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 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

贈崔立之 :韓愈
昔年十日雨,子桑苦寒饑。
『荘子大宗師篇』にある昔、十日も雨がふりつづいた年のことだ、「子桑」は寒さと飢えに苦しんでいた。
哀歌坐空室,不怨但自悲。
かなしい歌をうたい、だれもいない部屋に坐って、なにを怨むというわけでもなく、ただじぶんの不徳を悲しんだ。
其友名子輿,忽然憂且思。
その友、名は「子輿」という。ふと かれのことが心配になりそして、彼のことを思い続けた。
搴裳觸泥水,裹飯往食之。
そこで、雨の中、着物をからげて泥と水たまりの中に入ってあるいていった、飯を竹の皮のうらに包んでもって食べさせようと行ったのだ。
入門相對語,天命良不疑。
門から中に入って 向かい合い 語りあったが、天命を まこと 疑うこともなかった。
好事漆園吏,書之存雄詞。千年事已遠,二字情可推。
我讀此篇日,正當寒雪時。吾身固已困,吾友複何爲。
薄粥不足裹,深泥諒難馳。曾無子輿事,空賦子桑詩。

(崔立之に贈る)
哀歌して空室に坐し,怨【うら】みず但だ自ら悲しむ。
其の友 名は子輿【しよ】,忽然として憂へ且つ思う。裳を搴【かか】げ泥水を觸【おか】し,飯を裹【つつ】んで往いて食之に【くら】わしむ。
門に入って相い對して語る,天命 良【まこと】に疑わず。

好事【こうじ】漆園の吏,之を書して雄詞【ゆうじ】を存す。千年の事 已に遠きも,二字の情 推す可し。
我 此の篇を讀む日,正に寒雪の時に當る。
吾が身 固より已に困しめり,吾が友 複た何をか爲す。
薄粥【はくしゅく】は裹【つつ】むに足らず,深泥【しんでい】諒【もこと】に馳せ難し。
曾て子輿【しよ】の事無く,空しく賦す 子桑詩。


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現代語訳と訳註
(本文)

昔年十日雨,子桑苦寒饑。哀歌坐空室,不怨但自悲。
其友名子輿,忽然憂且思。搴裳觸泥水,裹飯往食之。
入門相對語,天命良不疑。


(下し文)
昔年【せきねん】十日 雨ふり,子桑【しそう】寒饑【かんき】に苦しむ。
哀歌して空室に坐し,怨【うら】みず但だ自ら悲しむ。
其の友 名は子輿【しよ】,忽然として憂へ且つ思う。裳を搴【かか】げ泥水を觸【おか】し,飯を裹【つつ】んで往いて食之に【くら】わしむ。
門に入って相い對して語る,天命 良【まこと】に疑わず。


 (現代語訳)
『荘子大宗師篇』にある昔、十日も雨がふりつづいた年のことだ、「子桑」は寒さと飢えに苦しんでいた。
かなしい歌をうたい、だれもいない部屋に坐って、なにを怨むというわけでもなく、ただじぶんの不徳を悲しんだ。
その友、名は「子輿」という。ふと かれのことが心配になりそして、彼のことを思い続けた。
そこで、雨の中、着物をからげて泥と水たまりの中に入ってあるいていった、飯を竹の皮のうらに包んでもって食べさせようと行ったのだ。
門から中に入って 向かい合い 語りあったが、天命を まこと 疑うこともなかった。


(訳注)
・贈崔立之 底本外集巻一。この詩を贈った対手の崔立之、名は斯立、立之はその字である。博陵の人で元和元年には大理評事、すなわち裁判所の下級判事であった。韓愈の詩にはこの人に贈るものが頗る多い。ずいぶん親しい調子で、からかったりもしているから、弟子のひとりだったのであろう。
「答崔立之書」
「贈崔立之評事」
「崔立之評事に贈る」という詩に「崔侯文章苦捷敏,高浪駕天輸不盡。崖侯の文章は苦だ捷敏」とうたい 「才豪氣猛易語言,往往蛟螭雜螻蚓。」(才豪に気猛に語言を易しとし、往々にして較蛸に蝮矧を雑ふ)といっているところからすれば、才気にまかせて書きなぐり、できた詩文は玉石混淆だったのであろう。同じ詩に「頻蒙怨句刺棄遺,豈有閑官敢推引。」(頻に怨句を蒙って棄遺すと刺らる。豈 問官にして敢て推引するあらむ)というのは、崔が現職にあきたらず、有利な職へ転ずるよう推薦してほしいと、しつこくたのみ、話がてきぱきと進まないと「お忘れになったのですか」と嫌味をいうこともあったのであろう。これに対し大学の下級教官では人を推薦できる柄ではない、といっているのである。

この詩は『荘子』の著者荘周についての逸話と『荘子内篇第六 大宗師篇』の子輿と子桑についての問答の話に基づいて作られている。
 子輿(しよ)と子桑(しそう)は友だちであった。あるとき,雨が十日も降り続いた。子輿は「多分,子桑は病気だろう」と言った。そこで彼は,食べ物を包んで,子桑に会いに出掛けた。
 戸口にやって来ると,弦楽器の音にまじって,歌っているとも泣いているともつかぬ声が聞こえてきた。その声は「父よ,母よ! これは神の仕業でしょうか,人のせいでしょうか」と。その声は途切れ途切れで,ことばはたどたどしかった。
 子輿は中に入って尋ねた,「どうしてそんな風に歌っているのかね。
 「こんなひどい状態に私を追い込んだのは,いったい誰なんだろうといろいろ考えていたんだ」と子桑は答えた,「父や母は私がみじめになることなど,とても望んではいまい。天はあまねくすべてのものを覆い,地はあまねくすべてのものを支える。天や地が私だけを差別してひどい貧乏に追い込んだのでもあるまい。私を突き落としたのは誰かと見つけようとしたんだが,うまくいかないんだ。結局のところ,運命が私をこのひどい状態に落とし込んだのにちがいないよ」


昔年十日雨,子桑苦寒饑。
『荘子大宗師篇』にある昔、十日も雨がふりつづいた年のことだ、「子桑」は寒さと飢えに苦しんでいた。


哀歌坐空室,不怨但自悲。
かなしい歌をうたい、だれもいない部屋に坐って、なにを怨むというわけでもなく、ただじぶんの不徳を悲しんだ。


其友名子輿,忽然憂且思。
その友、名は「子輿」という。ふと かれのことが心配になりそして、彼のことを思い続けた。


搴裳觸泥水,裹飯往食之。
そこで、雨の中、着物をからげて泥と水たまりの中に入ってあるいていった、飯を竹の皮のうらに包んでもって食べさせようと行ったのだ。


入門相對語,天命良不疑。
門から中に入って 向かい合い 語りあったが、天命を まこと 疑うこともなかった。