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送湖南李正字歸 韓愈 唐詩
   底本巻四

送湖南李正字歸
長沙入楚深,洞庭值秋晚。
人隨鴻雁少,江共蒹葭遠。
曆曆餘所經,悠悠子當返。
孤游懷耿介,旅宿夢婉娩。
風土稍殊音,魚蝦日異飯。
親交俱在此,誰與同息偃。


元和四年八〇九六月、韓愈は、国子博士から都官員外郎に転任し、ひきつづき洛陽に勤務していた。都官は刑獄をつかさどる。長官は郎中で、員外邸はそのすぐ下であるから、地位としては悪くほない。けれども、仕事は、かれにとって好もしいものではなかった。かれは、その仕事場で、孤独を感ずることがあったのではないか。ふしぎにデリケイトな味わいをもった「晩菊」の詩は、たぶん、このころの作品であろう。「湖南の李正字の帰るを送る」もまた、都官員外郎時代の作品だが、送別の宴でかれが書いた散文「湖南の李正字を送る序」は、この時代のかれの感情をよくえがいており、送詩を説明してもいるので引いておこう。

送湖南李正字序
貞元中,愈從太傅隴西公平汴州,李生之尊府以侍禦史管汴之鹽鐵,日為酒殺羊享賓客,李生則尚與其弟學讀書,習文辭,以舉進士為業。愈於太傅府年最少,故得交李生父子間。

公薨軍亂,軍司馬從事皆死,侍禦亦被讒為民日南。其後五年,愈又貶陽山令,今愈以都官郎守東都省,侍禦自衡州刺史為親王長史,亦留此掌其府事。

李生自湖南從事請告來覲。於時太傅府之士,惟愈與河南司錄周君巢獨存,其外則李氏父子,相與為四人。離十三年,幸而集處,得燕而舉一觴相屬,此天也,非人力也。

侍禦與周君,於今為先輩成德,李生溫然為君子,有詩八百篇,傳詠於時。惟愈也業不益進,行不加修,顧惟未死耳。往拜侍禦,謁周君,抵李生,退未嚐不發愧也。

往時侍禦有無盡費於朋友,及今則又不忍其三族之寒饑,聚而館之,疏遠畢至,祿不足以養。李生雖欲不從事於外,其勢不可得已也。

重李生之還者皆為詩,愈最故,故又為序雲。

現代語訳
貞元中,愈從太傅隴西公平汴州,李生之尊府以侍禦史管汴之鹽鐵,日為酒殺羊享賓客,李生則尚與其弟學讀書,習文辭,以舉進士為業。愈於太傅府年最少,故得交李生父子間。
貞元中、わたしは太傳隴西公が宜武節度使として汴州に赴任されたとき、その属僚となった。李君のご尊父は侍御史として汴州の塩と鉄とを管理しておられたが、日々、酒を準備し、羊をつぶして、お客を接待されたものだった。李君はというと、まだ弟さんといっしょに、読書をまなび、文章をならって、進士の受験勉強中だった。わたしは、太侍の役所ではもっとも年少だった。だから李君の父子おふたりと交際することができたのだ。

公薨軍亂,軍司馬從事皆死,侍禦亦被讒為民日南。其後五年,愈又貶陽山令,今愈以都官郎守東都省,侍禦自衡州刺史為親王長史,亦留此掌其府事。
公が死去されると軍は乱れ、軍の司馬も従事もみな死んでしまった。侍御もまた讒言され、日南地方に流された。その後五年、わたしもまた陽山の令に貶められた。いま、わたしは都官郎の職で洛陽勤務となり、侍御は衡州刺史から、親王の長史となって、またこの他に滞在し、府の仕事をやっていらっしゃる。

李生自湖南從事請告來覲。於時太傅府之士,惟愈與河南司錄周君巢獨存,其外則李氏父子,相與為四人。離十三年,幸而集處,得燕而舉一觴相屬,此天也,非人力也。
李生は湖南の従事をしていたが、休暇をもらって、洛陽におとうさんの見舞いにやってこられた。このとき太傳の府にいたひとでは、ただわたしと河南司録の周愿君だけがのこっていて、そのほかでは李君父子だけ、あわせて四人なのだ。十三年間も離れはなれになっていて、さいわいこうして集い、宴をひらいて一献かわす。これは天のはからいであって、人間の力でできることではない。

侍禦與周君,於今為先輩成德,李生溫然為君子,有詩八百篇,傳詠於時。惟愈也業不益進,行不加修,顧惟未死耳。往拜侍禦,謁周君,抵李生,退未嚐不發愧也。

侍御と周君とは、今こそいよいよ先輩として、あおぐべき徳をつまれた。李君はおっとりとした君子で、その詩八百篇は、ひとびとに伝称されている。わたしばかりは、学業は一向すすまず、といって、何一つ仕事らしい仕事をしたわけでもない。かえりみて、ただ死ななかったというだけのこと。侍御におめにかかり、周君にお会いし、李君をたずねて帰ってくると、はずかしくなって、顔のあからまないこととてはないのだ。

往時侍禦有無盡費於朋友,及今則又不忍其三族之寒饑,聚而館之,疏遠畢至,祿不足以養。李生雖欲不從事於外,其勢不可得已也。
むかしは、侍御がどんなに朋友のためにつくされても、その範囲はさほどでもなく、従って、それで経済的にどうこういうことはなかったようだ。ところが、今の地位になられると、親戚縁者の困っているひとたちをほおっておくこともできず、集めて家族同様にめんどうをみていらっしゃるので、疎遠だったひとたちまで、みなやって来て、さすがの御俸禄でも、なかなかの負担だ。こうなると、李君が、家を外にしての仕事につきたくなくとも、そうせずにはすまないのだ。

重李生之還者皆為詩,愈最故,故又為序雲。
李君が勤務先に帰られるにあたって、知友みな詩をつくっておくることとした。わたしは、君ともっとも親しいので、序文を書くこととなった。


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送湖南李正字歸
長沙入楚深,洞庭值秋晚。
洞庭湖を南下して湘江に入っていくと長沙があり、そこは江南の楚地方の深く入ったところとなる。洞庭湖は秋の真っただ中で日が暮れていく。
人隨鴻雁少,江共蒹葭遠。
ひとは大鳥や雁と同じように秋になって少なくなってしいるのだろう。湘江は葭とともにはるかとおくなっている。
曆曆餘所經,悠悠子當返。
月日を漫然と私の門下で儒者としての道をすごしてきたけれど、こうして、君ははるか遠い先に帰っていくのだ。
孤游懷耿介,旅宿夢婉娩。
独り行く旅人として孤独であっても堅く志を守っていってほしいと思うのであるが、旅先の宿では、艶めかし事は夢の中だけにしておくことだね。
風土稍殊音,魚蝦日異飯。
気候風土が違うと言葉も違っているものだ、魚やエビについても毎日違った食べ物を食べるということになるのだ。
親交俱在此,誰與同息偃。

今この宴席においては共に腹を割って親交を深めるのであり、談議、団欒は誰でも君に対して同じようにするものである。

湖南の李正字が帰るを送る
長沙【ちょうさ】楚の深きに入り、洞庭【どうてい】秋の晩【おそ】きに値ふ。
人は鴻雁【こうがん】に随って少に、江は蒹葭【けんか】と共に遠し。
歴歴【れきれき】として余が経し所、悠悠【ゆうゆう】として子【きみ】當【まさ】に返るべし。
孤游【こゆう】 耿介【こうかい】を懐き、旅宿 夢 婉娩【えんばん】たらん。
風土は稍【やや】に音を殊【こと】にし、魚蝦【ぎょか】は日びに飯を異にせむ。
親交 俱に 此に在り、誰と與【とも】にか息偃【そくえん】を同じうせむ。


韓愈の地図01

現代語訳と訳註
(本文)
送湖南李正字歸
長沙入楚深,洞庭值秋晚。
人隨鴻雁少,江共蒹葭遠。
曆曆餘所經,悠悠子當返。
孤游懷耿介,旅宿夢婉娩。
風土稍殊音,魚蝦日異飯。
親交俱在此,誰與同息偃。


(下し文)
湖南の李正字が帰るを送る
長沙【ちょうさ】楚の深きに入り、洞庭【どうてい】秋の晩【おそ】きに値ふ。
人は鴻雁【こうがん】に随って少に、江は蒹葭【けんか】と共に遠し。
歴歴【れきれき】として余が経し所、悠悠【ゆうゆう】として子【きみ】當【まさ】に返るべし。
孤游【こゆう】 耿介【こうかい】を懐き、旅宿 夢 婉娩【えんばん】たらん。
風土は稍【やや】に音を殊【こと】にし、魚蝦【ぎょか】は日びに飯を異にせむ。
親交 俱に 此に在り、誰と與【とも】にか息偃【そくえん】を同じうせむ。


(現代語訳)
洞庭湖を南下して湘江に入っていくと長沙があり、そこは江南の楚地方の深く入ったところとなる。洞庭湖は秋の真っただ中で日が暮れていく。
ひとは大鳥や雁と同じように秋になって少なくなってしいるのだろう。湘江は葭とともにはるかとおくなっている。
月日を漫然と私の門下で儒者としての道をすごしてきたけれど、こうして、君ははるか遠い先に帰っていくのだ。
独り行く旅人として孤独であっても堅く志を守っていってほしいと思うのであるが、旅先の宿では、艶めかし事は夢の中だけにしておくことだね。
気候風土が違うと言葉も違っているものだ、魚やエビについても毎日違った食べ物を食べるということになるのだ。
今この宴席においては共に腹を割って親交を深めるのであり、談議、団欒は誰でも君に対して同じようにするものである。


(訳注)
送湖南李正字歸
 洞庭湖。
李正字 李生則の子。韓愈の門下。
 

長沙入楚深,洞庭值秋晚。
洞庭湖を南下して湘江に入っていくと長沙があり、そこは江南の楚地方の深く入ったところとなる。洞庭湖は秋の真っただ中で日が暮れていく。
長沙 春秋戦国時代には楚国に属し、成王のとき黔中郡が置かれたことに始まる。秦代に秦36郡のひとつとして長沙郡が設置されている。漢代初には呉芮を封じて臨湘県を都とする長沙王国が設置され、5代46年間続いた。長沙王国の相である軑侯利蒼一族の墓所として有名な馬王堆漢墓を今に伝える。隋唐代から清末にかけて潭州の中心として発展した。
 楚(そ)は、中国の王朝名、地名。地名としての楚は、現在の湖南省・湖北省を指す。


人隨鴻雁少,江共蒹葭遠。
ひとは大鳥や雁と同じように秋になって少なくなってしいるのだろう。湘江は葭とともにはるかとおくなっている。
鴻雁 おおとりと雁。おおとりは雁に似て大形の鳥。
蒹葭 ひめよし。


曆曆餘所經,悠悠子當返。
月日を漫然と私の門下で儒者としての道をすごしてきたけれど、こうして、君ははるか遠い先に帰っていくのだ。
・歴歴 分明のさま、また行列のさま。次々に並ぶさまや明白なさま。曆曆は月日を漫然と過ごしていったことをいう。


孤游懷耿介,旅宿夢婉娩。
独り行く旅人として孤独であっても堅く志を守っていってほしいと思うのであるが、旅先の宿では、艶めかし事は夢の中だけにしておくことだね。
孤訪 ひとりたび。
耿介 堅く志を守ること、転じて孤独なこと。
・婉娩 しなやかなさま。まとわりつくさま。ここではふるさとのことなどが夢の中にまといついてくることを指す。


風土稍殊音,魚蝦日異飯。
気候風土が違うと言葉も違っているものだ、魚やエビについても毎日違った食べ物を食べるということになるのだ。
殊音 こと.ほがちがち㌔
魚蝦 魚やえび。
異飯 食べものがかわる。


親交俱在此,誰與同息偃。
今この宴席においては共に腹を割って親交を深めるのであり、談議、団欒は誰でも君に対して同じようにするものである。
息偃 だんらん。偃息する。


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