に白髪で真っ白の年齢になってしまい、詩経と書経を学んでゆかなければいけないのに俗世間を走りまわることしかしていないというものだ。
乾愁漫解坐自累,與眾異趣誰相親。
「何の得もないのに空しく愁いている」と「理解する必要もないものを理解して」何となく自分から患っている。人の世に変わった趣向として除かれるようなことを誰がすき好んで親しむというのか。
數杯澆腸雖暫醉,皎皎萬慮醒還新。
数杯の酒を傾けて腸に灌ぎこんだらしばらくの間酔いが回るということではあるが。段々とさまざまな思いがあきらかな状態になり、知らないということは気楽なものだが、何もかもがわかっていると、また新たな心配がつのり、種がたえないのである。
百年未滿不得死,且可勤買拋青春。
人の一生をざっと百年とみたてるとやったことに満足していなくて、いやだいやだと思っても寿命がつきなければ死ぬわけにもゆかぬのだ。そうはいっても、とりあえず、せいぜい酒を買うことさ「拗青春」というやつを。
#2
蛇【へび】を畫【えが】いて足を著【つ】く 用うるに處 無し,兩鬢【りょうびん】霜白【しょうはく】埃塵【あいじん】に趨【はし】る。
乾愁【かんしゅう】漫【みだ】りに解し 坐【そぞろ】に自ら累【わずら】う,眾【しゅう】と趣を異にせば誰か相い親まん。
數杯 腸【はらわた】に澆【そそ】いで 暫く醉うと雖ども,皎皎【こうこう】たる萬慮【ばんりょ】醒めて還【ま】た新【あらた】なり。
百年 未だ滿たず 死するを得ず,且可【しばらく】勤めて拋【はう】青春【せいしゅん】を買【か】へ。


現代語訳と訳註
(本文) 感春四首 其四 #2

畫蛇著足無處用,兩鬢霜白趨埃塵。
乾愁漫解坐自累,與眾異趣誰相親。
數杯澆腸雖暫醉,皎皎萬慮醒還新。
百年未滿不得死,且可勤買拋青春。


(下し文) #2
蛇【へび】を畫【えが】いて足を著【つ】く 用うるに處 無し,兩鬢【りょうびん】霜白【しょうはく】埃塵【あいじん】に趨【はし】る。
乾愁【かんしゅう】漫【みだ】りに解し 坐【そぞろ】に自ら累【わずら】う,眾【しゅう】と趣を異にせば誰か相い親まん。
數杯 腸【はらわた】に澆【そそ】いで 暫く醉うと雖ども,皎皎【こうこう】たる萬慮【ばんりょ】醒めて還【ま】た新【あらた】なり。
百年 未だ滿たず 死するを得ず,且可【しばらく】勤めて拋【はう】青春【せいしゅん】を買【か】へ。


(現代語訳)
余計なことをするということの故事にヘビを画くのに「忘れていた」といって足を書き加えた無用のことをしてしまう、そんなことをしているうち両鬢に白髪で真っ白の年齢になってしまい、詩経と書経を学んでゆかなければいけないのに俗世間を走りまわることしかしていないというものだ。
「何の得もないのに空しく愁いている」と「理解する必要もないものを理解して」何となく自分から患っている。人の世に変わった趣向として除かれるようなことを誰がすき好んで親しむというのか。
数杯の酒を傾けて腸に灌ぎこんだらしばらくの間酔いが回るということではあるが。段々とさまざまな思いがあきらかな状態になり、知らないということは気楽なものだが、何もかもがわかっていると、また新たな心配がつのり、種がたえないのである。
人の一生をざっと百年とみたてるとやったことに満足していなくて、いやだいやだと思っても寿命がつきなければ死ぬわけにもゆかぬのだ。そうはいっても、とりあえず、せいぜい酒を買うことさ「拗青春」というやつを。


(訳注) 感春四首 其四 #2
畫蛇著足無處用,兩鬢霜白趨埃塵。
余計なことをするということの故事にヘビを画くのに「忘れていた」といって足を書き加えた無用のことをしてしまう、そんなことをしているうち両鬢に白髪で真っ白の年齢になってしまい、詩経と書経を学んでゆかなければいけないのに俗世間を走りまわることしかしていないというものだ。
画蛇著足 『史記』に見える故事にもとずく。数人の連中が、もらった酒を、蛇の絵を一番にかいたものがもらうというカケをした。一番にかいた男が、酒を貰って飲もうとして、「あ、足を画くのを忘れていた」といって書き加えたら、次の男が、足のあるのは蛇ではないといって、酒を取り上げた。無駄な努力をすること。余計なことをするということ。
趨埃塵 俗世間を走りまわる。 『論語』季氏篇に、孔子の子の伯魚(鯉)が「鯉趨而過庭」(庭を趨って過ぎたとき)、父の孔子が呼びとめて「詩」と「礼」とつまり、詩経と書経を学ぶようにさとしたとあるのにもとづき、子供が父の教えを受けることをいう。に基づいて作る。


乾愁漫解坐自累,與眾異趣誰相親。
「何の得もないのに空しく愁いている」と「理解する必要もないものを理解して」何となく自分から患っている。人の世に変わった趣向として除かれるようなことを誰がすき好んで親しむというのか。
乾愁 なんとなくおこる愁い。「空しく愁ひて益無きなり」(何の得もないのに空しく愁いている)ということ。
漫解 理解する必要もないものを理解して。
 何となく。


數杯澆腸雖暫醉,皎皎萬慮醒還新
数杯の酒を傾けて腸に灌ぎこんだらしばらくの間酔いが回るということではあるが。段々とさまざまな思いがあきらかな状態になり、知らないということは気楽なものだが、何もかもがわかっていると、また新たな心配がつのり、種がたえないのである。
皎皎万慮 さまざまな思いがあきらかな状態にある。知らないということは気楽なものだが、何もかもがわかっていると、心配の種がたえない。皎皎はあきらかなさま・。
・醒還訴 心配を酒でまぎらそうとするが、醒めると、更に新たな様相でせまってくる。還は、また。

 
百年未滿不得死,且可勤買拋青春。
人の一生をざっと百年とみたてるとやったことに満足していなくて、いやだいやだと思っても寿命がつきなければ死ぬわけにもゆかぬのだ。そうはいっても、とりあえず、せいぜい酒を買うことさ「拗青春」というやつを。
・百年 人の一生をざっと百年とみたてる。
不得死 いやだいやだと思っても寿命がつきなければ死ぬわけにもゆかぬ。
且可 しばらく、とりあえず。可は接尾語で意味はない。
勤買 せいぜい買うことさ。
拗青春 酒の銘柄。いい酒には、「土窟春」とか「石凍春」とか、春の宇のつくものが多かった。不老長寿と青春がつきもの。