原道 韓退之(韓愈)詩<115-8>


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原道 韓退之(韓愈)詩<115-8>Ⅱ中唐詩580 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1886 
5段目



5段目
古之為民者四,今之為民者六。

古代より生き方からの民のとらえ方として四分類できるとされていた、士・農・工・商の四分類である。今、これをみなおして民を考えてみると、六分類の範疇であろう、それは士・農・工・商・仏・老である。
古之教者處其一,今之教者處其三。
古代よりの民を教えた者は、四民の一つを占めていた士である。今の世の民を教えるものは、六民のうちの三を占めている士(儒)・仏・老である。
農之家一,而食粟之家六。
農の家は六分類されるうちの一つの部分であるのに、穀物を食う家は六つのものすべてであるのだ。
工之家一,而用器之家六。
工人の家は一つであるのに、工人の作る器を用いる家は六である。
賈之家一,而資焉之家六。
商人の家は一つの部門であるのにもかかわらず、物資の供給はすべての六部門にされ、生活するのである。
奈之何民不窮  且盜也!
このように生活に必要なものを生産や流通させる仕事をするものが少ないのにたいして、消費する者はすべてのものなのである。したがって生活が困窮して、盗みをするということになるのである。世の常識としてそういう結果にならざるをえないということだ。

古の民為【た】る者は四、今の民爲る者は六。
古の教うる者は其の一に處【お】り、今の数ふる者は其の三に處る。
農の家は一にして、粟【ぞく】を食むの家は六なり。
工の家は一にして、器を用ふるの家は六なり。
賈【こ】の家は一にして、焉【これ】に資【と】るの家は六なり。
之を奈何【いかん】ぞ民窮して且つ盗せざらんや。


原道 韓退之(韓愈)01

『原道』5段目 現代語訳と訳註
(本文)

古之為民者四,今之為民者六。
古之教者處其一,今之教者處其三。
農之家一,而食粟之家六。
工之家一,而用器之家六。
賈之家一,而資焉之家六。
奈之何民不窮  且盜也!


(下し文)
古の民為【た】る者は四、今の民爲る者は六。
古の教うる者は其の一に處【お】り、今の数ふる者は其の三に處る。
農の家は一にして、粟【ぞく】を食むの家は六なり。
工の家は一にして、器を用ふるの家は六なり。
賈【こ】の家は一にして、焉【これ】に資【と】るの家は六なり。
之を奈何【いかん】ぞ民窮して且つ盗せざらんや。


(現代語訳)
古代より生き方からの民のとらえ方として四分類できるとされていた、士・農・工・商の四分類である。今、これをみなおして民を考えてみると、六分類の範疇であろう、それは士・農・工・商・仏・老である。
古代よりの民を教えた者は、四民の一つを占めていた士である。今の世の民を教えるものは、六民のうちの三を占めている士(儒)・仏・老である。
農の家は六分類されるうちの一つの部分であるのに、穀物を食う家は六つのものすべてであるのだ。
工人の家は一つであるのに、工人の作る器を用いる家は六である。
商人の家は一つの部門であるのにもかかわらず、物資の供給はすべての六部門にされ、生活するのである。
このように生活に必要なものを生産や流通させる仕事をするものが少ないのにたいして、消費する者はすべてのものなのである。したがって生活が困窮して、盗みをするということになるのである。世の常識としてそういう結果にならざるをえないということだ。


(訳注)
古之為民者四,今之為民者六。
古代より生き方からの民のとらえ方として四分類できるとされていた、士・農・工・商の四分類である。今、これをみなおして民を考えてみると、六分類の範疇であろう、それは士・農・工・商・仏・老である。
*下僕、奴婢、女子供は人ではない。


古之教者處其一,今之教者處其三。
古代よりの民を教えた者は、四民の一つを占めていた士である。今の世の民を教えるものは、六民のうちの三を占めている士(儒)・仏・老である。
○処其一 その中の一つである。士・農・工・商の四民の一、四の中の一つを占めるのは士、学徳ある一かどの人物で、儒家の教えをもって民を治め教える。
○処其三 六の中の三を占める。士(儒)と仏僧と道士。
○粟 殻(から)に入ったままの穀物。あわではない。


農之家一,而食粟之家六。
農の家は六分類されるうちの一つの部分であるのに、穀物を食う家は六つのものすべてであるのだ。

工之家一,而用器之家六。
工人の家は一つであるのに、工人の作る器を用いる家は六である。



賈之家一,而資焉之家六。
商人の家は一つの部門であるのにもかかわらず、物資の供給はすべての六部門にされ、生活するのである。
○賈 商人。行商坐賈といい、旅をし、歩きまわって物を売る者を商、店を構えて売る者を賈という。


奈之何民不窮  且盜也!
このように生活に必要なものを生産や流通させる仕事をするものが少ないのにたいして、消費する者はすべてのものなのである。したがって生活が困窮して、盗みをするということになるのである。世の常識としてそういう結果にならざるをえないということだ。
○奈之何 「これをいかんぞ」と読む。どうして。「之」がなくても同じ。
○不窮且盗 生活の困窮と窃盗にならざるをえない。反語。農業、工業、商業をする人が各一部門で、不生産的な職業の士・侶・道士が三であるから、物資不足に当然なるので、盗みをもするのは当然のこととなるというもの。儒教の原則は、自給自足である。盗みを教育の問題としてとらえる前に需給のバランスからも自給自足に近いことを考える。儒教者には餓死者が出るものである。



終南山03