琴操十首  (7)履霜操  尹吉甫子伯奇無罪,為後母譖而見逐,自傷作 韓退之(韓愈)詩<73-(7)>Ⅱ中唐詩437 紀頌之の漢詩ブログ1390


     
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 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     


琴操十首  (7)履霜操 
尹吉甫子伯奇無罪,為後母譖而見逐,自傷作


履霜操
(霜を履んでのうた。)
(尹吉甫子伯奇無罪,為後母譖而見逐,自傷作)
(尹吉甫の子には何の罪もありはしない。後妻の継母の讒言により家を出され、入身自殺をする際にこの詩を作る。)
父兮兒寒,母兮兒饑。
おとうさん わたしは寒さでこごえています、おかあさん わたしは餓えてひもじいのです。
兒罪當笞,逐兒何為?
わたしになにか罪があるならこけ笞で打たれてあたりまえです、なんのためにわたしを追い出したのですか。
兒在中野,以宿以處。
わたしは広野のまんなかですごし、そして夜をあかし日をおくっています。
四無人聲,誰與兒語?
四方見渡すかぎり、人の声も無く、誰もわたしと話しあう人はいません。
兒寒何衣?兒饑何食?
わたしは寒さに震えていますが身につけるものがなにもないのです。こんなこどもが餓えているけど食べるものとて何があるというのですか。
兒行於野,履霜以足。
子供のわたしが広野を行くのに、はだしの足で霜を履んで行くのです。
母生眾兒,有母憐之。
おかあさんはたくさんの子を生んだのですが、母としてその子らには愛おしんでおられる。
獨無母憐,兒寧不悲?

ただ一人、わたしにとって愛おしんでくれる母はいないのです、子供のわたしが悲しまないでにおられましょうか。


現代語訳と訳註
(本文)
履霜操
(尹吉甫子伯奇無罪,為後母譖而見逐,自傷作)
父兮兒寒,母兮兒饑。
兒罪當笞,逐兒何為?
兒在中野,以宿以處。
四無人聲,誰與兒語?
兒寒何衣?兒饑何食?
兒行於野,履霜以足。
母生眾兒,有母憐之。
獨無母憐,兒寧不悲?


(下し文)
履霜操【りそうそう】
(尹【いん】吉甫【きっぽ】が子 伯奇【はっき】罪無くして,後母【こうぼ】に譖【そし】られて逐われ,自ずから傷みて作る)
父よ 兒【こ】寒【こご】えたり,母よ 兒饑【う】えたり。
兒罪あらば當に笞【むち】うつべし,兒を逐うて何為れぞ?
兒 中野に在りて,以て宿し以て處【お】る。
四もに人の聲無し,誰か兒と語る?
兒寒【こご】えたれども何をか衣【き】ん?兒饑えたれども何をか食らわん?
兒 野を行くときに,霜を履むに足を以ってす。
母 眾兒【しゅうじ】を生めり,母の之を憐れむ有り。
獨り母の憐れむ無し,兒寧んぞ悲しまざらんや?


(現代語訳)
(霜を履んでのうた。)
(尹吉甫の子には何の罪もありはしない。後妻の継母の讒言により家を出され、入身自殺をする際にこの詩を作る。)
おとうさん わたしは寒さでこごえています、おかあさん わたしは餓えてひもじいのです。
わたしになにか罪があるならこけ笞で打たれてあたりまえです、なんのためにわたしを追い出したのですか。
わたしは広野のまんなかですごし、そして夜をあかし日をおくっています。
四方見渡すかぎり、人の声も無く、誰もわたしと話しあう人はいません。
わたしは寒さに震えていますが身につけるものがなにもないのです。こんなこどもが餓えているけど食べるものとて何があるというのですか。
子供のわたしが広野を行くのに、はだしの足で霜を履んで行くのです。
おかあさんはたくさんの子を生んだのですが、母としてその子らには愛おしんでおられる。
ただ一人、わたしにとって愛おしんでくれる母はいないのです、子供のわたしが悲しまないでにおられましょうか。


(訳注)
履霜操
履霜操 「霜を履んでのうた。」尹吉甫の子の伯奇は、何の咎もないのに、まま母が尹吉甫に悪しざまに告げ口したので、家をおい出された。伯奇ははすを編んで着物とし、やまなしの花を採って食物とし、朝あけに霜をふみながら、自分の境遇を悲しんで、琴を引きつつ、このうたを作り、歌がおわると、川に身を投げて死んだ。子供の身になって、大人の男性が詠んでいる。
蔡邕の『履霜操』では宣王がこのことを聞きおよんで「此のことは子が親をしたい、孝行なこととした詩である」とされ、後妻は追われ、射殺された。


(尹吉甫子伯奇無罪,為後母譖而見逐,自傷作)
尹吉甫の子には何の罪もありはしない。後妻の継母の讒言により家を出され、入身自殺をする際にこの詩を作る。
父の尹吉甫は、周の宣王(紀元前827-782年在位)のときの大臣、四方の異民族との戦いに功績があった。「詩経」にその名が見える。『詩経、大雅、蕩之什』[烝民]P518「吉甫作誦、穆如清風。」(吉甫誦を作る、穆として清風の如し。)


父兮兒寒,母兮兒饑。
おとうさん わたしは寒さでこごえています、おかあさん わたしは餓えてひもじいのです。
 こども。伯奇の自称。


兒罪當笞,逐兒何為?
わたしになにか罪があるならこけ笞で打たれてあたりまえです、なんのためにわたしを追い出したのですか。
遂児何為 「何為逐児」をおきかえて疑問を強調した。わたくしを追い出されたのはどういうわけか。


兒在中野,以宿以處。
わたしは広野のまんなかですごし、そして夜をあかし日をおくっています。
中野 広野のまんなか。


四無人聲,誰與兒語?
四方見渡すかぎり、人の声も無く、誰もわたしと話しあう人はいません。


兒寒何衣?兒饑何食?
わたしは寒さに震えていますが身につけるものがなにもないのです。こんなこどもが餓えているけど食べるものとて何があるというのですか。


兒行於野,履霜以足。
子供のわたしが広野を行くのに、はだしの足で霜を履んで行くのです。


母生眾兒,有母憐之。
おかあさんはたくさんの子を生んだのですが、母としてその子らには愛おしんでおられる。
有母燐之 その子供たちをいとおしむ母がある。「有・之、無・獨」の字の位置が下の「母憐」と同じ語を使っている。


獨無母憐,兒寧不悲?
ただ一人、わたしにとって愛おしんでくれる母はいないのです、子供のわたしが悲しまないでにおられましょうか。



蔡邕《履霜操》者,尹吉甫之子伯奇所作也。吉甫,周上卿也,有子伯奇。伯奇母死,吉甫更娶後妻,生子曰伯邦。乃譖伯奇於吉甫曰:“伯奇見妾有美色,然有欲心。” 吉甫曰:“伯奇為人慈仁,豈有此也?” 妻曰:“試置妾空房中,君登樓而察之。” 後妻知伯奇仁孝,乃取毒蜂綴衣領,伯奇前持之。於是吉甫大怒,放伯奇於野。伯奇編水荷而衣之,采花而食之,清朝履霜,自傷無罪見逐,乃援琴而鼓之曰:“ 履朝霜兮采晨寒,考不明其心兮聽讒言,孤恩別離兮摧肺肝,何辜皇天兮遭斯愆。痛歿不同兮恩有偏,誰說顧兮知我冤。” 宣王出遜,吉甫從之,伯奇乃作歌,以言感之於宣王。宣王聞之,曰:“此孝子之辭也。” 吉甫乃求伯奇於野而感悟,遂射殺後妻。