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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー
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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
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原道 韓退之(韓愈)詩<115-5>Ⅱ中唐詩577 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1874


原道3段目の1
周道衰,孔子沒。
周王朝の政道が衰え、孔子が死去して以後、その教えも没していく。
火于秦,黃老于漢,
秦の始皇帝の時に、儒書を焼く弾圧があり、漢代には黄帝老子の黄老思想が盛んになっていく、
佛于晉、魏、梁、隋之間。
晋・北魏・梁・隋の南北朝の間には仏教を信じるものが主流になっている。
其言道德仁義者,不入于楊,則入于墨。

その六朝時代に道徳や仁義を言う者は、楊朱の「為我説」の個人主義にはいり、はいらない場合は、墨子の兼愛・非戦・節倹の道にはいっていたのだ。

不入于老,則入于佛。
墨子の説に入らないものは、老子の価値は相対的なものと考え、自然の道家の思想にはいっており、老子の道にはいらなければ、仏教の道にはいっている。
入于彼,必出于此。
彼ら考えに入るには、必ずこちらを出て行くわけである。
入者主之,出者奴之;
進んではいった思想は、これを主人として尊び、出て来た思想は、これを奴隷としていやしめるものである。
入者附之,出者汙之。
はいった思想には付き随っていて、出る前の思想に対しては、これを穢れたつまらぬものとするのである。
噫!後之人其欲聞仁義道德之說,孰從而聽之?
ああ、こんなことでは後世の人が、一体、仁義道徳の説を聞こうと思っても、誰に従ってこれを聴こうか。聴くべき人がいなくなったのである。

3段目
周道衰え,孔子沒して。秦に火あり,漢に黃老あり,
晉、魏、梁、隋の間に佛あり。
其の道德仁義を言う者,楊に入らざれば,則ち墨に入る。
老に入らざれば,則ち佛に入る。
彼に入れば,必ず此を出ず。
入る者は之を主とし,出づる者之を奴とする;
入る者は之に附き,出づる者は之を汙とする。
噫!後の人其れ仁義道德の說を聞かんと欲するも,孰に從ってか之を聽かん?

原道 韓退之(韓愈)01

『原道』3段目の2 現代語訳と訳註
(本文)

不入于老,則入于佛。
入于彼,必出于此。
入者主之,出者奴之;
入者附之,出者汙之。
噫!後之人其欲聞仁義道德之說,孰從而聽之?


(下し文)
老に入らざれば,則ち佛に入る。
彼に入れば,必ず此を出ず。
入る者は之を主とし,出づる者之を奴とする;
入る者は之に附き,出づる者は之を汙とする。
噫!後の人其れ仁義道德の說を聞かんと欲するも,孰に從ってか之を聽かん?


(現代語訳)
墨子の説に入らないものは、老子の価値は相対的なものと考え、自然の道家の思想にはいっており、老子の道にはいらなければ、仏教の道にはいっている。
彼ら考えに入るには、必ずこちらを出て行くわけである。
進んではいった思想は、これを主人として尊び、出て来た思想は、これを奴隷としていやしめるものである。
はいった思想には付き随っていて、出る前の思想に対しては、これを穢れたつまらぬものとするのである。
ああ、こんなことでは後世の人が、一体、仁義道徳の説を聞こうと思っても、誰に従ってこれを聴こうか。聴くべき人がいなくなったのである。


(訳注)
不入于老,則入于佛。
墨子の説に入らないものは、老子の価値は相対的なものと考え、自然の道家の思想にはいっており、老子の道にはいらなければ、仏教の道にはいっている。
○老 老荘思想:すべての価値は相対的なものと考え、今現在のあるがままを全面的に肯定する。事の善悪是非に執着しない。物事はすべて流転し、それを支配するのでなく、ただ身を委ねることをよしとした。世界は相補的なニ極性、陰陽の原理でなりたっており、それも太一・玄牝などといった宇宙そのものと呼べる究極の一者の中に含まれると考える。民間の呪術思想である道教と共通の根を持っている。社会・政治に対する積極的な働きかけを無意味なものと見なし、世事にかかわらず隠遁生活を送ることを理想とした。人間の知恵の働き、意識的な努力に高い評価をおかず、技術・知性の究極的は無・無心であるとした。


入于彼,必出于此。
彼ら考えに入るには、必ずこちらを出て行くわけである。
○彼 楊・墨・老・仏等の異端の思想をさす。
○此 わが儒家の思想、道徳。


入者主之,出者奴之;
進んではいった思想は、これを主人として尊び、出て来た思想は、これを奴隷としていやしめるものである。


入者附之,出者汙之。
はいった思想には付き随っていて、出る前の思想に対しては、これを穢れたつまらぬものとするのである。
○汗之 これを汚れたものとして捨てる。


噫!後之人其欲聞仁義道德之說,孰從而聽之?
ああ、こんなことでは後世の人が、一体、仁義道徳の説を聞こうと思っても、誰に従ってこれを聴こうか。聴くべき人がいなくなったのである。