琴操十首  (1)將歸操  孔子之趙聞殺鳴犢作 韓退之(韓愈)詩<67-(1)>Ⅱ中唐詩431 紀頌之の漢詩ブログ1372

     
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孔子之趙聞殺鳴犢作 (1)將歸操  琴操十首

(孔子【こうし】趙【ちょう】に之【ゆ】かしむとし,鳴犢【めいとく】を殺されしこと聞きて作る。
)
琴操十首。將歸操
「まさに帰らんとすの曲」を弾く。
(孔子之趙,聞殺鳴犢作。)

(孔子が趙に往くとして出かけたが、(竇)鳴犢の殺されたことを聞いてこの詩を作る。)
趙殺鳴犢,孔子臨河,歎而作歌曰:
狄之水兮風揚波,舟楫顛倒更相加。歸來歸來,胡為斯疑。)
(孔子【こうし】趙【ちょう】に之【ゆ】かしむとし,鳴犢【めいとく】を殺されしこと聞きて作る。
趙 鳴犢を殺せし,孔子 河に臨みて,歎じて作歌し曰く:狄之水 風 波を揚ぐ,舟楫 顛倒し更に相加し,歸り來る歸り來る胡んぞ斯れを為す。)

狄之水兮,其色幽幽;
狄の川、その川の色はくろぐろと無気味だ。
我將濟兮,不得其由。
わたしはわたろうとするのであるが、その術がないのである。
涉其淺兮,石齧我足;
浅瀬を徒渉すると、石がわたしの足をきずつける。
乘其深兮,龍入我舟。
深みを舟に乗って行けば、竜が舟にはいって来る。
我濟而悔兮,將安歸尤。
わたしが川をわたってから後悔しても、いったいその責任をどこへ持って行けるのだろうか。
歸兮歸兮,無與石鬥兮,無應龍求。

帰ろう 帰ろうよ、石なんかと争うことはいらないのであり、竜の要求どおりにすることはいらないのだ。

琴操【きんそう】十首。將歸【しょうき】操
狄の水,其の色 幽幽たり;
我れ將に濟【わた】らんとして,其の由【すべ】を得ず。
其の淺きところ涉【わた】らんとすれば,石 我が足を齧【か】む;
其の深きに乘ずれば,龍 我が舟に入る。
我れ 濟って悔いあらば,將【は】た安【いず】くにか尤【とがめ】を歸せん。
歸らんかな歸らんかな,石と鬥【たたか】うことけん,龍の求めに應ずること無けん。

天台山 瓊臺



現代語訳と訳註
(序文本文)
孔子之趙,聞殺鳴犢作。
趙殺鳴犢,孔子臨河,歎而作歌曰:
狄之水兮風揚波,舟楫顛倒更相加。歸來歸來,胡為斯疑。
(序文下し文)
孔子【こうし】趙【ちょう】に之【ゆ】かしむとし,鳴犢【めいとく】を殺されしこと聞きて作る。
趙 鳴犢を殺せし,孔子 河に臨みて,歎じて作歌し曰く:
狄之水 風 波を揚ぐ,舟楫 顛倒し更に相加し。
歸り來る 歸り來る 胡んぞ斯れを為す。

(序文現代語訳)
孔子が晋の国の家老である趙簡子の招きを受けて、その領地超へ行こうとしたが、彼れがその協力を得てのし上がることのできた有能な家老竇鳴犢を殺したことを聞き、河を渡って超に行くのをやめ、なげいて作ったとして模擬した歌である。
 “孔子臨狄水而歌曰:‘狄水衍兮風揚沙,船楫顛倒更相加。歸來歸來兮,胡為斯疑?’


(本文)
(孔子之趙聞殺鳴犢作)
狄之水兮,其色幽幽;
我將濟兮,不得其由。
涉其淺兮,石齧我足;
乘其深兮,龍入我舟。
我濟而悔兮,將安歸尤。
歸兮歸兮,無與石鬥兮,無應龍求。


(下し文)
琴操【きんそう】十首。將歸【しょうき】操
(孔子之趙聞殺鳴犢作)
狄【てき】の水,其の色 幽幽たり;
我れ將に濟【わた】らんとして,其の由【すべ】を得ず。
其の淺きところ涉【わた】らんとすれば,石 我が足を齧【か】む;
其の深きに乘ずれば,龍 我が舟に入る。
我れ 濟って悔いあらば,將【は】た安【いず】くにか尤【とがめ】を歸せん。
歸らんかな歸らんかな,石と鬥【たたか】うことけん,龍の求めに應ずること無けん。


(現代語訳)
「まさに帰らんとすの曲」を弾く。
(孔子が趙に往くとして出かけたが、(竇)鳴犢の殺されたことを聞いてこの詩を作る。)
狄の川、その川の色はくろぐろと無気味だ。わたしはわたろうとするのであるが、その術がないのである。
浅瀬を徒渉すると、石がわたしの足をきずつける。深みを舟に乗って行けば、竜が舟にはいって来る。
わたしが川をわたってから後悔しても、いったいその責任をどこへ持って行けるのだろうか。
帰ろう 帰ろうよ、石なんかと争うことはいらないのであり、竜の要求どおりにすることはいらないのだ。


(訳注)
琴操十首。將歸操 
「まさに帰らんとすの曲」を弾く。
将帰操 「將に帰らんとす」(さあかえろう)のうた。
韓愈は、この蔡邕の著といわれるものにもとづいて新しくその歌詞を作ったわけである。操は、「憂愁して作る、これを命づけて操と日う。


この詩は、『史記、孔子世家』孔子既不得用於衛,將西見趙簡子。至於河而聞竇鳴犢﹑舜華之死也,臨河而歎曰:“美哉水,洋洋乎!丘之不濟此,命也夫!”子貢趨而進曰:“敢問何謂也?”孔子曰:“竇鳴犢,舜華,晉國之賢大夫也。趙簡子未得志之時,須此兩人而後從政;及其已得志,殺之乃從政。丘聞之也,刳胎殺夭則麒麟不至郊,竭澤涸漁則蛟龍不合陰陽,覆巢毀卵則鳳皇不翔。何則?君子諱傷其類也。夫鳥獸之於不義也尚知辟之,而況乎丘哉!


蔡邕 4.
《將歸操》
者,孔子之所作也。
趙簡子循執玉帛,以聘孔子。
孔子將往,未至,渡狄水,
聞趙殺其賢大夫竇鳴犢,喟然而歎之曰:
“夫趙之所以治者,鳴犢之力也。
殺鳴犢而聘餘,何丘之往也?
夫燔林而田,則麒麟不至;
覆巢破卵,則鳳皇不翔。
鳥獸尚惡傷類,而況君子哉?”
於是援琴而鼓之雲:
“翱翔於衛,複我舊居;從吾所好,其樂隻且。”


(孔子之趙聞殺鳴犢作)
孔子が趙に往くとして出かけたが、(竇)鳴犢の殺されたことを聞いてこの詩を作る。
◎孔子はもはや老いて政治を見ようともしない衛の霊公の元をまたも去って、晋の実力者の趙簡子(ちょうかんし)のところに行こうと決意した。だが、黄河にまで至ったときに趙簡子が大夫の竇鳴犢(とうめいとく)と舜華(しゅんか)を殺したことを聞いて、「ああ水は美しく、広大だ!余がこの川を渡らないのも天命なのか!」と嘆息したという。子貢がその言葉の意味を聞くと、孔子は「竇鳴犢と舜華は、晋の賢大夫。君子は同類を損なうことを、忌み嫌うのだ」と言ったという。そして一曲を作って、二人の死を悲しんだという(『史記』孔子世家)。


狄之水兮,其色幽幽;我將濟兮,不得其由。
狄の川、その川の色はくろぐろと無気味だ。わたしはわたろうとするのであるが、その術がないのである。
狄之水 今の山東省済南市附近は、むかし狄の領地であった。そこを流れる済水を狄水というが、 狄【てき】[訓]えびす である。古代中国で、北方の異民族。広く、異民族や野蛮人。「夷狄(いてき)・戎狄(じゅうてき)・北狄」その川を渡ると夷狄の地である。○幽幽 くろい形容。○済 川をわたること。○ 手段。方法。手がかり。


涉其淺兮,石齧我足;乘其深兮,龍入我舟。
浅瀬を徒渉すると、石がわたしの足をきずつける。深みを舟に乗って行けば、竜が舟にはいって来る。
 徒渉する。〇 ここでは、石のかどが足をきずつけること。○ 舟に乗って川をわたること。○竜入我舟 古代の神話的天子の南が長江を渡るとき、竜が南の舟を背に負うたので、人みな色を失しのうたが、南は平然としていたという「准南子」に見える故事をふんでいるといわれる。ここでは、危難にせまられることを意味する。


我濟而悔兮,將安歸尤。
わたしが川をわたってから後悔しても、いったいその責任をどこへ持って行けるのだろうか。
将安 将は、それでは。安は、どこ。○竜求 自分を食べようとする竜の要求。


歸兮歸兮,無與石鬥兮,無應龍求。
帰ろう 帰ろうよ、石なんかと争うことはいらないのであり、竜の要求どおりにすることはいらないのだ。