原道 韓退之(韓愈)詩<115-9> 6段目-1#9

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原道 韓退之(韓愈)詩<115-9>Ⅱ中唐詩581 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1890


6段目-1#9
古之時,人之害多矣。
古代には人々にとっての害が多かった。
有聖人者立,然後教之以相生養之道。
そのため、智徳の最高にすぐれた聖人が帝位について継承して人を治めるということがなされ、それから後にこれを人に教えるのに、人々が互いに助け合って生き養う道を自らが行うことを示したのである。
為之君,為之師,
そして人民の君主となって治め、人民の師となって教えまず文明をもたらしたのである。
驅其蟲蛇禽獸,而處之中土。
先に述べた四分類からはみ出した人民を苦しめる盗賊を虫や蛇、鳥や獣を追いなくした。国土の中央を中原として豊かにすることで害のない処としたのだ。
寒,然後為之衣。飢,然後為之食。
まず寒さについて、即位後武具よりもはじめて衣服作りを優先させ、飢えにたしてはその後に武器生産より食糧生産を挙げることで食を成立させたのである。
木處而顛,土處而病也,然後為之宮室。

それまで木の上に棲んで落ちるものがおおく、土の穴(ヤオトン)に住んでいるため病気も発生した、だから帝位について後に人民の家を造りを進めたのである。

-2 #10
為之工,以贍其器用。
為之賈,以通其有無。
為之醫藥,以濟其夭死。
為之葬埋祭祀,以長其恩愛。
為之禮,以次其先後。
為之樂,以宣其凐鬱。
-3 #11
為之政,以率其怠倦。
為之刑,以鋤其強梗。
相欺也,為之符璽斗斛權衡以信之。
相奪也,為之城郭甲兵以守之。
害至而為之備,患生而為之防。


6段目-1
古の時、人の害多し。聖人という者立つ有りて、然る後に之に教うるに相い生養【せいよう】するの道を以ってす。之が君と爲り、之が師と爲りて、其の蟲蛇【ちゅうだ】禽獸【きんじゅう】を駆りて、之を中土に處らしめ、寒くして然る後に之が衣を爲り、餞えて然る後に之が食を為り、木處【ぼくしょ】して顛【くつがえ】り、土處【どしょ】して病むや、然る後に之が宮室【きゅうしつ】を為す。

6段目-2
之が工を為して、以て其の器用を渡す。
之が賈を為して、以て其の有無を通ず。
之が醫藥【いやく】を為して、以て其の夭死を済う。
之が葬埋祭祀を為して、以て其の恩愛を長ず。
之が禮を為して、以て其の先後を次す。
之が樂を為して、以て其の凐鬱【いんうつ】を宣ぶ。

6段目-3
之が政【まつりごと】を為して、以て其の怠倦【かいけん】を率【ひき】い。
之が刑を為して、以て其の強梗【きょうこう】を鋤【のぞ】く。
相い欺くや、之が符璽【ふじ】斗斛【とこく】權衡【けんこう】を爲して、以て之を信にす。
相奪ふや、之が城郭甲兵を爲して、以て之を守る。
害至りて之が備【そなえ】を為し、患【うれい】生じて之が防【ふせぎ】を爲せり。

原道 韓退之(韓愈)01

『原道』#9 現代語訳と訳註
(本文)
6段目-1#9
古之時,人之害多矣。
有聖人者立,然後教之以相生養之道。
為之君,為之師,
驅其蟲蛇禽獸,而處之中土。
寒,然後為之衣。飢,然後為之食。
木處而顛,土處而病也,然後為之宮室。


(下し文) 6段目-1#9
古の時、人の害多し。聖人という者立つ有りて、然る後に之に教うるに相い生養【せいよう】するの道を以ってす。之が君と爲り、之が師と爲りて、其の蟲蛇【ちゅうだ】禽獸【きんじゅう】を駆りて、之を中土に處らしめ、寒くして然る後に之が衣を爲り、餞えて然る後に之が食を為り、木處【ぼくしょ】して顛【くつがえ】り、土處【どしょ】して病むや、然る後に之が宮室【きゅうしつ】を為す。


 (現代語訳)
古代には人々にとっての害が多かった。
そのため、智徳の最高にすぐれた聖人が帝位について継承して人を治めるということがなされ、それから後にこれを人に教えるのに、人々が互いに助け合って生き養う道を自らが行うことを示したのである。
そして人民の君主となって治め、人民の師となって教えまず文明をもたらしたのである。
先に述べた四分類からはみ出した人民を苦しめる盗賊を虫や蛇、鳥や獣を追いなくした。国土の中央を中原として豊かにすることで害のない処としたのだ。
まず寒さについて、即位後武具よりもはじめて衣服作りを優先させ、飢えにたしてはその後に武器生産より食糧生産を挙げることで食を成立させたのである。
それまで木の上に棲んで落ちるものがおおく、土の穴(ヤオトン)に住んでいるため病気も発生した、だから帝位について後に人民の家を造りを進めたのである。

嘉陵江111111

(訳注) 6段目-1#9
古之時,人之害多矣。
古代には人々にとっての害が多かった。


有聖人者立,然後教之以相生養之道。
そのため、智徳の最高にすぐれた聖人が帝位について継承して人を治めるということがなされ、それから後にこれを人に教えるのに、人々が互いに助け合って生き養う道を自らが行うことを示したのである。
○聖人 燧【すい】の人、三皇五帝の三皇をいう。『史記』秦始皇本紀において天皇・地皇・泰皇(人皇)をいい、『春秋緯運斗枢』(『風俗通』皇覇篇、唐の司馬貞補『史記』三皇本紀では.伏羲・女媧・神農の三皇、堯舜禹をさす。


為之君,為之師,
そして人民の君主となって治め、人民の師となって教えまず文明をもたらしたのである。
・君 この文は三皇は文明をもたらしたということ。


驅其蟲蛇禽獸,而處之中土。
先に述べた四分類からはみ出した人民を苦しめる盗賊を虫や蛇、鳥や獣を追いなくした。国土の中央を中原として豊かにすることで害のない処としたのだ。
○驅其蟲蛇禽獸 堯は舜に政治を行わせ、禹に洪水を治めさせ、益に火をつかさどらせた。当時禽獣がはびこり、人民はその害に苦しんだので、草木を焼き払い、これを救った(『孟子』腰文公上・下篇)。前漢末から隆盛した神秘主義的な讖緯思想によって半獣半神の姿をした神として描かれている。
禹は即位後しばらくの間、武器の生産を取り止め、田畑では収穫量に目を光らせ農民を苦しませず、宮殿の大増築は当面先送りし、関所や市場にかかる諸税を免除し、地方に都市を造り、煩雑な制度を廃止して行政を簡略化した。その結果、中国の内はもとより、外までも朝貢を求めてくるようになった。さらに禹は河を意図的に導くなどしてさまざまな河川を整備し、周辺の土地を耕して草木を育成し、中央と東西南北の違いを旗によって人々に示し、古のやり方も踏襲し全国を分けて九州を置いた。禹は倹約政策を取り、自ら率先して行動した。このことが下の文までのべられる。


寒,然後為之衣。飢,然後為之食。
まず寒さについて、即位後武具よりもはじめて衣服作りを優先させ、飢えにたしてはその後に武器生産より食糧生産を挙げることで食を成立させたのである。


木處而顛,土處而病也,然後為之宮室。
それまで木の上に棲んで落ちるものがおおく、土の穴(ヤオトン)に住んでいるため病気も発生した、だから帝位について後に人民の家を造りを進めたのである。
○木処木の上に住居する。
○土処 土中に穴居する。
八女茶 畑