原道  韓愈 (韓退之) 


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李商隠詩
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原道  韓愈 (韓退之) 8段目-3<>Ⅱ中唐詩587 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1914 
8段目-3




8段目-#1
是故君者,出令者也。
このゆえに、君主というものが必要で、人間社会には政治・施政が必要な事あるのだ。そして、君主は政治・施政のために命令を出さなければいけない者であるのだ。
臣者,行君之令而致之民者也。
そしてそれの実現のためには臣下が必要で、臣下は君主の命令を行って、これを人民に施すもの、及ぼす者であるのだ。
民者,出粟米麻絲,作器皿,
人民は穀物・米・麻・生糸を生産し、供出するし、器物や皿など日常生活用品を生産するのである。
通貨財,以事其上者也。
こうして、物資や貨幣、財宝というものが生じてくると、この生産物や労働力、兵役を負担することでもって君主に仕えるということになるのである。
君不出令,則失其所以為君。
君主がその施政職務のための命令を出すことをしなければ、それは君主たる理由を失うもので君主であり続けることはできないのである。
-#2
臣不行君之令而致之民,則失其所以為臣。
臣下は君主の命令を実行して、これを人民に施し、及ぼすことができなければ、臣下の臣下たる存在理由がなくなるわけであり、その地位を失うことになるのだ。
民不出粟米麻絲,作器皿,
人民は穀物・米・麻・生糸を生産し、供出するし、器物や皿など日常生活用品を生産し、
通貨財,以事其上,則誅。
物資や貨幣、財宝というもの、この生産物や労働力、兵役を負担することでもって、君主に仕えるということをしなければ、罪によって殺されることになるのである。
今其法曰:「必棄而君臣,去而父子,禁而相生養之道。」

ところが、儒者以外の老荘・仏教者の道ではこういう、「まずはじめに、あなたの主従、君臣の関係を破棄解消を必ずすることだ。」
そして、「あなたの親子関係にたいして道から離脱し、互助して生き養う生活のあり方を禁じるのである。」と。
-#3
以求其所謂清淨寂滅者。
それでもって老荘のいう所の無欲で汚れがない清浄、、仏者のいう所の煩悩を去って寂かに、生死の業苦を滅することを求めて涅槃にはいる寂滅、これらをそれぞれをもとめるところとしている。」と。
嗚呼!其亦幸而出於三代之後,
ああ、これは道理に合わぬことなのに、幸いに夏・殷・周三代の後に出た思想なのだ。
不見黜於禹、湯、文、武、周公、孔子也。
だから、夏の禹王・殿の湯王・周の文王・武王・周公且や孔子に退けられなかっただけのことなのである。
其亦不幸而不出於三代之前,
そのことは、また別の言い方をすれば、三代の前に出なかったことは不幸なことなのだ。
不見正於禹、湯、文、武、周公、孔子也。

なぜなら、禹・湯・文・武・周公・孔子にその誤りを正されなかったということなのである。それだからこそ、今の世に、平気で誤った説を述べつづけているわけである。
8段目
是の故に君は令を出す者なり。臣は君の令を行ひて、之を民に致す者なり。
民は粟米【ぞくべい】麻絲【まし】を出し、器皿【きべい】を作り、貨財を通じ、以て其の上に事うる者なり。
君令を出さざれは、則ち其の君爲る所以【ゆえん】を失はん。
#2
臣君の令を行ひて、之を民に致さざれは、則ち其の臣爲る所以【ゆえん】を失はん。
民粟米麻絲出し、器皿を作り、貨財を通じ、以て其の上に事へざれは則ち誅せられん。
今其の法に曰く、必ず而の君臣を棄て、而の父子を去り、而の相生養するの道を禁じ、
#3
以て其の所謂清浄寂滅なる者を求めよと。
嗚呼、其れ亦幸にして三代の後に出でて、禹・湯・文・武・周公・孔子に黜【しりぞ】けられざるなり。
其れ亦不幸にして、三代の前に出でずして、禹・湯・文・武・周公・孔子に正されざるなり。


原道 韓退之(韓愈)01



『原道』 現代語訳と訳註
(本文)
8段目 -#3
以求其所謂清淨寂滅者。
嗚呼!其亦幸而出於三代之後,
不見黜於禹、湯、文、武、周公、孔子也。
其亦不幸而不出於三代之前,
不見正於禹、湯、文、武、周公、孔子也。


(下し文) 8段目#3
以て其の所謂清浄寂滅なる者を求めよと。
嗚呼、其れ亦幸にして三代の後に出でて、禹・湯・文・武・周公・孔子に黜【しりぞ】けられざるなり。
其れ亦不幸にして、三代の前に出でずして、禹・湯・文・武・周公・孔子に正されざるなり。


(現代語訳)
それでもって老荘のいう所の無欲で汚れがない清浄、、仏者のいう所の煩悩を去って寂かに、生死の業苦を滅することを求めて涅槃にはいる寂滅、これらをそれぞれをもとめるところとしている。」と。
ああ、これは道理に合わぬことなのに、幸いに夏・殷・周三代の後に出た思想なのだ。
だから、夏の禹王・殿の湯王・周の文王・武王・周公且や孔子に退けられなかっただけのことなのである。
そのことは、また別の言い方をすれば、三代の前に出なかったことは不幸なことなのだ。
なぜなら、禹・湯・文・武・周公・孔子にその誤りを正されなかったということなのである。それだからこそ、今の世に、平気で誤った説を述べつづけているわけである。

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(訳注)8段目 -#3
『原道』
儒教の復興は、彼の思想の基盤である。古文復興運動とは表裏のものであり、その観点から原道」「原性」「原毀」「原人」「「原鬼」などを著している。その一方で、排仏論も、彼の儒教復興の姿勢からきたものであった。六朝から隋、唐にかけての崇仏の傾向が強くくなったのも中国人民に儒教が嫌悪されたからで、学問として哲学としても敬遠されたのだ。そうした中で、韓愈の一門は中国古来の儒教の地位を回復しようとするのであった。
「原」(尋ねるという意味)は、『淮南子』の「原道訓」に倣って、韓愈が始めた論文の一種で、本原をたずねて推論する性質のもであって、「原道」「原性」「原毀」「原人」「原鬼」の五原がある。
《原性》を書いて性三品説を確立した。
《原毀》世の謗りは人は多情であっても名声あるものを嫉妬することにある。
《原人》人間とは何か、人道、「仁」の本原の理を明らかにする。
《原鬼》人間の精霊の本原の理を明らかにする。
ということである。
まず原道から始めることとする。長文のため、意味によって区切り、おおむね14段分割し、掲載は22回程度になる。


以求其所謂清淨寂滅者。
それでもって老荘のいう所の無欲で汚れがない清浄、、仏者のいう所の煩悩を去って寂かに、生死の業苦を滅することを求めて涅槃にはいる寂滅、これらをそれぞれをもとめるところとしている。」と。
○清浄 老荘の思想。『史記』老子伝に、「李耳無為にして自ら化し、清静にして自ら正す」と。老子は意図的に行動せずして自然に化し、清らかに無欲で静かにして自然と物を正しからしめたというのである。
碑文の本葉では「清浄」隈なっているから「無欲で汚れがない」の意であるが、一に「清静」とするばあいもある。道教は、「清浄」「煉養」「服食」「符録」「経典科教」の5つを要素に挙げている。「清浄」は黄帝・老子・列子・荘子らの著にある清浄無為の思想、「煉養」は赤松子や魏伯陽らに代表される内丹などの修練、「服食」は盧生や李少君らに代表される外丹服薬、「符録」は張陵や寇謙之などに代表される符を用いた呪術、「経典科教」は杜光庭など道士と彼らが膨大な経典を元に行う儀礼をそれぞれ指す。
○寂滅 仏教の思想。『涅槃経』に、「諸行無常、是生滅法。生滅滅巳、寂滅為楽」とある。諸煩悩を去って、心しずかに、生死の苦楽を絶滅して、涅槃(永遠の無) に入る。すなわち仏になる。
仏教の立場から道教を批判的に書いた『滅惑論』も、その流れを汲み著された『文献通考』も、古い要素(老子の教え)は良いが、時代が下るほどに価値のないものになると論じている。


嗚呼!其亦幸而出於三代之後,
ああ、これは道理に合わぬことなのに、幸いに夏・殷・周三代の後に出た思想なのだ。


不見黜於禹、湯、文、武、周公、孔子也。
だから、夏の禹王・殿の湯王・周の文王・武王・周公且や孔子に退けられなかっただけのことなのである。


其亦不幸而不出於三代之前,
そのことは、また別の言い方をすれば、三代の前に出なかったことは不幸なことなのだ。


不見正於禹、湯、文、武、周公、孔子也。
なぜなら、禹・湯・文・武・周公・孔子にその誤りを正されなかったということなのである。それだからこそ、今の世に、平気で誤った説を述べつづけているわけである。