贈崔立之 韓退之(韓愈)詩<65-#2>Ⅱ中唐詩429 紀頌之の漢詩ブログ1366

     
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 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

『荘子』大宗師にのせるエピソードをほとんどそのまま詩としているのである。すなわち、「子輿は子桑と友なりき。霧雨すること十日。子輿いすb子桑の門に至れば、すなはち駄々かごとく、突くがごとし。琴をひきていはく『父か、母か、天か、人か』と。また、その声にたへず、いそいでその詩をうたふ。子輿、入っていはく『きみの詩を歌ふこと、なにがゆゑにかくのごときや』と。いはく『われは、かの我をしてかくのごとき極みに至らしめし者を恩へども、おもひあたらざるなり。父母はあにわれの貧しからむことを欲せむや。天は、私に覆ふことなく、地は、私に載することなし。天地は、あに、私にわれを貧しからしめむや。その、これをなせし者を求むれども、おもひあたらざるなり。しかもかかるくるしみに至りしは、命なるかな』と」。


贈崔立之 :韓愈
昔年十日雨,子桑苦寒饑。
『荘子大宗師篇』にある昔、十日も雨がふりつづいた年のことだ、「子桑」は寒さと飢えに苦しんでいた。
哀歌坐空室,不怨但自悲。
かなしい歌をうたい、だれもいない部屋に坐って、なにを怨むというわけでもなく、ただじぶんの不徳を悲しんだ。
其友名子輿,忽然憂且思。
その友、名は「子輿」という。ふと かれのことが心配になりそして、彼のことを思い続けた。
搴裳觸泥水,裹飯往食之。
そこで、雨の中、着物をからげて泥と水たまりの中に入ってあるいていった、飯を竹の皮のうらに包んでもって食べさせようと行ったのだ。
入門相對語,天命良不疑。
門から中に入って 向かい合い 語りあったが、天命を まこと 疑うこともなかった。
好事漆園吏,書之存雄詞。
好都合にも、タイミングよくこの事件を取り上げたのが漆園の役人であった。このことを書きとめて散文中でも屈指の名文を残している。
千年事已遠,二字情可推。
この逸話は遠く千年もむかしの事でありながら、友情を語り、天命を理解する二人の気持ちは想像できる。
わたしがこの話を読んだ日は、ちょうどみぞれが降った寒い時季だった。

我讀此篇日,正當寒雪時。
わが身はもとより貧困してはいたが、わが友、きみはいったいどうしていたのか。
吾身固已困,吾友複何爲。
わたしは薄い粥しかないのでつつむことが出来ない。道には深い泥川があり、とうてい馳せ参じることができなかったのだ。
薄粥不足裹,深泥諒難馳。
そういうことで「子輿」のやったことが私にはできなかったのだ、むなしく「子桑の詩」をよんでいただけで、この詩をつくることしかできないのだ。
曾無子輿事,空賦子桑詩。

そういうことで「子輿」のやったことが私にはできなかったのだ、むなしく「子桑の詩」をよんでいただけで、この詩をつくることしかできないのだ。


(崔立之に贈る)
哀歌して空室に坐し,怨【うら】みず但だ自ら悲しむ。
其の友 名は子輿【しよ】,忽然として憂へ且つ思う。裳を搴【かか】げ泥水を觸【おか】し,飯を裹【つつ】んで往いて食之に【くら】わしむ。
門に入って相い對して語る,天命 良【まこと】に疑わず。

好事【こうじ】漆園の吏,之を書して雄詞【ゆうじ】を存す。千年の事 已に遠きも,二字の情 推す可し。
我 此の篇を讀む日,正に寒雪の時に當る。
吾が身 固より已に困しめり,吾が友 複た何をか爲す。
薄粥【はくしゅく】は裹【つつ】むに足らず,深泥【しんでい】諒【もこと】に馳せ難し。
曾て子輿【しよ】の事無く,空しく賦す 子桑詩。


現代語訳と訳註
(本文)

好事漆園吏,書之存雄詞。千年事已遠,二字情可推。
我讀此篇日,正當寒雪時。吾身固已困,吾友複何爲。
薄粥不足裹,深泥諒難馳。


(下し文)
好事【こうじ】漆園の吏,之を書して雄詞【ゆうじ】を存す。千年の事 已に遠きも,二字の情 推す可し。
我 此の篇を讀む日,正に寒雪の時に當る。
吾が身 固より已に困しめり,吾が友 複た何をか爲す。
薄粥【はくしゅく】は裹【つつ】むに足らず,深泥【しんでい】諒【もこと】に馳せ難し。
曾て子輿【しよ】の事無く,空しく賦す 子桑詩。


(現代語訳)
好都合にも、タイミングよくこの事件を取り上げたのが漆園の役人であった。このことを書きとめて散文中でも屈指の名文を残している。
この逸話は遠く千年もむかしの事でありながら、友情を語り、天命を理解する二人の気持ちは想像できる。
わたしがこの話を読んだ日は、ちょうどみぞれが降った寒い時季だった。
わが身はもとより貧困してはいたが、わが友、きみはいったいどうしていたのか。
わたしは薄い粥しかないのでつつむことが出来ない。道には深い泥川があり、とうてい馳せ参じることができなかったのだ。
そういうことで「子輿」のやったことが私にはできなかったのだ、むなしく「子桑の詩」をよんでいただけで、この詩をつくることしかできないのだ。


(訳注)
好事漆園吏,書之存雄詞。
好都合にも、タイミングよくこの事件を取り上げたのが漆園の役人であった。このことを書きとめて散文中でも屈指の名文を残している。
好事 好都合にも、タイミングよくこの事件を取り上げる。
・漆園吏 司馬遷の「史記」によれば、荘子はかって蒙の近くの漆園と言う土地の小吏、あるいは漆の園の番役人であった。『荘子』の著者荘周のこと。
・雄詞/雄辞 『荘子』の文章は、中国の散文中でも屈指の名文である。そのような雄大で閎中肆外の文章で、この事件を書きとめている、というのである。(韓愈進学解)


千年事已遠,二字情可推。
この逸話は遠く千年もむかしの事でありながら、友情を語り、天命を理解する二人の気持ちは想像できる。


我讀此篇日,正當寒雪時。
わたしがこの話を読んだ日は、ちょうどみぞれが降った寒い時季だった。


吾身固已困,吾友複何爲。
わが身はもとより貧困してはいたが、わが友、きみはいったいどうしていたのか。


薄粥不足裹,深泥諒難馳。
わたしは薄い粥しかないのでつつむことが出来ない。道には深い泥川があり、とうてい馳せ参じることができなかったのだ。


曾無子輿事,空賦子桑詩。
そういうことで「子輿」のやったことが私にはできなかったのだ、むなしく「子桑の詩」をよんでいただけで、この詩をつくることしかできないのだ。



『贈崔立之評事』(崔斯立,字立之,博陵人) 韓愈
  崔侯文章苦捷敏,高浪駕天輸不盡。
  曾從關外來上都,隨身卷軸車連軫。
  朝爲百賦猶鬱怒,暮作千詩轉遒緊。
  搖毫擲簡自不供,頃刻青紅浮海蜃。
  才豪氣猛易語言,往往蛟螭雜螻蚓。
  知音自古稱難遇,世俗乍見那妨哂。
  勿嫌法官未登朝,猶勝赤尉長趨尹。
  時命雖乖心轉壯,技能虛富家逾窘。
  念昔塵埃兩相逢,爭名齟齬持矛楯。
  子時專場誇觜距,餘始張軍嚴韅靷。
  爾來但欲保封疆,莫學龐涓怯孫臏。
  竄逐新歸厭聞鬧,齒發早衰嗟可閔。
  頻蒙怨句刺棄遺,豈有閑官敢推引。
  深藏篋笥時一發,戢戢已多如束筍。
  可憐無益費精神,有似黄金擲虛牝。
  當今聖人求侍從,拔擢杞梓收楛箘。
  東馬嚴徐已奮飛,枚皋即召窮且忍。
  複聞王師西討蜀,霜風冽冽摧朝菌。
  走章馳檄在得賢,燕雀紛拏要鷹隼。
  竊料二途必處一,豈比恒人長蠢蠢。
  勸君韜養待征招,不用雕琢愁肝腎。
  牆根菊花好沽酒,錢帛縱空衣可准。
  暉暉檐日暖且鮮,摵摵井梧疏更殞。
  高士例須憐曲蘖,丈夫終莫生畦畛。
  能來取醉任喧呼,死後賢愚俱泯泯。




答崔立之書
斯立足下:仆見險不能止,動不得時,顛頓狼狽,失其所操持,困不知變,以至辱於再三,君子小人之所憫笑,天下之所背而馳者也。足下猶複以為可教,貶損道德,乃至手筆以問之,扳援古昔,辭義高遠,且進且勸,足下之於故舊之道得矣。雖仆亦固望於吾子,不敢望於他人者耳。然尚有似不相曉者,非故欲發餘乎?不然,何子之不以丈夫期我也?不能默默,聊複自明。

仆始年十六七時,未知人事,讀聖人之書,以為人之仕者,皆為人耳,非有利乎己也。及年二十時,苦家貧,衣食不足,謀於所親,然後知仕之不唯為人耳。及來京師,見有舉進士者,人多貴之,仆誠樂之,就求其術,或出禮部所試賦詩策等以相示,仆以為可無學而能,因詣州縣求舉。有司者好惡出於其心,四舉而後有成,亦未即得仕。聞吏部有以博學宏詞選者,人尤謂之才,且得美仕,就求其術,或出所試文章,亦禮部之類,私怪其故,然猶樂其名,因又詣州府求舉,凡二試於吏部,一既得之,而又黜於中書,雖不得仕,人或謂之能焉。退因自取所試讀之,乃類於俳優者之辭,顏忸怩而心不寧者數月。既已為之,則欲有所成就,《書》所謂恥過作非者也。因複求舉,亦無幸焉,乃複自疑,以為所試與得之者,不同其程度,及得觀之,餘亦無甚愧焉。夫所謂博學者,豈今之所謂者乎?夫所謂宏詞者,豈今之所謂者乎?誠使古之豪傑之士,若屈原、孟軻、司馬遷、相如、揚雄之徒,進於是選,必知其懷慚?乃不自進而已耳。設使與夫今之善進取者,競於蒙昧之中,仆必知其辱焉。然彼五子者,且使生於今之世,其道雖不顯於天下,其自負何如哉!肯與夫鬥筲者決得失於一夫之目,而為之憂樂哉!故凡仆之汲汲於進者,其小得蓋欲以具裘葛、養窮孤,其大得蓋欲以同吾之所樂於人耳,其他可否,自計已熟,誠不待人而後知。今足下乃複比之獻玉者,以為必俟工人之剖,然後見知於天下,雖兩刖足不為病,且無使者再克。誠足下相勉之意厚也,然仕進者,豈舍此而無門哉?足下謂我必待是而後進者,尤非相悉之辭也。仆之玉固未嚐獻,而足固未嚐刖,足下無為為我戚戚也。

方今天下風俗尚有未及於古者,邊境尚有被甲執兵者,主上不得怡,而宰相以為憂。仆雖不賢,亦且潛究其得失,致之乎吾相,薦之乎吾君,上希卿大夫之位,下猶取一障而乘之。若都不可得,猶將耕於寬間之野,釣於寂寞之濱,求國家之遺事,考賢人哲士之終始,作唐之一經,垂之於無窮,誅奸諛於既死,發潛德之幽光。二者將必有一可。足下以為仆之玉凡幾獻,而足凡幾刖也,又所謂者果誰哉?再克之刑信如何也?士固信於知己,微足下無以發吾之狂言。愈再拜。



《曲池潔寒流》 崔立之
閒尋欹岸步,因向曲池看。
透底何澄澈,回流乍屈盤。
稍隨高樹古,迥與遠天寒。
月入鏡華轉,星臨珠影攢。
纖鱗時蔽石,轉吹或生瀾。
願假涓微效,來濡拙筆端。