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石鼓歌 韓愈 韓退之(韓愈)詩<97-#2>Ⅱ中唐詩523 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1658


石鼓歌
石臼のよう太鼓の形の石に、先秦時代の文字がほりつけてあるため、「石鼓」といわれ、十個ある。そこにほられている文字が、石鼓文で、ふつうの篆書すなわち小篆とはやや異なる大篆という書体である。またその文革は、四書の詩で「詩経」の詩によく似ている。
韓愈はこの詩では、周の宣王(紀元前828-728年在位)の時としているが、現在では周の平王元年紀元前770年の作である。

石鼓文(せっこぶん)とは、唐初期に陝西省鳳翔府天興県で出土した10基の花崗岩の石碑、またはそれに刻まれた文字をいう。現存する中国の石刻文字資料としては最古のもので、出土した当時から珍重され、現在は北京故宮博物院に展示されている。


石鼓歌 韓愈詩
#1  
張生手持石鼓文,勸我試作石鼓歌。
張籍君が「石鼓文」を私のところへ持って来ていう、「試みに石鼓の歌を作りませんか」とわたしに勧めるのだ。
少陵無人謫仙死,才薄將奈石鼓何。
そうはいっても、少陵にはもう大詩人の杜甫いないし、 謫仙の李白もこの世にはもういない。才能がとぼしいわたしなんかにいったい「石鼓」をどうしろというのだ。
周綱陵遲四海沸,宣王憤起揮天戈。
いにしえの周代の制度がおとろえ 四海に至る世界がみなわきかえるような動乱がおこった。その時、宜王は憤起して武力をもって天下を平らげたという。
大開明堂受朝賀,諸侯劍佩鳴相磨。

大礼を行なう殿堂を大いに開き諸侯の朝賀を受けられたので、それでかれら諸侯の剣や腰の佩び玉がすれあって、それは響いたものだという。

石鼓の歌
張生 手に石鼓の文を持し、我に勧めて 石鼓の歌を 試作せしむ
少陵に人無く謫仙【たくせん】死せり、才薄きに 將た石鼓を奈何せむ。
周綱【しゅうこう】 陵遲【りょうち】して四海 沸きしが、宣王【せんおう】憤起して天戈【てんか】を揮【ふる】う。
大いに明堂を開いて 朝賀を受け、諸侯の劍佩【けんぱい】鳴って相磨【ま】す。

#2
蒐于岐陽騁雄俊,萬里禽獸皆遮羅。
平定を祝って岐陽の野で「御狩」をされると、そこには豪傑や俊馬が馳せ参じて、万里にわたる地域の鳥や獣がことごとく網や仕掛けによってつかまえられた。
鐫功勒成告萬世,鑿石作鼓隳嵯峨。
またその功業を石碑に彫り刻むことで万年の後の世までも告げ知らそうとされた。それはけわしい山をうちくだき、石をはり、石鼓をつくったのである。
從臣才藝鹹第一,揀選撰刻留山阿。
宜王につき従う臣下らはみな一流の文武そろった学者であったが、選びにえらび、文章作り、刻ませて、山かげにとどめておいたという。
雨淋日炙野火燎,鬼物守護煩撝呵。

雨はしたたり、日の灼熱が照らし、野火に焼かれることもあったが、神はこのものの変化を守護してじゃまだてするものをしりぞけたのだ。
岐陽に蒐【かり】して 雄俊を騁【は】せ、萬里の禽獣 皆 遮羅せらる。
功を鐫り 成を勒して萬世に告げ,石を鑿【ほ】り鼓を作って嵯峨を隳【やぶ】りぬ。
従臣の才藝は鹹く第一、揀選し 撰刻し 山阿に留む
雨淋【そそ】ぎ 日炙り野火焼くも、鬼物 守護して 撝呵【きか】を煩はす。


『石鼓歌』 現代語訳と訳註
(本文) #2
蒐于岐陽騁雄俊,萬里禽獸皆遮羅。
鐫功勒成告萬世,鑿石作鼓隳嵯峨。
從臣才藝鹹第一,揀選撰刻留山阿。
雨淋日炙野火燎,鬼物守護煩撝呵。


(下し文)
岐陽に蒐【かり】して 雄俊を騁【は】せ、萬里の禽獣 皆 遮羅せらる。
功を鐫り 成を勒して萬世に告げ,石を鑿【ほ】り鼓を作って嵯峨を隳【やぶ】りぬ。
従臣の才藝は鹹く第一、揀選し 撰刻し 山阿に留む
雨淋【そそ】ぎ 日炙り野火焼くも、鬼物 守護して 撝呵【きか】を煩はす。


(現代語訳)
平定を祝って岐陽の野で「御狩」をされると、そこには豪傑や俊馬が馳せ参じて、万里にわたる地域の鳥や獣がことごとく網や仕掛けによってつかまえられた。
またその功業を石碑に彫り刻むことで万年の後の世までも告げ知らそうとされた。それはけわしい山をうちくだき、石をはり、石鼓をつくったのである。
宜王につき従う臣下らはみな一流の文武そろった学者であったが、選びにえらび、文章作り、刻ませて、山かげにとどめておいたという。
雨はしたたり、日の灼熱が照らし、野火に焼かれることもあったが、神はこのものの変化を守護してじゃまだてするものをしりぞけたのだ。


(訳注) #2
蒐于岐陽騁雄俊,萬里禽獸皆遮羅。
平定を祝って岐陽の野で「御狩」をされると、そこには豪傑や俊馬が馳せ参じて、万里にわたる地域の鳥や獣がことごとく網や仕掛けによってつかまえられた。
・蒐 狩猟。
・岐陽 関内道岐州岐山県。(地図茶字参照・中国歴史地図第五冊、唐、京畿道・関内道40-41、⑨-5地点)いま陝西省岐陽県。
体系 地図458華州から秦州
・遮羅
 網や仕掛けにとらえる。


鐫功勒成告萬世,鑿石作鼓隳嵯峨。
またその功業を石碑に彫り刻むことで万年の後の世までも告げ知らそうとされた。それはけわしい山をうちくだき、石をはり、石鼓をつくったのである。
・鐫功 功業を石にはりきざむ。
・勒成 成果をきざむ。
・隳 くずす。
・嵯峨 けわしい山。


從臣才藝鹹第一,揀選撰刻留山阿。
宜王につき従う臣下らはみな一流の文武そろった学者であったが、選びにえらび、文章作り、刻ませて、山かげにとどめておいたという。
・従臣 宣王に随う臣。
・揀選 選抜。
・撰刻 文章を作って石に刻む。


雨淋日炙野火燎,鬼物守護煩撝呵。
雨はしたたり、日の灼熱が照らし、野火に焼かれることもあったが、神はこのものの変化を守護してじゃまだてするものをしりぞけたのだ。
・淋 しとどにぬれる。