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送李翺 韓退之(韓愈)詩<89>Ⅱ中唐詩486 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1537


唐代は一概に仏教隆盛の時代であったが、その中にあって儒教回帰を唱えたのが、韓愈や李翺たちである。韓愈は著書『原道』で、尭舜から孔子・孟子まで絶えることなく伝授された仁義の「道」こそ仏教・道教の道に取って代わられるべきものだと主張している。李翺は『復性書』において「性」は本来的に善であり、その性に復することで聖人になれるとした。その復性の教えは孔子から伝えられて子思が『中庸』47篇にまとめ、孟子に伝えられたが、秦の焚書坑儒によって失われ、道教・仏教が隆盛するにいたったのだと主張している。彼らの「道」の伝授に関する系統論は宋代の道統論の先駆けとなった。彼らは文学史上、古文復興運動の担い手であるが、古文運動家のいわゆる「文」とは「載道」(道を載せる)の道具であり、文章の字面ではなく、そこに込められた道徳的な精神こそが重要であるとして経文の一字一句にこだわる注疏の学をも批判した。このことが宋代の新しい経学を生む要因の一つとなった。

韓愈の地図03

送李翺 韓愈
<李翺を送別する>
題注:翺娶愈兄弇之女,與愈善。
<題の注釈>
李翺に韓愈が兄韓弇の娘を娶らせている、李翺は韓愈の愛弟子である。
楊於陵爲廣州刺史,表翶佐其府。

戸部侍郎の楊於陵が広州刺史嶺南節度使に任ぜられた。李翺は楊の幕府を副官として助けることになった。
廣州萬里途,山重江逶迤。
廣州への道は果てしなく遠く万里のかなたである。山は幾重にも連なり長江の流れを曲り曲がって遙か先である。
行行何時到,誰能定歸期。
(私が陽山にむかうときもそうだった。)行進し、更にまた行く、一体いつ着くのだろうという感じであり、まして誰が帰って來る日の約束をすることが出来ようか。
揖我出門去,顏色異恒時。

私に挨拶をして門を出て行こうとしている、愛弟子の顔色がいつもの色とは違って見える。
雖云有追送,足跡絕自茲。
人生一世間,不自張與弛。
譬如浮江木,縱橫豈自知。
寧懷別時苦,勿作別後思。

翺 愈の兄 弇【えん】の女【むすめ】を娶とる,愈の善に與【くわわ】る。
楊於陵は廣州刺史に爲く,翶 其府を佐くるを表す。

廣州【こうしゅう】萬里の途【みち】、山は重なり 江は逶迤【きい】たり。
行き行きて何れの時にか到らむ、誰か能く歸期【きき】を定めむや。
我に揖【いつ】して門を出で去くとき、顔色 恒【つね】の時に異れり。


追送【ついそう】有りと云ふと雄も、足跡 茲【これ】より絶えむ。
人 生れて一世【いつせ】の間、張と施とに自らざらむや。
譬【たと】へば江に浮べる木の如し、縱橫 豈に自ら知らむや。
寧ろ別時の苦を懐【いだ】くとも、別後の思を作すこと勿れ。



現代語訳と訳註
(本文)
送李翺 韓愈
題注:翺娶愈兄弇之女,與愈善。
楊於陵爲廣州刺史,表翶佐其府。

廣州萬里途,山重江逶迤。
行行何時到,誰能定歸期。
揖我出門去,顏色異恒時。


(下し文)
翺 愈の兄 弇【えん】の女【むすめ】を娶とる,愈の善に與【くわわ】る。
楊於陵は廣州刺史に爲く,翶 其府を佐くるを表す。

廣州【こうしゅう】萬里の途【みち】、山は重なり 江は逶迤【きい】たり。
行き行きて何れの時にか到らむ、誰か能く歸期【きき】を定めむや。
我に揖【いつ】して門を出で去くとき、顔色 恒【つね】の時に異れり。


(現代語訳)
<題の注釈>
李翺に韓愈が兄韓弇の娘を娶らせている、李翺は韓愈の愛弟子である。
戸部侍郎の楊於陵が広州刺史嶺南節度使に任ぜられた。李翺は楊の幕府を副官として助けることになった。
<李翺を送別する>
廣州への道は果てしなく遠く万里のかなたである。山は幾重にも連なり長江の流れを曲り曲がって遙か先である。
(私が陽山にむかうときもそうだった。)行進し、更にまた行く、一体いつ着くのだろうという感じであり、まして誰が帰って來る日の約束をすることが出来ようか。
私に挨拶をして門を出て行こうとしている、愛弟子の顔色がいつもの色とは違って見える。


(訳注)
送李翺
翺娶愈兄弇之女,與愈善。
李翺に韓愈が兄韓弇の娘を娶らせている、李翺は韓愈の愛弟子である。
送李翺 巻四。李 翺(り こう、772年 – 841年)は、唐代中国の文人。字は習之。西涼の武昭王李暠の子孫とも、北魏の尚書左僕射であった李沖の10世の孫とも伝えられる。韓愈の高弟であり、士を好むところが似ていた。人に一善一能ある時は必ず賞賛し、賢者を推挙する機会を常に求めていたという。
・翺娶愈兄弇之女,與愈善。 李翺は、韓愈が兄韓弇の娘を娶らせた愛弟子である。


楊於陵爲廣州刺史,表翶佐其府。
戸部侍郎の楊於陵が広州刺史嶺南節度使に任ぜられた。李翺は楊の幕府を副官として助けることになった。
表翶佐其府 元和三年、戸部侍郎の楊於陵が広州刺史嶺南節度使に任ぜられた。揚於陵は、李翺を副官としたいと乞うて許された。その年の十月、揚於陵の手紙をうけとった李翺は、翌四年正月、妻子をつれて任地にむかった。この詩は、その折につくられた。なお、李翺は、この旅行の出発から到着までのめんみつな日記、『来南録』をのこしていて、唐代地理上の貴重な文献とされている。


廣州萬里途,山重江逶迤。
廣州への道は果てしなく遠く万里のかなたである。山は幾重にも連なり長江の流れを曲り曲がって遙か先である。
広州 いまの広東省広州。韓愈も数年前に五嶺山脈を越えて広東省陽山の県令に赴任している
万里途 長安から広州までの距離は、『通典』によれば五千四百四十七里。(3138km).
三千里を超えると万里という表現になる。万里ははるかな距離をいうので、日本人的には五、六千里という表現になろうか。
逶迤 水流のまがりくねっているさま。


行行何時到,誰能定歸期。
(私が陽山にむかうときもそうだった。)行進し、更にまた行く、一体いつ着くのだろうという感じであり、まして誰が帰って來る日の約束をすることが出来ようか。


揖我出門去,顏色異恒時。
私に挨拶をして門を出て行こうとしている、愛弟子の顔色がいつもの色とは違って見える。


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