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琴操十首(2)猗蘭操
(孔子傷不逢時作)
(孔子が時節に合致しない物事に心を痛めてこの詩を作る。)
蘭之猗猗,揚揚其香。
色つやのよい蘭が美しくよく茂っている、ようようといせいのよいその香がただよっている。
不采而佩,於蘭何傷?
だからといって身に佩びるため採りはしない、かといって蘭の方は傷み悲しむわけはないだろう。
今天之旋,其曷為然?
ただ今の天の定めた廻りあわせは、どうしてこんなことなのだろうか。
我行四方,以日以年。
わたしは四方の国国に旅して、日をかさね年をかさねている。
雪霜貿貿,薺麥之茂。
ぼうぼうとした中、雪や霜がふるとき、そんな時でもなずなとむぎは茂るものだ。
子如不傷,我不爾覯。
蘭!もし君が傷み悲しむ状態でなければ、わたしが君にあうことはなかったであろう。
薺麥之茂,薺麥之有。
なずなとむぎの茂るのは、なずなとむぎの本性である。
君子之傷,君子之守。
君子が傷み悲しむのは、君子が節操を守っているからなのだ。
現代語訳と訳註
(本文) 猗蘭操
(孔子傷不逢時作)
蘭之猗猗,揚揚其香。
不采而佩,於蘭何傷?
今天之旋,其曷為然?
我行四方,以日以年。
雪霜貿貿,薺麥之茂。
子如不傷,我不爾覯。
薺麥之茂,薺麥之有。
君子之傷,君子之守。
(下し文)
(2)猗蘭操【いらんそう】
(孔子 時の逢わざること傷んで作る)
蘭の猗猗【いい】たる,揚揚【ようよう】たり其の香。
採りて佩【お】びずとも、蘭に於いて何ぞ傷まん。
今天の旋【めぐ】る、其れ曷【なん】為【す】れぞ然る。
我が四方に行くは、日を以てし年を以てす。
雪霜 貿貿【ぼうぼう】として、薺麥【せいばく】の茂きあり。
子【なんじ】如【も】し傷まずんば、我れ爾【まんじ】を覯【み】じ。
薺麥【せいばく】の茂きは、薺麥【せいばく】の有なり。
君子の傷むは、君子の守なり。
(現代語訳)
(孔子が時節に合致しない物事に心を痛めてこの詩を作る。)
色つやのよい蘭が美しくよく茂っている、ようようといせいのよいその香がただよっている。
だからといって身に佩びるため採りはしない、かといって蘭の方は傷み悲しむわけはないだろう。
ただ今の天の定めた廻りあわせは、どうしてこんなことなのだろうか。
わたしは四方の国国に旅して、日をかさね年をかさねている。
ぼうぼうとした中、雪や霜がふるとき、そんな時でもなずなとむぎは茂るものだ。
蘭!もし君が傷み悲しむ状態でなければ、わたしが君にあうことはなかったであろう。
なずなとむぎの茂るのは、なずなとむぎの本性である。
君子が傷み悲しむのは、君子が節操を守っているからなのだ。
(訳注)
琴操十首(2)猗蘭操(孔子傷不逢時作)
○蘭 『楚辞 離 騒』「扈江離與闢芷兮、紉秋蘭以為佩。」(江離と闢芷を扈り、秋蘭を紉いで以って佩と為す。)芳しい江離と闢芷とを身にまとい、秋蘭を繋いで帯ものとし、薫り高く身を世おうのである。
○猗蘭操 「生き生きとした蘭」 のうた。
蔡邕『琴操、猗蘭操』の序文として
孔子歷聘諸侯,莫能用。自衛反魯,隱谷之中,見香蘭獨茂,喟然嘆曰:“夫蘭當為王者香,今乃獨茂,與眾草為伍。”乃止車,援琴鼓之。自傷不逢時,托辭於香蘭雲。
<序文の下し文>
孔子 諸侯に歷聘【れきへい】せしも,能く用いる莫れ。衛より魯に反るとき,隱谷の中に,香蘭の獨り茂るを見る,喟然【きぜん】として嘆じて曰く:“夫れ蘭は當に王者の香たるべし,今乃ち獨り茂り,眾草【しゅうそう】と伍を為す。”と。乃ち車を止め,琴を援って之れを鼓す。自ら時に逢わざるを傷み,辭を香蘭に托して雲【い】う。
孔子が、諸侯を歴訪して、自分を国政に用いるように求めたが、諸侯は任用することができず、孔子は自分の祖国魯に帰ろうとして、人知れぬ谷間を通りすぎると、香おり高い蘭がひとりぼっちでさいていたので、それを見て、時節にあわないのをわが身にひきくらべつつなげいたとして作った歌である。
(孔子傷不逢時作)
孔子が時節に合致しない物事に心を痛めてこの詩を作る。
蘭之猗猗,揚揚其香。
色つやのよい蘭が美しくよく茂っている、ようようといせいのよいその香がただよっている。
○猗猗 美しくよく茂っている形容。
○揚揚 いせいよいさま。
不采而佩,於蘭何傷?
だからといって身に佩びるため採りはしない、かといって蘭の方は傷み悲しむわけはないだろう。
○佩 からだにつける。帯にさげるといういみ。香りのよい草をからだにつけることは、「楚辞」以来、君子のすることとされ、それは美徳を身に具えていることの象徴であった。ここで、香のよい蘭が、身につけられることは、その才能によって用いられることを象徴する。蘭が孔子に佩びることを許されなかったとしても蘭はその草花の中で威風堂々咲いているから傷つくことはないだろう という意味。
今天之旋,其曷為然?
ただ今の天の定めた廻りあわせは、どうしてこんなことなのだろうか。
○曷為 「何為」と同じく、どうしてという意。
我行四方,以日以年。
わたしは四方の国国に旅して、日をかさね年をかさねている。
雪霜貿貿,薺麥之茂。
ぼうぼうとした中、雪や霜がふるとき、そんな時でもなずなとむぎは茂るものだ。
○貿貿 くもってくらい形容。
○葬麦 葬はなずな。なずなとむぎは、秋冬の寒いときに芽が出るこという。この二つの植物で小人、すなわちつまらぬ人間にたとえ、そのつまらぬものが寒い中おいしげることをいう。
子如不傷,我不爾覯。
蘭!もし君が傷み悲しむ状態でなければ、わたしが君にあうことはなかったであろう。
薺麥之茂,薺麥之有。
なずなとむぎの茂るのは、なずなとむぎの本性である。○搬 あう。○有 もちまえ。固有の性質。
君子之傷,君子之守。
君子が傷み悲しむのは、君子が節操を守っているからなのだ。
○守 節操を守る。