原道 韓退之(韓愈)詩<115-7>7回目

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原道 韓退之(韓愈)詩<115-7>Ⅱ中唐詩579 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1882
4段目-2




4段目-1
老者曰:「孔子,吾師之弟子也。」佛者曰:「孔子,吾師之弟子也。」為孔子者,習聞 其說,樂其誕而自小也,亦曰:「吾師亦嘗師之云爾。」
-2
不惟舉之於其口,而又筆之 於其書。噫!後之人,雖欲聞仁義道德之說,其孰從而求之?甚矣!人之好怪也,不 求其端,不訊其末,惟怪之欲聞。


4段目-1
老者曰:「孔子,吾師之弟子也。」
老子学派の者はいう、『史記』に「孔子はわが師老子の弟子である。」と書いてあり、老子に礼を学んだことがあるといわれているのだ、と。
佛者曰:「孔子,吾師之弟子也。」
また仏教徒はいう、三聖化現説において、「孔子はわが師釈迦の弟子、光浄菩薩であるされている」と。
為孔子者,習聞 其說,樂其誕而自小也,
孔子の儒学を学んでいるものでさえも、彼ら仏教者、老子思想者の説を聞きいれ慣らされてて、彼らのでたらめの説を楽しくうけいれ、自分の儒教の学問を飽きて、つまらぬものと思うようになる。
亦曰:「吾師亦嘗師之云爾。」

そしてまたいう、「わが師とする孔子も、またかつて老子や釈迦を師として学んだと、そういうことである」と。
-2
不惟舉之於其口,而又筆之 於其書。
ただこれを口にだしてあげつらっていうだけでなく、その上このことを書物に筆録しているのである。
噫!後之人,雖欲聞仁義道德之說,
ああ、このようであるから、後世にいたる世の人に対して仁義遺徳についての説を聞こうと思うのであるが、
そのことを従って聞ける人がいるのか、誰にこの説明を求めればよいのか。こんなにも厭飽されかたの何と甚しいことであろうか、どうして人々が道理にあわないようなあやしい話を好むのであろうか。

其孰從而求之?甚矣!人之好怪也,
その物事のはじめ、始まりを追求しないというのはどうであろう。その結末をもただし問わないというのもどうだろう。
不求其端,不訊其末,惟怪之欲聞。

ただ怪しい迷信や、伝説のような話ばかりを聞きたがっているのである。

老者は日く、「孔子は吾が師の弟子なり」と。
仏者は日く、孔子は吾が師の弟子なり」と。
孔子を爲【まな】ぶ者も、其の説を習ひ聞き、其の誕を楽しんで自ら小とするなり。
亦日く、吾が師も亦嘗て之を師とせりと爾【しか】云う。」と。
-2
惟之を其の口に挙ぐるのみならずして、又之を其の書に筆す。
噫!後の人仁義道徳の説を聞かんと欲すと雖も、其れ執に従ってか之を求めん。甚【はなはなだ】しいかな、人の怪を好める。
其の端を求めず、其の末を訊はず、惟【ただ】怪を之れ聞かんと欲す。


原道 韓退之(韓愈)01

『原道』 現代語訳と訳註
(本文)
-2
不惟舉之於其口,而又筆之 於其書。
噫!後之人,雖欲聞仁義道德之說,
其孰從而求之?甚矣!人之好怪也,
不 求其端,不訊其末,惟怪之欲聞。


(下し文) -2
惟之を其の口に挙ぐるのみならずして、又之を其の書に筆す。
噫!後の人仁義道徳の説を聞かんと欲すと雖も、其れ執に従ってか之を求めん。甚【はなはなだ】しいかな、人の怪を好める。
其の端を求めず、其の末を訊はず、惟【ただ】怪を之れ聞かんと欲す。


(現代語訳)
ただこれを口にだしてあげつらっていうだけでなく、その上このことを書物に筆録しているのである。
ああ、このようであるから、後世にいたる世の人に対して仁義遺徳についての説を聞こうと思うのであるが、
そのことを従って聞ける人がいるのか、誰にこの説明を求めればよいのか。こんなにも厭飽されかたの何と甚しいことであろうか、どうして人々が道理にあわないようなあやしい話を好むのであろうか。
その物事のはじめ、始まりを追求しないというのはどうであろう。その結末をもただし問わないというのもどうだろう。ただ怪しい迷信や、伝説のような話ばかりを聞きたがっているのである。


(訳注) -2
不惟舉之於其口,而又筆之 於其書。
惟之を其の口に挙ぐるのみならずして、又之を其の書に筆す。
ただこれを口にだしてあげつらっていうだけでなく、その上このことを書物に筆録しているのである。
挙之於其口 口にとりあげ語る。口にだしてあげつらっていうだけでなく.
筆之於其書 『孔子家語』観周篇に、「孔子南宮敬叔に謂って日く、吾聞く、老耼【ろうたん】は古に博くして今を知り、礼楽の原に通じ、道徳の帰に明かなり。則ち吾が師なり。今将に往かんとすと。敬叔俱に周に至り、礼を老耼に問ふ」とある。


噫!後之人,雖欲聞仁義道德之說,
噫!後の人、仁義道徳の説を聞かんと欲すと雖も、
ああ、このようであるから、後世にいたる世の人に対して仁義遺徳についての説を聞こうと思うのであるが、


其孰從而求之?甚矣!人之好怪也,
其れ執に従ってか之を求めん。甚【はなはなだ】しいかな、人の怪を好める。
そのことを従って聞ける人がいるのか、誰にこの説明を求めればよいのか。こんなにも厭飽されかたの何と甚しいことであろうか、どうして人々が道理にあわないようなあやしい話を好むのであろうか。


不求其端,不訊其末,惟怪之欲聞。
其の端を求めず、其の末を訊はず、惟【ただ】怪を之れ聞かんと欲す。
その物事のはじめ、始まりを追求しないというのはどうであろう。その結末をもただし問わないというのもどうだろう。ただ怪しい迷信や、伝説のような話ばかりを聞きたがっているのである。
○求其端 物はじまりを究め求める。端は発端。
○訊其末 その終わりをたずね問う。末は結末。
○惟怪之欲聞 「惟欲聞怪」 (惟だ怪をのみ聞かんと欲す) と同じ。惟は強意の語で、「之」 の字を入れて、倒置法にした。寄異なことばかり聞きたがる。怪は、不合理、奇異、非常のこと。怪しい迷信や、伝説。