南山詩 韓退之(韓愈)詩<63-#7>Ⅱ中唐詩383 紀頌之の漢詩ブログ1228
第2景

 
南山詩(韓愈 唐詩)(全20回)#1~#20
第一部 終南山連峰の概要・四季
第二部(#5~#8―十句五聯を四章分)

#5
明昏無停態,頃刻異狀候。

朝な夕なに姿を変えるときはない、しかし、瞬く間にもその徴候は異なるのである。
西南雄太白,突起莫間簉。
西南には太白山が一きわ目立っている、それは連なる山々を隔ててはいるもののその一群の中で聳え立っているのだ。
藩都配德運,分宅占丁戊。
帝都のまもりとして土徳の方位をあてがわれ、他の山々にその気を、徳を配分、配当している、そして、別の居所をかまえて丁戊の位を占めている。
逍遙越坤位,詆訐陷乾竇。
気ままにあちこち南山にある谷を散歩する坤の位の方向をのりこえて、南西、西、北西の乾の位までは低地になっており、広範囲に広がっている。
空虛寒兢兢,風氣較蒐漱。
しかし、その地はすべてがむなしく寒さも極寒になり身も凍るほどである、風の気はかなり早くざわざわとはげしく吹き下ろして來るのである。
明昏【めいこん】に態を停どむること無く、頃刻【けいこく】に状候【じょうこう】異なり。
西南【せいなん】に太白【たいはく】雄なり、突起【とっき】して間【まじ】わり簉【まじ】わること莫し。
都に藩【かき】として徳運【とくうん】に配し、宅【いえ】を分かちで丁戊【ていぼ】を占【し】む。
逍遙【しょうよう】坤位【こんい】を越えて、詆訐【ていけつ】として乾竇【けんとう】に陥る。
空虚【くうきょ】寒うして兢兢【きょうきょう】たり、風気【ふうき】較【やや】蒐漱【しゅうそう】す。

#6
朱維方燒日,陰霰縱騰糅。

真夏の道に太陽がまっかに焼けているちょうどそのときでさえも、凍ったあられがふり落ち、がわがもの顔におどりもみあうのである。
昆明大池北,去覿偶晴晝。
それは、昆明の大池の北がわあたりをながめにゆったときのことで、晴れた真昼のことである
綿聯窮俯視,倒側困清漚。
水面にはうつむいて見ると終南山の山なみが端から端までつづいている、それは逆さに傾きつつ清らかな水に山はひたされて困り顔に見えるのである。
微瀾動水面,踴躍躁猱狖。
さざなみが水の面を勤かすとき、木の上で踊りはねまわっているいろんな種類のさるどもがさわぐ。
驚呼惜破碎,仰喜呀不僕。
水面に映る猿の身が砕けようとするのをみてそれに驚き仲間を呼び、ふと見あげて仲間がなお落ちていないことに気づき歯をむき出して泣き叫び喜んでいる。
#6
朱維【しゅい】日を焼くに方【あた】れども,陰霰【いんせん】縦【ほしいまま】に騰糅【とうじゅう】す。
昆明【こんめい】大池の北に、去きて覿【み】れば偶【たまた】ま晴昼【せいちゅう】なり。
綿聯【めんれん】として俯【ふ】して視ることを窮【きわ】め,倒側【とうそく】して清漚【せいおう】に困【なや】む。
微瀾【びらん】の水面を動かせば,踊躍【ようやく】して猱狖【どうゆう】躁【さわ】ぐ。
驚き呼んで破碎【はさい】せんことを惜み,仰いで喜んで僕【たお】れざることを呀【か】す。

#7
前尋徑杜墅,岔蔽畢原陋。
この前におとずれたとき杜陵を過ぎると、時がたち見守られなくなり、畢原さえ塵ほこりにうずもれて、見苦しくなっている。
崎嶇上軒昂,始得觀覽富。
うねうねめぐり高く盛りあがった高い所に上れば視界はひらけて、やっとひろいながめを目にすることができる。
行行將遂窮,嶺陸煩互走。
だんだんとわけ入りそのまま頂きまで行こうとしたが、けわしいみねと、なだらかな丘陵とが面倒なほどいりまじって連なっている。
勃然思坼裂,擁掩難恕宥。
急に興奮するかのように山が盛り上がるかと思えば切ったように、あるいは裂いたようなっている、そして、南山をおおいかくしている景色に対する罪はゆるしがたい。
巨靈與誇蛾,遠賈期必售。

ここには黄河の神の巨霊と黄河を流れをゆがめていた山を動かす神の誇蛾氏とがいるが、はるばるこの遠くまで山の力と黄河の力を、その余力を売りに来たらきっと売れるにちがいない。
前に尋ねしとき杜墅【としょ】に径すれば、岔蔽【ふんへい】として畢原【ひつ】陋【いや】し。
崎嘔【きく】として上ぼれば軒昂【けんこう】として、始めて観覧【かんらん】の富【ゆた】かなるを得たり。
行き行きて将に遂に窮めんとすれども、嶺陸【れいりく】煩【わず】らわしく互に走る。
勃然【ぼつぜん】として柝【さ】き裂かんことを思い、擁掩【ようえん】すること恕宥【じょゆう】し難し。
巨霊【きょれい】と誇蛾【かが】と、遠く賈【あざ】なって必ず售【う】れんことを期す。

#8
還疑造物意,固護蓄精祐。
力雖能排斡,雷電怯呵詬。
攀緣脱手足,蹭蹬抵積甃。
茫如試矯首,堛塞生怐愗。
威容喪蕭爽,近新迷遠舊。


現代語訳と訳註
(本文)
#7
前尋徑杜墅,岔蔽畢原陋。
崎嶇上軒昂,始得觀覽富。
行行將遂窮,嶺陸煩互走。
勃然思坼裂,擁掩難恕宥。
巨靈與誇蛾,遠賈期必售。


(下し文)
前に尋ねしとき杜墅【としょ】に径すれば、岔蔽【ふんへい】として畢原【ひつ】陋【いや】し。
崎嘔【きく】として上ぼれば軒昂【けんこう】として、始めて観覧【かんらん】の富【ゆた】かなるを得たり。
行き行きて将に遂に窮めんとすれども、嶺陸【れいりく】煩【わず】らわしく互に走る。
勃然【ぼつぜん】として柝【さ】き裂かんことを思い、擁掩【ようえん】すること恕宥【じょゆう】し難し。
巨霊【きょれい】と誇蛾【かが】と、遠く賈【あざ】なって必ず售【う】れんことを期す。


(現代語訳)
この前におとずれたとき杜陵を過ぎると、時がたち見守られなくなり、畢原さえ塵ほこりにうずもれて、見苦しくなっている。
うねうねめぐり高く盛りあがった高い所に上れば視界はひらけて、やっとひろいながめを目にすることができる。
だんだんとわけ入りそのまま頂きまで行こうとしたが、けわしいみねと、なだらかな丘陵とが面倒なほどいりまじって連なっている。
急に興奮するかのように山が盛り上がるかと思えば切ったように、あるいは裂いたようなっている、そして、南山をおおいかくしている景色に対する罪はゆるしがたい。
ここには黄河の神の巨霊と黄河を流れをゆがめていた山を動かす神の誇蛾氏とがいるが、はるばるこの遠くまで山の力と黄河の力を、その余力を売りに来たらきっと売れるにちがいない。


(訳注)#7
前尋徑杜墅,岔蔽畢原陋。
この前におとずれたとき杜陵を過ぎると、時がたち見守られなくなり、畢原さえ塵ほこりにうずもれて、見苦しくなっている。
○前尋 この前におとずれたとき。以下この段は、かつて杜陵(墅)を経て、南山に分け入ったときのことである。○径 まっすぐにとおりぬける。○杜墅 長安の南の郊外にある杜陵のこと。墅は、田園、荘園。○忿蔽 塵土がかぶさってうすぎたないさま。忿は、塵のことであるが、ここは忿蔽で形容詞的に用いられている。○畢原陋 畢原は、長安の南郊にあって、周の文王・武王・周公を葬むった土地。ここは、そういう聖人たちを葬むった畢原も、塵ほこりにうずもれて、見苦しくなっているということ。

杜甫『奉陪鄭駙馬韋曲二首其一 『夏日李公見訪 哀江頭 自京赴奉先縣詠懷五百字 醉時歌 

李白『杜陵絶句

「南登杜陵上、北望五陵間。秋水明落日、流光滅遠山。」



崎嶇上軒昂,始得觀覽富。
うねうねめぐり高く盛りあがった高い所に上れば視界はひらけて、やっとひろいながめを目にすることができる。
崎嘔 山道のでこぼこしたさま。○軒昂 軒は、中国古代の馬車で前方の高いこと。そこから高いことをいう。昂も高いこと。軒昂は、高く盛りあがったさま。○始得 そこでやっと……できた。○観覧富 ながめが変化に富んでいること。



行行將遂窮,嶺陸煩互走。
だんだんとわけ入りそのまま頂きまで行こうとしたが、けわしいみねと、なだらかな丘陵とが面倒なほどいりまじって連なっている。
行行 ぼつぼつ行く。○遂窮 ことのついでに山頂をきわめる。おわりまで行くことが、窮である。○嶺陸 嶺は、みね。陸は、おか、高原。○煩互走 けわしいみねと、なだらかな丘陵とがうるさくいりまじってつらなっていて、いつまで行っても全体が見はらせないのである。


勃然思坼裂,擁掩難恕宥。
急に興奮するかのように山が盛り上がるかと思えば切ったように、あるいは裂いたようなっている、そして、南山をおおいかくしている景色に対する罪はゆるしがたい。
勃然 急に興奮するさま。○坼裂 避ける意味を強調される。○擁掩 おおいかくす。○難恕宥 山があたりの見晴らしをおおいかくしているのを、大目に見ておれぬ、というのである。

 
巨靈與誇蛾,遠賈期必售。
ここには黄河の神の巨霊と黄河を流れをゆがめていた山を動かす神の誇蛾氏とがいるが、はるばるこの遠くまで山の力と黄河の力を、その余力を売りに来たらきっと売れるにちがいない。
巨霊 黄河の神の名。伝説によれば、むかし陝西省の華山は、黄河のまん中につっ立っていて、黄河はこの山を迂回して流れていた。そこで巨霊が、手足で山を二つにひき分けて、華山と山西省の首陽山にし河流を通した、という。○誇蛾 むかしの神力ある者の名。愚公という人が、じゃまになる太行・王屋の二山を、子孫まで総がかりで、移そうとしたとき天帝がその志をあわれんで、誇蛾氏の二子に命じて、その二山を移さしめられたという。「列子」湯問篇に見える有名な愚公移山の故事である。○遠賈期必售 巨霊と誇蛾が遠くここまで山を裂く力を売りに来ればそれがきっと売れるだろうと期待できる。賈は商う。売り買いともに用いるが、ここは売る方である。售は売れる。力を売買する話ではないが、よく似たことがらで、恐らくこの着想のもととなったものに、「左伝」成公二年、斉の高固のことぱ「勇ならんと欲っする者は余が余勇を賈え。」がある。 

『列子、湯問篇「愚公移山」』
「太行、王屋二山,方七百里,高萬仞。本在冀州之南,河陽之北。 北山愚公者,年且九十,面山而居。懲山北之塞,出入之迂也,聚室而謀曰:吾與汝畢力平險,指通豫南,達于漢陰,可乎?雜然相 許。其妻獻疑曰:以君之力,曾不能損魁父之丘,如太行王屋何? 且焉置土石?雜曰:投諸渤海之尾,隱土之北。遂率子孫荷擔者 三夫,扣石墾壤,箕畚運于渤海之尾。鄰人京城氏之孀妻,有遺男 ,始齔,跳往助之。寒暑易節,始一反焉。河曲智叟,笑而止之, 曰:甚矣,汝之不惠。以殘年餘力,曾不能毀山之一毛,其如土石 何?北山愚公長息曰:汝心之固,固不可徹,曾不若孀妻弱子。雖 我之死,有子存焉﹔子又生孫,孫又生子﹔子又有子,子又有孫。 子子孫孫,無窮匱也。而山不加增,何苦而不平?河曲智叟亡以應。 操蛇之神聞之,懼其不已也,告之于帝。帝感其誠,命夸娥氏二子 負二山,一厝朔東,一厝朔南。自此,冀之南,漢之陰,無隴斷焉。」