城南聯句 韓退之(韓愈)詩<64-#31最終回>Ⅱ中唐詩427 紀頌之の漢詩ブログ1360

     
  同じ日のブログ 
     1359擣衣 謝惠連 詩<83-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩514 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1359 
     1360城南聯句 韓退之(韓愈)詩<64-#31最終回>Ⅱ中唐詩427 紀頌之の漢詩ブログ1360 
     1361兼葭 杜甫 <298> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1361 杜甫詩 700- 418 
   
 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

城南聯句 韓退之(韓愈)詩64首-#25>#1~#31(全31回)
第八部(#29~#31)最終回

#29
孟郊) 是節飽顏色,
韓愈) 茲疆稱都城。書饒罄魚繭,
孟郊) 紀盛播琴箏。奚必事遠覿,
韓愈) 無端逐羈傖。將身親魍魅,
孟郊) 浮跡侶鷗。腥味空奠屈,
韓愈) 天年徒羨彭。
#29  *上記聯句を韻により変更して読む
是節飽顏色,茲疆稱都城。
春の節句には美女のはだをおおくみることができるし、田舎から出てきてこれこそが都というものである。
書饒罄魚繭,紀盛播琴箏。
書くことも多く、紙のすぐれた紙の魚子紙と蚕繭紙というものまで使うのだ、紀事、紀録を盛んに行い琴や瑟、箏に合わせて詠い広げるのである。
奚必事遠覿,無端逐羈傖。
どうして遠くに旅をしてまで見にゆく必要があるのだろうか、いやいや自分から進んでいったのではなく陰謀によって南方の陽山に左遷されたのだ。
將身親魍魅,浮跡侶鷗鶄。
五嶺山脈を越えて行くといろんな経験をした山の怪物や川の怪物などと親しくなったし、川の中州に足跡をつけるカモメとゴイ鷺のような人とも仲間意識を持った者だ。
腥味空奠屈,天年徒羨彭。
湘水を行くときは生肉で屈原を祭るほどつらくおもったものだし、是も天命と思いつつも古代の伝説上の長寿者の彭祖をひたすら羨んだものだった。
是の節 顏色に飽【た】り,茲【こ】の疆【きょう】都城と稱【しょう】す。
書くこと饒【おお】くして魚繭【ぎょけん】を罄【つく】し,紀すること盛んにして琴箏【きんしょう】にて播【ひろ】げん。
奚【なん】ぞ必しも遠覿【えんてき】を事せし,端無【はひなく】も羈傖【きそう】に逐さる。
身を將って魍魅【もうまい】に親み,跡を浮べて鷗【おうせい】に侶【ともな】う。
腥味【せいみ】空しく屈を奠【まつり】,天年【てんねん】徒らに彭を羨【うらや】む。

#30
韓愈) 驚魂見蛇蚓,
孟郊) 觸嗅值蝦蟛。幸得履中氣,
韓愈) 忝從拂天棖。歸私暫休暇,
孟郊) 驅明出庠黌。鮮意竦輕暢,
韓愈) 連輝照瓊瑩。陶暄逐風乙,
孟郊) 躍視舞晴蜻。
#30 *上記聯句を韻により変更して読む
驚魂見蛇蚓,觸嗅值蝦蟛。
そこではへびやミミズにいたるまで反骨の魂があるのに驚かされたし、ガマとエビガニには触っても匂ってもこまらされた。
幸得履中氣,忝從拂天棖。
そうこうしていると、幸いにも天子が崩御され、奸臣らは成敗されて中興の機運が高まってきて、かたじけなくも私へのいわれのない罪が許され天子の御門をきれいに拂われたのだ。
歸私暫休暇,驅明出庠黌。
私生活にかえることがゆるされしばらくきゅうかおあたえられたことにより、夜明けを待って学び舎を旅立ったのだ
鮮意竦輕暢,連輝照瓊瑩。
こうして新鮮な詩意はつきあがってくるし、心は軽く伸びやかになり、つらなる光は照栄えて、美玉のような句が次々に生まれるのである。
陶暄逐風乙,躍視舞晴蜻。
うっとりとあたたかい日の風に舞う燕のように飛び交うのであり、めくるめく晴れた空にひるがえるとんぼのように舞うことが出来るのだ。
魂を驚かせて蛇蚓【だいん】を見,嗅に觸【ふ】れて蝦蟛【かほう】に值【あ】う。
幸に中氣を履【ふ】むを得たり,忝【かたじけな】くも天棖【てんちょう】を拂【はら】うに從う。
私に歸りて暫く休暇し,明に驅りて庠黌【しょうこう】を出づ。
鮮意【せんい】竦【あらわ】れて輕く暢び,連輝【れんき】照して瓊瑩【けいえい】なり。
陶暄【とうけん】風乙【ふうあつ】を逐い,躍視【やくし】晴蜻【せいせい】を舞わしむ。

#31
孟郊) 足勝自多詣,
韓愈) 心貪敵無勍。始知樂名教,
孟郊) 何用苦拘佇。畢景任詩趣,
韓愈) 焉能守鏗鏗。
#31 *上記聯句を韻により変更して読む
足勝自多詣,心貪敵無勍。
幸いなことに私の足腰は強じんであるので自分からどこへでも行けることであるし、こうした詩文の力により、敵が強かろうが弱かろうがいくらでも相手になってやろうという気持ちなのである。
始知樂名教,何用苦拘佇。
名教・礼教という儒家思想がこれほど人生を楽しくさせてくれるものかと初めて認識したし、この名教・礼教があればどんな手段をもってして拘束され苦しめられることがあるというのか。
畢景任詩趣,焉能守鏗鏗。
朝廷に仕えている現在の景色を終えて趣興・風流を詩文に詠じて行こうというきもちにまかせていきたいと思うし、もうどうしてもこの気持ちを鏗鏗と鐘の音などが鳴りわたるほどに守っていくことにする。

足 勝れて自ら詣【いた】ること多く,心 貪【むさぼ】れど敵も勍【つよ】く無し。
始めて知る名教【めいきょう】を樂しむを,何を用ってか拘佇【こうどう】に苦む。
景を畢【お】えて詩趣【ししゅ】に任す,焉ぞ能く鏗鏗【こうこう】を守る。


現代語訳と訳註
(本文)
#31
孟郊) 足勝自多詣,
韓愈) 心貪敵無勍。始知樂名教,
孟郊) 何用苦拘佇。畢景任詩趣,
韓愈) 焉能守鏗鏗。
#31
足勝自多詣,心貪敵無勍。
始知樂名教,何用苦拘佇。
畢景任詩趣,焉能守鏗鏗。


(下し文) #31
足 勝れて自ら詣【いた】ること多く,心 貪【むさぼ】れど敵も勍【つよ】く無し。
始めて知る名教【めいきょう】を樂しむを,何を用ってか拘佇【こうどう】に苦む。
景を畢【お】えて詩趣【ししゅ】に任す,焉ぞ能く鏗鏗【こうこう】を守る。


(現代語訳)
幸いなことに私の足腰は強じんであるので自分からどこへでも行けることであるし、こうした詩文の力により、敵が強かろうが弱かろうがいくらでも相手になってやろうという気持ちなのである。
名教・礼教という儒家思想がこれほど人生を楽しくさせてくれるものかと初めて認識したし、この名教・礼教があればどんな手段をもってして拘束され苦しめられることがあるというのか。
朝廷に仕えている現在の景色を終えて趣興・風流を詩文に詠じて行こうというきもちにまかせていきたいと思うし、もうどうしてもこの気持ちを鏗鏗と鐘の音などが鳴りわたるほどに守っていくことにする。


(訳注) #31
足勝自多詣,心貪敵無勍。

幸いなことに私の足腰は強じんであるので自分からどこへでも行けることであるし、こうした詩文の力により、敵が強かろうが弱かろうがいくらでも相手になってやろうという気持ちなのである。
足勝 脚力が強健だ。
多詣 どこへでもゆける。
心貪 いくらでも相手になってやろうという気持ち。


始知樂名教,何用苦拘佇。
名教・礼教という儒家思想がこれほど人生を楽しくさせてくれるものかと初めて認識したし、この名教・礼教があればどんな手段をもってして拘束され苦しめられることがあるというのか。
名教 儒家思想のこと。名教・礼教
拘佇 拘束。


畢景任詩趣,焉能守鏗鏗。
朝廷に仕えている現在の景色を終えて趣興・風流を詩文に詠じて行こうというきもちにまかせていきたいと思うし、もうどうしてもこの気持ちを鏗鏗と鐘の音などが鳴りわたるほどに守っていくことにする。
・畢景 朝廷に仕えている現在の景色を終えること。
任詩趣 趣興・風流を詩文に詠じて行こうというきもちにまかせていきたいということ。
鏗鏗【こうこう】鐘の音などが鳴りわたるさま。「鏗」は金石の打ち合う音の意。