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李商隠詩
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4段目-1
老者曰:「孔子,吾師之弟子也。」佛者曰:「孔子,吾師之弟子也。」為孔子者,習聞 其說,樂其誕而自小也,亦曰:「吾師亦嘗師之云爾。」
-2
不惟舉之於其口,而又筆之 於其書。噫!後之人,雖欲聞仁義道德之說,其孰從而求之?甚矣!人之好怪也,不 求其端,不訊其末,惟怪之欲聞。


4段目-1
老者曰:「孔子,吾師之弟子也。」
老子学派の者はいう、『史記』に「孔子はわが師老子の弟子である。」と書いてあり、老子に礼を学んだことがあるといわれているのだ、と。
佛者曰:「孔子,吾師之弟子也。」
また仏教徒はいう、三聖化現説において、「孔子はわが師釈迦の弟子、光浄菩薩であるされている」と。
為孔子者,習聞 其說,樂其誕而自小也,
孔子の儒学を学んでいるものでさえも、彼ら仏教者、老子思想者の説を聞きいれ慣らされてて、彼らのでたらめの説を楽しくうけいれ、自分の儒教の学問を飽きて、つまらぬものと思うようになる。
亦曰:「吾師亦嘗師之云爾。」

そしてまたいう、「わが師とする孔子も、またかつて老子や釈迦を師として学んだと、そういうことである」と。
-2
不惟舉之於其口,而又筆之 於其書。
噫!後之人,雖欲聞仁義道德之說,
其孰從而求之?甚矣!人之好怪也,
不 求其端,不訊其末,惟怪之欲聞。

老者は日く、「孔子は吾が師の弟子なり」と。
仏者は日く、孔子は吾が師の弟子なり」と。
孔子を爲【まな】ぶ者も、其の説を習ひ聞き、其の誕を楽しんで自ら小とするなり。
亦日く、吾が師も亦嘗て之を師とせりと爾【しか】云う。」と。

-2
惟之を其の口に挙ぐるのみならずして、又之を其の書に筆す。
噫!後の人仁義道徳の説を聞かんと欲すと雖も、其れ執に従ってか之を求めん。甚【はなはなだ】しいかな、人の怪を好める。
其の端を求めず、其の末を訊はず、惟【ただ】怪を之れ聞かんと欲す。

原道 韓退之(韓愈)01

『原道』4段目-1 現代語訳と訳註
(本文)
4段目-1
老者曰:「孔子,吾師之弟子也。」
佛者曰:「孔子,吾師之弟子也。」
為孔子者,習聞 其說,樂其誕而自小也,
亦曰:「吾師亦嘗師之云爾。」


(下し文)
老者は日く、「孔子は吾が師の弟子なり」と。
仏者は日く、孔子は吾が師の弟子なり」と。
孔子を爲【まな】ぶ者も、其の説を習ひ聞き、其の誕を楽しんで自ら小とするなり。
亦日く、吾が師も亦嘗て之を師とせりと爾【しか】云う。」と。


(現代語訳)
老子学派の者はいう、『史記』に「孔子はわが師老子の弟子である。」と書いてあり、老子に礼を学んだことがあるといわれているのだ、と。
また仏教徒はいう、三聖化現説において、「孔子はわが師釈迦の弟子、光浄菩薩であるされている」と。
孔子の儒学を学んでいるものでさえも、彼ら仏教者、老子思想者の説を聞きいれ慣らされてて、彼らのでたらめの説を楽しくうけいれ、自分の儒教の学問を飽きて、つまらぬものと思うようになる。
そしてまたいう、「わが師とする孔子も、またかつて老子や釈迦を師として学んだと、そういうことである」と。


(訳注) 4段目-1
老者曰:「孔子,吾師之弟子也。」

老者は日く、「孔子は吾が師の弟子なり」と。
老子学派の者はいう、『史記』に「孔子はわが師老子の弟子である。」と書いてあり、老子に礼を学んだことがあるといわれているのだ、と。
○老者日 老荘学派の説。『史記、孔子世家』「南宮敬叔往學禮焉。是歲,季武子卒,平子代立。 孔子貧且賤。」魯の南宮敬叔が孔子とともに周に行き、礼を問うたが、それは老子にまみえたのであるというとある。


佛者曰:「孔子,吾師之弟子也。」
仏者は日く、孔子は吾が師の弟子なり」と。
また仏教徒はいう、三聖化現説において、「孔子はわが師釈迦の弟子、光浄菩薩であるされている」と。
○仏者日 『清浄行法経』に、三聖弟子を震旦(印度で中国をいう名称)に遣わして教化せしめたとある。光浄菩薩は孔子、儒童菩薩は顏回、迦菓菩薩は老子となったという。ここより孔子は仏の弟子ということになる。
『清浄法行経』における三聖化現説において、夫々、顔淵:儒童菩薩、孔子:光浄菩薩、老子:摩訶迦葉と比定している。老子の思想と儒教の周・孔思想の間に近似するところがあるとし、老子を儒教の系統に属すると考えている点も見うけられる。老子と周・孔の思想は、いずれも「主治世而密為出世階」であるから、どちらを取っても、政府の政治原則になることができる。よって漢の文帝および景帝の世に、斉人の蓋公が、老子の政治思想をもって、君主を輔助し実践した結果は、「文景の治」としてその治績が史冊によく讃美されている。だから、老子哲学はなお道教教理の源流であり、彼の無欲と無名という説を考察すれば、「欲」とは、仏教の欲界煩悩にあたり、「名」とは、仏教の色界煩悩にあたっている。そこで、老子の証悟境に入って無欲と無名になるのは、仏教の立場でいえば無色界の禅定に入ることであろう。それは暫く不生不死の境域と思われるが、真実には三界の生死輪廻を脱出することとは、いまだ言えないであろう。よって、老子は仙人と称讃されているにもかかわらず、結局本当の大覚金仙という真解脱者ではなさそうであるとしている。


為孔子者,習聞 其說,樂其誕而自小也,
孔子を爲【まな】ぶ者も、其の説を習ひ聞き、其の誕を楽しんで自ら小とするなり。
孔子の儒学を学んでいるものでさえも、彼ら仏教者、老子思想者の説を聞きいれ慣らされてて、彼らのでたらめの説を楽しくうけいれ、自分の儒教の学問を飽きて、つまらぬものと思うようになる。
○誕 でたらめ。
〇日小 儒者が自分の学問を自分からつまらぬものと考える。儒教に飽厭したことをいう。


亦曰:「吾師亦嘗師之云爾。」
亦日く、吾が師も亦嘗て之を師とせりと爾【しか】云う。」と。
そしてまたいう、「わが師とする孔子も、またかつて老子や釈迦を師として学んだと、そういうことである」と。
○吾師 孔子を指す。
○云爾 そういうことである。「しかいふ」と読む。