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 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
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琴操十首  (9)別鵠操
別鵠操
「別かれゆく鶴」のうた。
(商陵穆子,娶妻五年無子。父母欲其改娶,其妻聞之,中夜悲嘯,穆子感之而作。)
(商陵の穆子という人は、妻をめとったが、五年たって子ができなかった。父母は嫁をもらいなおさせようとした。妻がそのことを聞いて、真夜中にため息をついて悲しんでいると、穆子がそれに感じてこの歌を作った。)
雄鵠銜枝來,雌鵠吸泥歸。
雄の鶴は枝をくわえで来るものだ、雌の鶴は泥をついばんで帰るものである。
巢成不生子,大義當乖離。
巣ができ上ってしばらく経過したが子ができない、この社会の大きな倫理にしたがえば別かれなければならないとされる。
江漢水之大,鵠身鳥之微。
長江と漢江は川の大きなものである、つるの身は烏というちっぽけなものであるからかにおおきな川に寄り添えば幸福である。
更無相逢日,且可繞樹相隨飛。
もう逢える日はないだろう、いましばらくは連れそうてこの木のまわりを飛び回ってもいいだろうとおもっている。


現代語訳と訳註
(本文)
別鵠操
雄鵠銜枝來,雌鵠吸泥歸。
巢成不生子,大義當乖離。
江漢水之大,鵠身鳥之微。
更無相逢日,且可繞樹相隨飛。


(下し文)
別鵠操【べつこくそう】
(商陵の穆子【ぼくし】,妻を娶【めと】り 五年までに子無し。父母其の改め娶らんことを欲す,其の妻之を聞きて,中夜に悲しみ嘯【うそぶ】く,穆子之を感じて作る。)
雄鶴は枝だを街んで来たり、雌鶴は泥を啄んで帰る。
巣成って子を生まず、大義 当に帝離すべし。
江漢は水の大なるものなり、鶴の身は鳥の徴なるものなり。
更に相い逢う日無からん、且く樹を繰って相い随って飛ぶべし。


(現代語訳)
「別かれゆく鶴」のうた。
(商陵の穆子という人は、妻をめとったが、五年たって子ができなかった。父母は嫁をもらいなおさせようとした。妻がそのことを聞いて、真夜中にため息をついて悲しんでいると、穆子がそれに感じてこの歌を作った。)
雄の鶴は枝をくわえで来るものだ、雌の鶴は泥をついばんで帰るものである。
巣ができ上ってしばらく経過したが子ができない、この社会の大きな倫理にしたがえば別かれなければならないとされる。
長江と漢江は川の大きなものである、つるの身は烏というちっぽけなものであるからかにおおきな川に寄り添えば幸福である。
もう逢える日はないだろう、いましばらくは連れそうてこの木のまわりを飛び回ってもいいだろうとおもっている。


(訳注)
別鵠操
(商陵穆子,娶妻五年無子。父母欲其改娶,其妻聞之,中夜悲嘯,穆子感之而作。)
「別かれゆく鶴」のうた。
(商陵の穆子という人は、妻をめとったが、五年たって子ができなかった。父母は嫁をもらいなおさせようとした。妻がそのことを聞いて、真夜中にため息をついて悲しんでいると、穆子がそれに感じてこの歌を作った。)
別鵠操「「別かれゆく鶴」のうた。鵠は、こおのとりのことであるが、鶴と通じて用いられることが多い。万葉集でも「たづ」と読ませている。この「別鵠操」つるの意味であろう。
商陵牧子所作也。牧子娶妻五年,無子,父兄欲為改娶。妻聞之,中夜驚起,倚戶悲嘯。牧子聞之,援琴鼓之雲:“痛恩愛之永離,歎別鶴以舒情。”故曰《別鶴操》。後仍為夫婦。」
むかし商陵の穆子という人は、妻をめとったが、五年たって子ができなかった。子がないのは、妻を離婚する七つの理由のひとつであるから、父母はその妻を出して、嫁をもらいなおさせようとした。妻がそのことを聞いて、真夜中にため息をついて悲しんでいると、穆子がそれに感じてこの歌を作った。


雄鵠銜枝來,雌鵠吸泥歸。
雄の鶴は枝をくわえで来るものだ、雌の鶴は泥をついばんで帰るものである。


巢成不生子,大義當乖離。
巣ができ上ってしばらく経過したが子ができない、この社会の大きな倫理にしたがえば別かれなければならないとされる。
大義当乖離 乖も、わかれること。古代中国では、後つぎのないのは、祖先の祭りを絶つため、最大の不孝とされ、たとえほかに欠点がなくても、子のない妻は、大きな「道徳」的見地からいって、離別しなければならなかった。


江漢水之大,鵠身鳥之微。
長江と漢江は川の大きなものである、つるの身は烏というちっぽけなものであるからかにおおきな川に寄り添えば幸福である。
○江漢 長江と漢江。大きな川の代表。つるは水禽であるから、川を持ち出したのであろう。
水之大 大きなものの代表が川である。大きな川があれば、水鳥がそこをよりどころとして住むところであり、水鳥にとっては幸福をもたらすことになる。
鳥之微 鳥の小さなものという意。つるは鳥の中で小さいものとはいえないであろうが、江漢に此すれば、鵬などという空想上の鳥は別とし、どんな大きな鳥でも、微という点では、大差ないであろう。


更無相逢日,且可繞樹相隨飛。
もう逢える日はないだろう、いましばらくは連れそうてこの木のまわりを飛び回ってもいいだろうとおもっている。
 ひとまず。いましばらくは。一時的にする気持ちを示す。