琴操十首  (8)雉朝飛操  牧犢子七十無妻,見雉雙飛,感之而作 韓退之(韓愈)詩<74-(8)>Ⅱ中唐詩438 漢文委員会 紀頌之の漢詩ブログ1393

 

     
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琴操十首(8)
雉朝飛操
「ぎじ朝に飛ぶ」
牧犢子七十無妻,見雉雙飛,感之而作 
牧犢子という人は七十になっても、妻がなかったが、雉のめすおすが連れ立って飛んでいるのを見た。これを感じてこの歌を作った。
雉之飛,於朝日。
きじが飛ぶ、朝日のひかりの中に。
群雌孤雄,意氣橫出。
群れをなしたメス烏とたった一羽のオス鳥がいて、威勢のよいのを満ちあふれさせている。
當東而西,當啄而飛。
東にいるかと思えば西に行き、えさをあさるかと思えば飛び上がる。
隨飛隨啄,群雌粥粥。
オス鳥のあとをあるいは飛びあるいはあさり、メス烏たちはすなおについて行く。
嗟我雖人,曾不如彼雉雞。
ああわたしは人間でありながら、それなのにあのきじにも及ばないのだ。
生身七十年,無一妾與妃。
生まれて七十年もたつ身であるが、一人の内妻さえ、妻さえありはしないのだ。


現代語訳と訳註
(本文)
琴操十首(8)雉朝飛操
牧犢子七十無妻,見雉雙飛,感之而作 
雉朝飛操]
雉之飛,於朝日。
群雌孤雄,意氣橫出。
當東而西,當啄而飛。
隨飛隨啄,群雌粥粥。
嗟我雖人,曾不如彼雉雞。
生身七十年,無一妾與妃。


(下し文)
雉朝飛操【ちちょうそう】
牧犢【ぼくとく】子七十にして妻無し,雉【きじ】の雙【な】らび飛ぶを見,之に感じて作る。
雉の飛ぶ、朝の日に干【お】いてす。
群雌孤雄、意気横出す。
東に当たりて西し、啄むに当たりて飛ぶ。
随って飛び随って啄んで、群雌粥粥たり。
嗟我れ人と雄も、曾ち彼の雉鶏にだも如かず。
生身七十年、一りの妾と妃とだも無し。


(現代語訳)
「ぎじ朝に飛ぶ」
牧犢子という人は七十になっても、妻がなかったが、雉のめすおすが連れ立って飛んでいるのを見た。これを感じてこの歌を作った。
きじが飛ぶ、朝日のひかりの中に。
群れをなしたメス烏とたった一羽のオス鳥がいて、威勢のよいのを満ちあふれさせている。
東にいるかと思えば西に行き、えさをあさるかと思えば飛び上がる。
オス鳥のあとをあるいは飛びあるいはあさり、メス烏たちはすなおについて行く。
ああわたしは人間でありながら、それなのにあのきじにも及ばないのだ。
生まれて七十年もたつ身であるが、一人の内妻さえ、妻さえありはしないのだ。


(訳注)
雉朝飛操
牧犢子七十無妻,見雉雙飛,感之而作。

「ぎじ朝に飛ぶ」
牧犢子という人は七十になっても、妻がなかったが、雉のめすおすが連れ立って飛んでいるのを見た。これを感じてこの歌を作った。
雉朝飛操「ぎじ朝に飛ぶ」のうた。
「齊獨沐子所作也。獨沐子年七十無妻,出薪於野,見飛雉雄雌相隨,感之,撫琴而歌曰:“雉朝飛,鳴相和,雌雄群遊於山阿。我獨何命兮未有家,時將暮兮可奈何,嗟嗟暮兮可奈何?”」
斉の宜王(紀元前三四二土三四年在位)のとき、牧犢子という人は七十になっても、妻がなかった。ある日薪を採りに出かけると、雉のめすおすが連れ立って飛んでいるのを見た。
それに心を動かされて、「立派な王さまがいらっしゃって、草木鳥獣にまでめぐみが及んでいるのに、わたしひとりだけがめぐみにあずからぬ。」といい、琴をひいてこの歌をうたい、自分の境遇を悲しんだが、その声は途中で切れてしまったという。


雉之飛,於朝日。
きじが飛んで行く、ちょうど朝日が輝き始めている。


群雌孤雄,意氣橫出。
群れをなしたメス烏とたった一羽のオス鳥がいて、威勢のよいのを満ちあふれさせている。
橫出 横は普通の軌道をはずれるまでという気持ち。だから、「ほしいまま」とか、「みちあふれている」という意味になる。ここでは、意気が「ほとばしりでている」こと。つまり、威勢のよいことをいう。


當東而西,當啄而飛。
東にいるかと思えば西に行き、えさをあさるかと思えば飛び上がる。
当東両所 当は、「ちょうどそのとき」ということ。東にいると思うと西へ行くというありさまをいう。下の「当啄」の当も同じ。


隨飛隨啄,群雌粥粥。
オス鳥のあとをあるいは飛びあるいはあさり、メス烏たちはすなおについて行く。
随飛 随は、「……するままにくっついて」という気持ち。ここは、雄の飛ぶままに、雌がくっついて行くこと。
粥粥 おとなしい形容。


嗟我雖人,曾不如彼雉雞。
ああわたしは人間でありながら、それなのにあのきじにも及ばないのだ。
 それなのに。逆態の接続を示す。
雉鶏 雉は鶏と同類だから、押韻の関係で鶏の字を加えた。雉一字と同じくきじのこと。なお、野鶏といえば、きじのことである。


生身七十年,無一妾與妃。
生まれて七十年もたつ身であるが、一人の内妻さえ、妻さえありはしないのだ。
生身 この身が生まれてから。
 内妻。中国は一夫多妻制。夫の戸籍には入らない、生まれた男子が跡を継ぐ。
 正妻。配偶者という意味で、がんらいは貴人の夫人に対してだけいうものではなかったらしいが、のちにはある一定の身分の夫人に対してのみ用いられるようになった。