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東都遭春 韓退之(韓愈)詩<84-#1>Ⅱ中唐詩464 紀頌之の漢詩ブログ1471



<詩の背景>
809年元和四年。四十二歳になった愈は、都官員外郎に転任した。この職にはやはり長安と洛陽とに勤務する場所が分かれており、恵はまた「分司東都」を命ぜられた。洛陽に住んだままで、勤め先だけが変れる職であった。同時に両部員外郎の職務を執行すべきことが命ぜられていた。
これは定期異動による転任で、都官は刑部に属し、罪人の家財没収の執行や没収した家財の管理をつかさどるものであり、員外郎は、その役所の事務官ということである。博士とは違っていちおうは行政官であり、行政上の手腕を揮うチャンスであった。


問題は兼務の両部員外郎のほうに発生した。両部は礼部に属し、祭両・易占および宗教に関する事務を管掌する。仏教の寺院および道教の道観も、制度上は両部の所管であった。ところが、当時、寺院や道観を事実上管理していたのは宦官たちであった。玄宗皇帝が道教を国教として依頼、道教が朝廷内に入り込み、同時に宦官と結託すことになり、皇帝の地位させ裏で左右するところまで権力を持ってきていた。
本来、宦官は皇帝の身のまわりの世話をする本来は賎しい職だったが、皇帝の寵愛を受け、皇后側室の庇護を受け、そして外部勢力と接近すことにより朝廷内の警部まで実質的にするようになっていた。
韓愈はこれに対し、宦官の寺院または道観への立ち入りを禁止したのであるが、これは法律てきには正しくても、絶大な権力を握っている宦官たちに反発は免れなかったのである。

韓愈は勤務ぶりから、あらゆる点について、少しでも誤りや欠点があればそこを取りあげて弾劾しょうと、細かい点までチェックが入り、陰湿な攻撃を受けることになったのである。

堪り兼ねた韓愈は東都留守の以前に四門博士だったとき、国子祭酒という直属上官の地位にあった鄭余慶に手紙を送り、自分の立場を訴えた。
表面だって宦官に逆らうもののいない時代に、韓愈は孤立無援の立場に自らを置いたのである。そんな出来事の始まりのころの詩である。


韓愈84首目 東都遇春 5分割の1回目


東都遇春  #1
少年氣真狂,有意與春競。行逢二三月,九州花相映。
川原曉服鮮,桃李晨妝靚。荒乘不知疲,醉死豈辭病。
飲啖惟所便,文章倚豪橫。爾來曾幾時,白髮忽滿鏡。
#2
舊遊喜乖張,新輩足嘲評。心腸一變化,羞見時節盛。
得閒無所作,貴欲辭視聽。深居疑避仇,默臥如當暝。
朝曦入牖來,鳥喚昏不醒。為生鄙計算,鹽米告屢罄。
#3
坐疲都忘起,冠側懶複正。幸蒙東都官,獲離機與阱。
乖慵遭傲僻,漸染生弊性。既去焉能追,有來猶莫騁。
有船魏王池,往往縱孤泳。水容與天色,此處皆綠淨。
#4
岸樹共紛披,渚牙相緯經。懷歸苦不果,即事取幽迸。
貪求匪名利,所得亦已並。悠悠度朝昏,落落捐季孟。
群公一何賢,上戴天子聖。謀謨收禹績,四面出雄勁。
#5
轉輸非不勤,稽逋有軍令。在庭百執事,奉職各祗敬。
我獨胡為哉,坐與億兆慶。譬如籠中鳥,仰給活性命。
為詩告友生,負愧終究竟。



東都遭春
#1
少年氣真狂,有意與春競。
若いころの気質というものは真面目であり、一本気でほかのものが目に入らないで懸命にするというものである、心に持つ思いと万物成長の春とが勢いを競いあっているようなところがあるのだ。
行逢二三月,九州花相映。
清明節の春の季節に逢えば行楽へ出かけるし、世界じゅうの花が私と照りはえるのである。
川原曉服鮮,桃李晨妝靚。
川ぞいの平原は朝日でよそおいも鮮やかになり、桃や李の花にも日がさしてそこにいる女の人の朝の化粧の美しさが映えるのである。
荒乘不知疲,醉死豈辭病。
郊外の野辺まで馬に乗って行っても疲れを知らず、たとい酔って死のうとも病気といって断わることはしないというものだ。
飲啖惟所便,文章倚豪橫。
飲食についてはただ気の向くままであるが、違うのはそこで作る詩文、文学は豪放を旨とするものである。
爾來曾幾時,白髮忽滿鏡。
それからというものどれほどの時間がたったのだろうか、ふと鏡を見ると、そこには白髪いっぱいの老人のあたまがひろがっているのである。

少年 気 真【まこと】に狂なり、意 春と競う有り。
行きて二三月に逢えば、九州 花 相映ず。
川原【せんげん】暁服【ぎょうふく】鮮かに、桃李 晨妝【しんしょう】靚【うつく】し。
荒乗 疲れを知らず、酔死 豈病いを辞せんや。
飲啖【いんたん】 惟だ便とする所、文章 豪橫【ごうおう】に倚る。
爾来【じらい】 曾て幾時ぞ、白髪 忽【たちま】ち鏡に満つ。


#2
舊遊喜乖張,新輩足嘲評。心腸一變化,羞見時節盛。
得閒無所作,貴欲辭視聽。深居疑避仇,默臥如當暝。
朝曦入牖來,鳥喚昏不醒。為生鄙計算,鹽米告屢罄。

旧遊は乖張【かいちょう】を苦み、新輩【しんはい】は嘲評【ちょうひょう】足れり。
心腸一たび変化し、時節の盛なるを見るを羞ず。
間を得て作す所無く、貴欲 視聴を辞す。
深居 仇を避くるかと疑い、黙臥 瞑に当たるが如し。
朝曦【ちょうぎ】牖【まど】に入り来たり、鳥喚べども昏にして醒めず。
生を為すに計算に鄙【うと】く、塩米 屡【しばし】ば罄【つ】くるを告ぐ。


#3
坐疲都忘起,冠側懶複正。幸蒙東都官,獲離機與阱。
乖慵遭傲僻,漸染生弊性。既去焉能追,有來猶莫騁。
有船魏王池,往往縱孤泳。水容與天色,此處皆綠淨。

坐疲れて都【す】べて起つを忘れ、冠側【かたむ】きて復正すに懶【ものう】し
幸いに東都の官を蒙【こうむ】り、機と阱とより離るるを獲たり。
乖慵【かいよう】して傲僻【ごうへき】に遭い、漸染【ぜんせん】して弊性を生ず。
既に去るは焉【いず】くんぞ能く追わん、来たる有るは猶お騁【へい】すること莫けん。
船有り親王の池、往往 孤泳を縦【ほしいまま】にす。
水容と天色と、此の処 皆緑浄なり。


#4
岸樹共紛披,渚牙相緯經。懷歸苦不果,即事取幽迸。
貪求匪名利,所得亦已並。悠悠度朝昏,落落捐季孟。
群公一何賢,上戴天子聖。謀謨收禹績,四面出雄勁。

岸樹 共に紛技として、渚牙【しょが】相 緯経【いけい】す。
帰るを懐うて果たさざるに苦しみ、事に即いて幽迸【ゆうほう】を取る。
貪り求むるは名利に匪ず、得る所 亦己に併す。
悠悠として朝昏を度り、落落として季孟を捐【す】つ。
群公一に何ぞ賢なる、上に天子の聖を戴【いただ】く。
謀謨【ぼうばく】禹績【うせき】を収め、四面 出でて雄勁【ゆうけい】なり。


#5
轉輸非不勤,稽逋有軍令。在庭百執事,奉職各祗敬。
我獨胡為哉,坐與億兆慶。譬如籠中鳥,仰給活性命。
為詩告友生,負愧終究竟。

転輸【てんゆ】勤めざるに非ず、稽逋【けいほ】軍令有り。
在庭の百執事、職を奉ずること各【おのお】の祗【つつし】み敬【つつし】む。
我独り胡【なに】をか為す、坐【い】ながらにして億兆の慶びに与【あず】かる。
譬【たと】えば籠中【ろうちゅう】の鳥の、給を仰いで性命を活かすが如し。
詩を為って友生に告ぐ、愧【はじ】を負うて終【つい】に究竟【きゅうきょう】せんやと


『東都遇春』 現代語訳と訳註 #1
(本文) #1

少年氣真狂,有意與春競。行逢二三月,九州花相映。
川原曉服鮮,桃李晨妝靚。荒乘不知疲,醉死豈辭病。
飲啖惟所便,文章倚豪橫。爾來曾幾時,白髮忽滿鏡。


(下し文)
少年 気 真【まこと】に狂なり、意 春と競う有り。
行きて二三月に逢えば、九州 花 相映ず。
川原【せんげん】暁服【ぎょうふく】鮮かに、桃李 晨妝【しんしょう】靚【うつく】し。
荒乗 疲れを知らず、酔死 豈病いを辞せんや。
飲啖【いんたん】 惟だ便とする所、文章 豪橫【ごうおう】に倚る。
爾来【じらい】 曾て幾時ぞ、白髪 忽【たちま】ち鏡に満つ。


(現代語訳)

若いころの気質というものは真面目であり、一本気でほかのものが目に入らないで懸命にするというものである、心に持つ思いと万物成長の春とが勢いを競いあっているようなところがあるのだ。
清明節の春の季節に逢えば行楽へ出かけるし、世界じゅうの花が私と照りはえるのである。
川ぞいの平原は朝日でよそおいも鮮やかになり、桃や李の花にも日がさしてそこにいる女の人の朝の化粧の美しさが映えるのである。
郊外の野辺まで馬に乗って行っても疲れを知らず、たとい酔って死のうとも病気といって断わることはしないというものだ。
飲食についてはただ気の向くままであるが、違うのはそこで作る詩文、文学は豪放を旨とするものである。
それからというものどれほどの時間がたったのだろうか、ふと鏡を見ると、そこには白髪いっぱいの老人のあたまがひろがっているのである。


(訳注)#1
東都遇春

この詩は810年元和五年の春の作である。前年の冬、恒州(今の河北省南部の正定県-地図の中央上)に本拠をもつ成徳軍節度の王承宗が謀反をおこし、朝廷では征討の軍を差し向ける一方、成徳軍の四方をかこむ潘鎮に鎮圧の命令を下した。しかし、潘鎮は必ずしも熱心に征討につとめようとはしなかったので、事件は元和五年にも続き、なお長期化の様相を見せていた。そして元和五年の冬、韓愈ほ河南県令に転じたのである。


少年氣真狂,有意與春競。
若いころの気質というものは真面目であり、一本気でほかのものが目に入らないで懸命にするというものである、心に持つ思いと万物成長の春とが勢いを競いあっているようなところがあるのだ。
・少年 15歳から20歳まで位を云う。
・氣真狂 気質が真面目であり、一本気である。狂は狂っているのではなく一本気、ほかのものが目に入らないで懸命にするという意味。


行逢二三月,九州花相映。
清明節の春の季節に逢えば行楽へ出かけるし、世界じゅうの花が私と照りはえるのである。
・行逢 行は行楽で当時は野山に出かけ酒を呑むことを万幕を張って楽しんだ。
・二三月 二月は桃の花、と三月は梨の花、牡丹であった。二三月清明節(旧暦3/3)のころを云う。


川原曉服鮮,桃李晨妝靚。
川ぞいの平原は朝日でよそおいも鮮やかになり、桃や李の花にも日がさしてそこにいる女の人の朝の化粧の美しさが映えるのである。
・曉服 夜明け前のモノトーンの暁の光でカラートンが蘇ってくる様子。朝のよそおい。


荒乘不知疲,醉死豈辭病。
郊外の野辺まで馬に乗って行っても疲れを知らず、たとい酔って死のうとも病気といって断わることはしないというものだ。


飲啖惟所便,文章倚豪橫。
飲食についてはただ気の向くままであるが、違うのはそこで作る詩文、文学は豪放を旨とするものである。


爾來曾幾時,白髮忽滿鏡。
それからというものどれほどの時間がたったのだろうか、ふと鏡を見ると、そこには白髪いっぱいの老人のあたまがひろがっているのである。

 


『東都遇春』 
少年氣真狂,有意與春競。行逢二三月,九州花相映。
川原曉服鮮,桃李晨妝靚。荒乘不知疲,醉死豈辭病。
飲啖惟所便,文章倚豪橫。爾來曾幾時,白髮忽滿鏡。

少年 気 真【まこと】に狂なり、意 春と競う有り。
行きて二三月に逢えば、九州 花 相映ず。
川原【せんげん】暁服【ぎょうふく】鮮かに、桃李 晨妝【しんしょう】靚【うつく】し。
荒乗 疲れを知らず、酔死 豈病いを辞せんや。
飲啖【いんたん】 惟だ便とする所、文章 豪橫【ごうおう】に倚る。
爾来【じらい】 曾て幾時ぞ、白髪 忽【たちま】ち鏡に満つ。