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直鉤吟 盧仝 詩<6>Ⅱ中唐詩511 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1612


卷388_9 《直鉤吟》盧仝

初歲學釣魚,自謂魚易得。三十持釣竿,一魚釣不得。
人鉤曲,我鉤直,哀哉我鉤又無食。文王已沒不復生,
直鉤之道何時行。


直鉤吟
初歲學釣魚,自謂魚易得。
幼い時に魚を釣ることを教えてもらった。その頃に思ったことは「魚はこんなに容易くとることが出来るのか」ということであった。
三十持釣竿,一魚釣不得。
論語に言う「三十而立」の年齢になった、それなりの釣竿を持つようになったが、一匹の魚でさえ収獲できないのである。
人鉤曲,我鉤直,哀哉我鉤又無食。
他の人間の釣り針は曲がっているものであり、私の釣り針はまっすぐにしているのである。悲しいと思うのはこの私の釣り針では釣ることもできなければ又食うこともできないのである。
文王已沒不復生,直鉤之道何時行。
儒家の手本であり、為政者の手本である文王は既に歿しており、また生き返るということはないので期待はできないのである。人を欺いたり、信念を曲げることをせず、だから私はまっすぐに生きていく、「直鉤」という道こそはどんなことがあろうといつまでも貫いて行動していくということである。

初歲 魚を釣ることを學び,自ら謂【おも】えらく魚は得易【やす】しと。
三十 釣竿を持し,一魚をも釣り得ず。
人の鉤【はり】は曲り,我が鉤は直なり,哀しい哉 我が鉤は又食【えさ】無し。
文王 已に沒して 復た生せず,直鉤【ちょっこう】の道は何れの時にか行なわれん。


『直鉤吟』 現代語訳と訳註
(本文)
直鉤吟
初歲學釣魚,自謂魚易得。
三十持釣竿,一魚釣不得。
人鉤曲,我鉤直,哀哉我鉤又無食。
文王已沒不復生,直鉤之道何時行。


(下し文)
初歲 魚を釣ることを學び,自ら謂【おも】えらく魚は得易【やす】しと。
三十 釣竿を持し,一魚をも釣り得ず。
人の鉤【はり】は曲り,我が鉤は直なり,哀しい哉 我が鉤は又食【えさ】無し。
文王 已に沒して 復た生せず,直鉤【ちょっこう】の道は何れの時にか行なわれん。


(現代語訳)
幼い時に魚を釣ることを教えてもらった。その頃に思ったことは「魚はこんなに容易くとることが出来るのか」ということであった。
論語に言う「三十而立」の年齢になった、それなりの釣竿を持つようになったが、一匹の魚でさえ収獲できないのである。他の人間の釣り針は曲がっているものであり、私の釣り針はまっすぐにしているのである。悲しいと思うのはこの私の釣り針では釣ることもできなければ又食うこともできないのである。
儒家の手本であり、為政者の手本である文王は既に歿しており、また生き返るということはないので期待はできないのである。人を欺いたり、信念を曲げることをせず、だから私はまっすぐに生きていく、「直鉤」という道こそはどんなことがあろうといつまでも貫いて行動していくということである。


(訳注)
直鉤吟

詩の結句にある語を用いて詩題としている。


初歲學釣魚,自謂魚易得。
幼い時に魚を釣ることを教えてもらった。その頃に思ったことは「魚はこんなに容易くとることが出来るのか」ということであった。


三十持釣竿,一魚釣不得。
論語に言う「三十而立」の年齢になった、それなりの釣竿を持つようになったが、一匹の魚でさえ収獲できないのである。


人鉤曲,我鉤直,哀哉我鉤又無食。
他の人間の釣り針は曲がっているものであり、私の釣り針はまっすぐにしているのである。悲しいと思うのはこの私の釣り針では釣ることもできなければ又食うこともできないのである。


文王已沒不復生,直鉤之道何時行。
儒家の手本であり、為政者の手本である文王は既に歿しており、また生き返るということはないので期待はできないのである。人を欺いたり、信念を曲げることをせず、だから私はまっすぐに生きていく、「直鉤」という道こそはどんなことがあろうといつまでも貫いて行動していくということである。
文王 紀元前1152年-紀元前1056年 寿命 97才)は、中国の周朝の始祖。姓は姫、諱は昌。父季歴と母太任の子。周王朝の創始者である武王の父にあたる。文王は商に仕えて、三公(特に重要な三人の諸侯)の地位にあり、父である季歴の死後に周の地を受け継ぎ、岐山のふもとより本拠地を灃河(渭河の支流である。湖南省の澧水とは字が異なる)の西岸の豊邑(正しくは豐邑。後の長安の近く)に移し、仁政を行ってこの地を豊かにしていた。武王が文王の積み上げた物を基盤として商を倒し、周王朝を立てた。武王は昌に対し文王と追号した。後世、特に儒家からは武王と並んで聖王として崇められ、為政者の手本となった。