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送李翺 韓退之(韓愈)詩<89-#2>Ⅱ中唐詩487 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1540


送李翺 韓愈
<李翺を送別する>
題注:翺娶愈兄弇之女,與愈善。
李翺に韓愈が兄韓弇の娘を娶らせている、李翺は韓愈の愛弟子である。
楊於陵爲廣州刺史,表翶佐其府。

戸部侍郎の楊於陵が広州刺史嶺南節度使に任ぜられた。李翺は楊の幕府を副官として助けることになった。
廣州萬里途,山重江逶迤。
廣州への道は果てしなく遠く万里のかなたである。山は幾重にも連なり長江の流れを曲り曲がって遙か先である。
行行何時到,誰能定歸期。
(私が陽山にむかうときもそうだった。)行進し、更にまた行く、一体いつ着くのだろうという感じであり、まして誰が帰って來る日の約束をすることが出来ようか。
揖我出門去,顏色異恒時。
私に挨拶をして門を出て行こうとしている、愛弟子の顔色がいつもの色とは違って見える。

雖云有追送,足跡絕自茲。
ここにおいて見送るひとはいること居るというものではあるけれども、互いの足取りについては今日かぎりで通い合うことはないのだ。
人生一世間,不自張與弛。
人の生き方というものは一生の間貫くものである。その中では緊張と弛緩とを経験しないわけにはゆかないのだ。
譬如浮江木,縱橫豈自知。
たとえば人生は大江に浮かぶ木のようなものであるし、身を縦にしたり、横にすることもどうして自分でしたいようになるというのであろうか
寧懷別時苦,勿作別後思

その中でむしろ、別れの時の苦しみはやむをえないことであるし、勿論、大切なことは別れの後にいつまでもくよくよ思わないことである。
廣州【こうしゅう】萬里の途【みち】、山は重なり 江は逶迤【きい】たり。
行き行きて何れの時にか到らむ、誰か能く歸期【きき】を定めむや。
我に揖【いつ】して門を出で去くとき、顔色 恒【つね】の時に異れり。

追送【ついそう】有りと云ふと雄も、足跡 茲【これ】より絶えむ。
人 生れて一世【いつせ】の間、張と施とに自らざらむや。
譬【たと】へば江に浮べる木の如し、縱橫 豈に自ら知らむや。
寧ろ別時の苦を懐【いだ】くとも、別後の思を作すこと勿れ。


現代語訳と訳註
(本文)

雖云有追送,足跡絕自茲。
人生一世間,不自張與弛。
譬如浮江木,縱橫豈自知。
寧懷別時苦,勿作別後思。


(下し文)
追送【ついそう】有りと云ふと雄も、足跡 茲【これ】より絶えむ。
人 生れて一世【いつせ】の間、張と施とに自らざらむや。
譬【たと】へば江に浮べる木の如し、縱橫 豈に自ら知らむや。
寧ろ別時の苦を懐【いだ】くとも、別後の思を作すこと勿れ。


(現代語訳)
ここにおいて見送るひとはいること居るというものではあるけれども、互いの足取りについては今日かぎりで通い合うことはないのだ。
人の生き方というものは一生の間貫くものである。その中では緊張と弛緩とを経験しないわけにはゆかないのだ。
たとえば人生は大江に浮かぶ木のようなものであるし、身を縦にしたり、横にすることもどうして自分でしたいようになるというのであろうか
その中でむしろ、別れの時の苦しみはやむをえないことであるし、勿論、大切なことは別れの後にいつまでもくよくよ思わないことである。


(訳注)
雖云有追送,足跡絕自茲。
ここにおいて見送るひとはいること居るというものではあるけれども、互いの足取りについては今日かぎりで通い合うことはないのだ。
・追送 みおくりの人。迫も送と同意。
・足跡 訪問者の足あと。


人生一世間,不自張與弛。
人の生き方というものは一生の間貫くものである。その中では緊張と弛緩とを経験しないわけにはゆかないのだ。
・張与施 緊張と弛緩。施は地と同義。


譬如浮江木,縱橫豈自知。
たとえば人生は大江に浮かぶ木のようなものであるし、身を縦にしたり、横にすることもどうして自分でしたいようになるというのであろうか


寧懷別時苦,勿作別後思。
その中でむしろ、別れの時の苦しみはやむをえないことであるし、勿論、大切なことは別れの後にいつまでもくよくよ思わないことである。
別後思 別れぬまえから、別れののちのかなしみが思われる。だが、そのかなしみを断って、おのれの仕事にうちこむのが、男性なのだ。そう、愛弟子をはげましているのである。李朝の顔色が恒の時と異なる、と見たのは、むしろ、愛弟子をはげましているのである。



李翺の顔色が通常の色と異なると見たのとは異なる、と見たのは、むしろ。愛弟子と姪を遠くへやる韓愈の心がいつもより湿っていたからかもしれない。
別後の思いをなすことなかれ、と言い放ちながら、かえって、ふきあげてくる別後の思いが「寧ろ別後の苦を懐くとも」の句に溢れているような味わいの作である。作者が平安の境にのみ住んだひとならば、この結びの句はしらじらしく聞こえようが、自ら五嶺山脈を越え、南方の地で苦しみをなめたひとであるがゆえに、沈痛にひびくのである。


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