薦士 韓退之(韓愈)詩<62-#7>Ⅱ中唐詩374 紀頌之の漢詩ブログ1201



薦士(薦孟郊于鄭餘慶也) #1
周詩三百篇,雅麗理訓誥。
『詩経』は三百篇の詩からなり、風雅にして麗わしく、聖天子の教えの道・理を保持している。
曾經聖人手,議論安敢到。
それは一度聖人の手による編纂を経ているので(長い間『詩経』は孔子が編集してものと伝えられてきた)、したがって、軽々に議論できるような安易なものでは到底ない。
五言出漢時,蘇李首更號。
五言詩は漢代から現われ、蘇武・李陵が新しい創始者となった。
東都漸瀰漫,派別百川導。
後漢ではしだいにひろまり、流派が多く分かれてそれぞれに系統を作った。
建安能者七,卓犖變風操。 
建安で詩をよくする者が七人いたが、彼らは人よりすぐれた才能によって、『詩経』や「琴操」の詩風を一変させた。
#1
周詩 三百篇、雅麗 訓誥【くんこう】を理【おさ】む。
曾て聖人の手を経たれば、議論 安【いず】くんぞ敢て到らん。
五言は漢時より出で、蘇・李 首【はじ】めて号を更【あらた】む。
東都 漸【ようや】く瀰漫【びまん】し、派別して百川導かる。
建安の能くする者 七。卓犖【たくらく】として風操を変ず。

#2
逶迤抵晉宋,氣象日凋耗。
それからも詩の流れはずるずると晋・宋まで続き、性格は日ましに衰えていった。
中間數鮑謝,比近最清奧。
そのあいだでは鮑照・謝霊運・謝誂が挙げられ、おくれて出た詩人たちにくらべればとりわけ清新で奥深いものをもっている。
齊梁及陳隋,眾作等蟬噪。
しかし斉・宋から陳・隋となれば、多くの詩は作られているが蝉の鳴くのにひとしく、ただやかましいだけだ。
搜春摘花卉,沿襲傷剽盜。
六朝からの詩は春の息吹を搜して花を摘みとるように、美しい言葉ばかりを求めたあげく、続々と同じ表現が続いて剽窃という欠陥さえ見られ、妖艶、華美なものが文学に傷をつけた。
朝盛文章,子昂始高蹈。
わが唐王朝では中國の歴史上最高に文学が栄え、初唐、陳子昂は始めて六朝の華美秀麗の詩風を一変し、高らかな第一歩を踏み出したのだ。
#2
逶迤【いい】として晋・宋に抵【いた】り。気象 日に凋耗【ちょうこう】す。
中間 鮑・謝【ほうしゃ】を数う、近に比すれば最も清奥【せいおう】なり。
斉・梁【せいりょう】と陳・隋【ちんずい】と、衆作 蝉噪【ぜんそう】に等し。
春を捜【さぐ】って花舟を摘み、沿襲【えんしゅう】して剽盗【ひょうとう】に傷つく。
国朝 文章盛んなり、子昂【すこう】 始めて高踏す。


#3
勃興得李杜,萬類困陵暴。
詩風はさらに興起して李白・杜甫が現われ、おおよそ詩文に関するあらゆる表現をしつくされてしまった。
後來相繼生,亦各臻閫奧。
それからは後を継ぐ詩人たちが続々と生まれたが、それぞれに李白・杜甫の詩文学の奥義までとどく詩(李白・杜甫の詩の、少なくとも一面は正しく継承した詩)を作った。
有窮者孟郊,受材實雄驁。
そのなかに儒者で文学一圖で困窮してはいるが孟郊というものがあるが、この人は勇壮な名馬のようでまことにすぐれた才能をもっている。
冥觀洞古今,象外逐幽好。
暗くて見えないところを見る洞察力は古今を貫通し、現実の世界を超越したところの奥深い美を発見する力を備えているのだ。
#3
勃興して李・杜を得たり、万類 陵暴【りょうぼう】に困しむ。
後来 相継ぎて生じ、亦各【おのお】の閫奧【こんおく】に臻【いた】る。
窮せる者に孟郊有り、材を受くること実に雄驁【ゆうごう】なり。
冥観【めいかん】古今を洞【つらぬ】き、象外 幽好【ゆうこう】を逐う。

#4
橫空盤硬語,妥帖力排奡。
天空に横たわるほど硬質な言葉を自在にあやつり並べ立てる、穏やかに見える表現でも筆力は扉、古代神話に出てくるカ持ちをもしのぐほどだ。
敷柔肆紆餘,奮猛卷海潦。
柔軟な表現では紆餘曲折をつくし、ふるい立ったところでは海の水をも巻き上げるほどの力を出す。
榮華肖天秀,捷疾逾響報。
つややかな言葉は天然に咲き出た花のよう、詩を作る速さはこだまの聞こえてくるにもまさる。
行身踐規矩,甘辱恥媚灶。
また彼の行動にはきちんとした規則正しくされており、権力者のごぎげんをとるのは恥とし、低い地位に甘んじている。
#4
空に横たわって硬語【こうご】を盤まらしめ、妥帖【だちょう】して力 孫を排す。
敷柔【ふじゅう】紆余【うよ】を肆【ほしい】ままにし、奮猛【ふんもう】海潦【かいりょう】を巻く。
栄華は天秀に肖【に】たり、捷疾【かいりょう】は響報【きょうほう】に逾【こ】ゆ。
身を行なうこと規矩【きく】を践み、辱しめに甘んじて竃に媚【こ】ぶるを恥ず。


#5
孟軻分邪正,眸子看了眊。
むかし孟子は人柄の正邪を見分けようとして、『論語、雍也篇』に見えるその人のひとみを決め手としたものだが、孟郊のひとみは明らか「正」であるのだ。
杳然粹而清,可以鎮浮躁,
その人物の奥深さははっきりしないのではあるが確かなことは純粋で清らかであり、そして、浮ついた気風を鎮静させることができる。
酸寒溧陽尉,五十幾何耄。
彼は溧陽の尉としてうだつのあがらぬ貧乏暮らしをしていたが、五十代で耄という年、八十歳または九十歳にはまだどれほどの間があることか。
孜孜營甘旨,辛苦久所冒。
しかもこつこつと母親の世話を熱心に努め励んできたし、長いことさまざまの苦労をなめてきた。世の俗物どもで彼の真価を知っている者がどれだけあることか。みなうしろ指をさし、われがちにあざわらっている。

#5
孟軻【もうか】は邪正を分かち、眸子【ぼうし】了眊【りょうもう】を看る。
杳然【ようぜん】として粋にして清し、以て浮躁【ふそう】を鎮【しず】む可し。
酸寒【さんかん】たり溧陽【りつよう】の尉、五十 幾何【いくばく】か耄【ぼう】せる。
孜孜【しし】として甘旨【かんし】を営み、辛苦【しんく】久しく冒す所。


#6
俗流知者誰,指注競嘲傲。
世の俗物どもで彼の真価を知っている者がどれだけあることか。みなうしろ指をさし、われがちにあざわらっている。
聖皇索遺逸,髦士日登造。
憲宗皇帝は野に埋もれた才智鋭敏で賢者を求められている、すぐれた人材が日ごとに登用されている。
廟堂有賢相,愛遇均覆燾。
廟堂には賢臣の鄭余慶宰相があり、その人材を愛して重く見る恵みは、天地の徳にひとしい。
況承歸與張,二公迭嗟悼。
いわんや、孟郊は帰公と張公のお二人からことばをかけられた、ふたりの諸公は「才智があるのにどうして認められ、登用されないのか」と哀傷悲嘆された人物である。
青冥送吹噓,強箭射魯縞。
また二公は孟郊を青空の上である朝廷に推挙してくれたが、強い弓で射た矢も末は薄絹をとおす力もないという『漢書、韓安国伝』や『史記、韓長孺伝』に見える故事のとおりに、効力がはっきされなかった。
#6
俗流 知る者は誰ぞ、指注して競って嘲傲【ちょうごう】す。
聖皇 遺逸を索【もと】め、髦士【ぼうし】 日に登造す。
廟堂【びょうどう】に賢相有り、愛遇【あいぐう】覆燾【ふとう】に均し。
況んや帰と張と、二公迭【たが】いに嵯悼【さとう】するを承【う】くるをや。
青冥に吹嘘【すいきょ】を送り、強箭【きょうせん】魯縞【ろこう】を射る。


#7
胡為久無成,使以歸期告。
どうしていつまでもうだつがあがらず、このたび郷里へと帰る日を報告させるような羽目になってしまったのか。
霜風破佳菊,嘉節迫吹帽。
東晋の孟嘉の故事にいう「冷たい風が美しい菊を吹き、帽子を風に吹き落とされた」めでたい重陽の節句も迫ってくる。
念將決焉去,感物增戀嫪。
孟郊は決然として出発しようとしているわが身の上を思い、ものごとに感じて心残りのたねが増すばかりなのだ。
彼微水中荇,尚煩左右芼。
『詩経』「周南、関雎」にうたわれているあの水中の朽菜(水草の一種)のようなつまらぬものでさえ、孟郊はあれこれと丹念に選んで摘む手数を要する礼儀正しさで接するのだ。
魯侯國至小,廟鼎猶納郜。
春秋時代の魯侯は至って小さな国を領有していたが、それでも『左伝、桓公二年』によれば、太廟の鼎は宋国の郜から運んできた。
胡【なん】為れぞ久しく成る無くして、帰期【きき】を以て告げしむる。
霜風 佳菊【かきく】を破り、嘉節【かせつ】吹帽に迫る。
将に決焉【けつぇん】として去らんとするを念えば、物に感じて恋謬【れんびゅう】を増す。
彼の微なる水中の抒も、尚左右の尾るを煩わす。
魯侯は国 至って小なるも、廟鼎【びょうてい】猶郜【こく】より納る。


#8
幸當擇瑉玉,寧有棄珪瑁。悠悠我之思,擾擾風中纛。
上言愧無路,日夜惟心禱。鶴翎不天生,變化在啄菢。
#8
幸いに瑉玉【みんぎょく】を択ぶに当たり、寧くんぞ珪瑁【けいぼう】を棄つること有らんや。
悠悠たり 我の思い、擾擾【じょうじょう】たり 風中の纛【はた】。
上言【じょうごん】路無きを愧じ、日夜 惟だ心に蒔るのみ。
鶴翎【かくれい】天生ぜず、変化 啄菢【たくほう】に在り。

#9
通波非難圖,尺地易可漕。善善不汲汲,後時徒悔懊。
救死具八珍,不如一簞犒。微詩公勿誚,愷悌神所勞。
通波 図り難きに非ず、尺地 漕ぐ可きこと易し。
善を善として汲汲たらずんば、後時 徒らに悔懊【かいおう】せん。
死を救うに八珍を具【そな】うるは、一箪【いったん】の犒に如かず。
微詩【びし】云 誚【そし】る勿かれ、愷悌【がいてい】は神の労【ねぎら】う所なり。


現代語訳と訳註
(本文) #7

胡為久無成,使以歸期告。霜風破佳菊,嘉節迫吹帽。
念將決焉去,感物增戀嫪。彼微水中荇,尚煩左右芼。
魯侯國至小,廟鼎猶納郜。


(下し文)
胡【なん】為れぞ久しく成る無くして、帰期【きき】を以て告げしむる。
霜風 佳菊【かきく】を破り、嘉節【かせつ】吹帽に迫る。
将に決焉【けつぇん】として去らんとするを念えば、物に感じて恋謬【れんびゅう】を増す。
彼の微なる水中の抒も、尚左右の尾るを煩わす。
魯侯は国 至って小なるも、廟鼎【びょうてい】猶郜【こく】より納る。


(現代語訳)
どうしていつまでもうだつがあがらず、このたび郷里へと帰る日を報告させるような羽目になってしまったのか。
東晋の孟嘉の故事にいう「冷たい風が美しい菊を吹き、帽子を風に吹き落とされた」めでたい重陽の節句も迫ってくる。
孟郊は決然として出発しようとしているわが身の上を思い、ものごとに感じて心残りのたねが増すばかりなのだ。
『詩経』「周南、関雎」にうたわれているあの水中の朽菜(水草の一種)のようなつまらぬものでさえ、孟郊はあれこれと丹念に選んで摘む手数を要する礼儀正しさで接するのだ。
春秋時代の魯侯は至って小さな国を領有していたが、それでも『左伝、桓公二年』によれば、太廟の鼎は宋国の郜から運んできた。

(訳注)#7
胡為久無成,使以歸期告。

どうしていつまでもうだつがあがらず、このたび郷里へと帰る日を報告させるような羽目になってしまったのか。
歸期告 郷里へ帰る日を報告させるような羽目にしたこと。


霜風破佳菊,嘉節迫吹帽。
東晋の孟嘉の故事にいう「冷たい風が美しい菊を吹き、帽子を風に吹き落とされた」めでたい重陽の節句も迫ってくる。
霜風破佳菊,嘉節迫吹帽。(晋の孟嘉の故事)
東晋の孟嘉が桓温の参軍となり、九日龍山で催おされた登高の宴に、秋風のいたずらに孟嘉の帽子を飛ばした。本人はそれに気づかなかったが、桓温はそっと左右のものに目配せをし放置させ、やがて、孟嘉が手洗いに立つと文士の孫盛に命じ、孟嘉を嘲笑する文を孟嘉の席に置いた。席に戻った孟嘉は冷静に答辭を作った。其の文は見事な美文で一同を感嘆させた。東晉の風流の故事の一つとされている。
李白『九日龍山飲』(九日 龍山に飲む)
九日龍山飲、黄花笑逐臣。
酔看風落帽
、舞愛月留人。
杜甫『九日藍田崔氏荘』(九日 藍田の崔氏の荘)
老去悲愁強自寛、興来今日尽君歓。
羞将短髪環吹帽、笑倩旁人為正冠。
藍水遠従千澗落、玉山高並両峰寒。
明年此会知誰健、酔把茱萸子細看。

九日藍田崔氏荘 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 277


念將決焉去,感物增戀嫪。
孟郊は決然として出発しようとしているわが身の上を思い、ものごとに感じて心残りのたねが増すばかりなのだ。
決焉去 決然として出発しようとしているさま。○戀嫪 心残りのたねが増すばかりというさま。


彼微水中荇,尚煩左右芼。
『詩経』「周南、関雎」にうたわれているあの水中の朽菜(水草の一種)のようなつまらぬものでさえ、孟郊はあれこれと丹念に選んで摘む手数を要する礼儀正しさで接するのだ。
関雎はミサゴの意で、文王と王妃の仲を詠じているところから〕夫婦が仲よくて、礼儀正しいこと。『詩経、周南、関雎』「關關雎鳩,在河之洲。窈窕淑女,君子好逑。參差荇菜,左右流之。窈窕淑女,寤寐求之。求之不得,寤寐思服。悠哉悠哉,輾轉反側。參差荇菜,左右采之。窈窕淑女,琴瑟友之。參差荇菜,左右芼之。窈窕淑女,鐘鼓樂之。」


魯侯國至小,廟鼎猶納郜。
春秋時代の魯侯は至って小さな国を領有していたが、それでも『左伝、桓公二年』によれば、太廟の鼎は宋国の郜から運んできた。
廟鼎猶納郜 :太廟 郜鼎:春秋時代宋の国にあった鼎:魯の桓公二年(前710年)内乱を起こした家老の華父督によって、魯の国に賄賂として贈られ魯の先祖を周公を祭る廟におかれた。今の山東省にあった郜の国で鋳造されたので郜鼎と称された。
左伝、桓公二年 無責任な甘やかしは、愛にもとづく厳格な戒めに及ばないことのたとえ。【城下の盟】敵に首都まで攻め入られてする、屈辱的な降伏の約束。
○紀元前701年、鄭の祭仲と公子突を抑留して脅迫し、盟を結ぶと帰国させて突(厲公)を国君に立てさせた。紀元前700年、魯の桓公や燕の人と穀丘で会談し、鄭との修好を求められた。また魯と虚や亀で会談したが、荘公は鄭との講和を拒否した。宋は魯・鄭の連合軍の攻撃を受けた。紀元前699年、斉・宋・衛・燕と魯・鄭・紀のあいだの会戦となった。
韓愈『石鼓歌』「薦諸太廟比郜鼎,光價豈止百倍過。」(諸を太廟に薦めて郜の鼎に比せば,光價は豈に止だ百倍過ぐるのみならんや。)
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『左伝、桓公二年』
郜鼎- 春秋郜國造的宗廟祭器, 以為國寶。 後被宋國取去。 宋又將此鼎賄賂魯桓公, 桓公獻於太廟。 《左傳‧桓公二年》: “﹝ 宋﹞以郜大鼎賂公……夏四月, 取郜大鼎於宋。 戊申, 納於大廟, 非禮也。” 《左傳‧桓公二年》: “ 郜鼎在廟, 章孰甚 .


胡【なん】為れぞ久しく成る無くして、帰期【きき】を以て告げしむる。
霜風 佳菊【かきく】を破り、嘉節【かせつ】吹帽に迫る。
将に決焉【けつぇん】として去らんとするを念えば、物に感じて恋謬【れんびゅう】を増す。
彼の微なる水中の抒も、尚左右の尾るを煩わす。
魯侯は国 至って小なるも、廟鼎【びょうてい】猶郜【こく】より納る。