韓退之(韓愈)  原道 16回目 9段目


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原道 韓退之(韓愈)詩9段目<115-16>Ⅱ中唐詩588 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1918 


9段目
帝之與王,其號名殊,其所以為聖一也。
帝というものを王と比較してみる。よびかたにおいてはそれぞれ違っている。しかし、その聡明さ、至徳の聖人であることは同一なのである。
夏葛而冬裘,渴飲而飢食,其事殊,
そのことは夏は葛の繊維で織った衣をつけ涼しくし、冬は毛衣を着てあたたかくする、またのどが渇けば水を飲むし、腹がすけば飯を食うということなのだ。
其所以為智一也。
夏と冬、飲むと喰う、それぞれすることはちがっていても、それが生活上の工夫や智恵(なくてはならないもの)であるわけは同一である。
今其言曰:「曷不為太古之無事?」
ところがいま、老子の言説ではいう、「どうして人々は太古の時代の無為自然、何も心身をわずらわすことの無い、自然に同化した為すがままの生活をしないのか」と。
是亦責冬之裘者曰:「曷不為葛 之之易也?」
これもまた、冬に毛衣を着るのを責めて、「なぜ葛の衣を着る自然のままの暮らしをしないのか」というのである。
責飢之食者曰:「曷不為飲之之易也。」
腹の空いている者が飯を食うのを責めて、「なぜ水を飲むという容易なことをしないで、わざわざ苦労して飯を食うのか」というのと同じである。
*老荘家は、安易素朴を旨とし、実生活の必要から人智の考え出した生活文化を排斥し、隠遁し、自然の塵の一つになるという、仙人になるを良しとする主張をするのである。自然に生きることで仙人になるといい。智慧による生活の改善、文化向上を嫌うものである。

帝の王における,其の號名は殊なり,其の聖為【た】る所以【ゆえん】は一にする也。
夏は葛【かつ】して冬は裘【きゅう】し,渴すれば飲みて飢えれば食う,其の事 殊【こと】なれど,其の 智為【た】る所以【ゆえん】は一にする也。
今、其の言に曰く:「曷【なん】ぞ太古の無事を為さざると?」
是も亦た冬の裘する者を責めて曰うなり:「「曷【なん】ぞ之【これ】を葛にするの易きを為さざる也?」と。
飢えるの食う者を責めて曰く:「「曷【なん】ぞ之を飲むの易きを為さざる也。」と

原道 韓退之(韓愈)01

『原道』 現代語訳と訳註
(本文)

帝之與王,其號名殊,其所以為聖一也。夏葛而冬裘,渴飲而飢食,其事殊,其 所以為智一也。今其言曰:「曷不為太古之無事?」是亦責冬之裘者曰:「曷不為葛 之之易也?」責飢之食者曰:「曷不為飲之之易也。」


(下し文)
帝の王における,其の號名は殊なり,其の聖為【た】る所以【ゆえん】は一にする也。
夏は葛【かつ】して冬は裘【きゅう】し,渴すれば飲みて飢えれば食う,其の事 殊【こと】なれど,其の 智為【た】る所以【ゆえん】は一にする也。
今、其の言に曰く:「曷【なん】ぞ太古の無事を為さざると?」
是も亦た冬の裘する者を責めて曰うなり:「「曷【なん】ぞ之【これ】を葛にするの易きを為さざる也?」と。
飢えるの食う者を責めて曰く:「「曷【なん】ぞ之を飲むの易きを為さざる也。」と


(現代語訳)
帝というものを王と比較してみる。よびかたにおいてはそれぞれ違っている。しかし、その聡明さ、至徳の聖人であることは同一なのである。
そのことは夏は葛の繊維で織った衣をつけ涼しくし、冬は毛衣を着てあたたかくする、またのどが渇けば水を飲むし、腹がすけば飯を食うということなのだ。
夏と冬、飲むと喰う、それぞれすることはちがっていても、それが生活上の工夫や智恵(なくてはならないもの)であるわけは同一である。
ところがいま、老子の言説ではいう、「どうして人々は太古の時代の無為自然、何も心身をわずらわすことの無い、自然に同化した為すがままの生活をしないのか」と。
これもまた、冬に毛衣を着るのを責めて、「なぜ葛の衣を着る自然のままの暮らしをしないのか」というのである。
腹の空いている者が飯を食うのを責めて、「なぜ水を飲むという容易なことをしないで、わざわざ苦労して飯を食うのか」というのと同じである。
*老荘家は、安易素朴を旨とし、実生活の必要から人智の考え出した生活文化を排斥し、隠遁し、自然の塵の一つになるという、仙人になるを良しとする主張をするのである。自然に生きることで仙人になるといい。智慧による生活の改善、文化向上を嫌うものである。


(訳注)
帝之與王,其號名殊,其所以為聖一也。

帝というものを王と比較してみる。よびかたにおいてはそれぞれ違っている。しかし、その聡明さ、至徳の聖人であることは同一なのである。
○帝之於三 帝と王とは。「之与」は「与(と)」と同じである。『白虎通』には「徳天地に合する者を帝と称す」と。『穀梁伝』荘公三年に「其れ王と日うは、民の帰往する所なり」とある。五帝・三王という。


夏葛而冬裘,渴飲而飢食,
そのことは夏は葛の繊維で織った衣をつけ涼しくし、冬は毛衣を着てあたたかくする、またのどが渇けば水を飲むし、腹がすけば飯を食うということなのだ。
○葛 くずの織椎で織った涼しい夏衣。
○裘 かわごろも、毛衣。冬の衣。


其事殊,其 所以為智一也。
夏と冬、飲むと喰う、それぞれすることはちがっていても、それが生活上の工夫や智恵(なくてはならないもの)であるわけは同一である。


今其言曰:「曷不為太古之無事?」
ところがいま、老子の言説ではいう、「どうして人々は太古の時代の無為自然、何も心身をわずらわすことの無い、自然に同化した為すがままの生活をしないのか」と。
太古之無事 老子は太古の無為自然、素朴な生活をよいとする。無事は、仕事がない、安楽なこと。自然に同化した為すがままの生活ということ。


是亦責冬之裘者曰:「曷不為葛 之之易也?」
これもまた、冬に毛衣を着るのを責めて、「なぜ葛の衣を着る自然のままの暮らしをしないのか」というのである。


責飢之食者曰:「曷不為飲之之易也。」
腹の空いている者が飯を食うのを責めて、「なぜ水を飲むという容易なことをしないで、わざわざ苦労して飯を食うのか」というのと同じである。
*老荘家は、安易素朴を旨とし、実生活の必要から人智の考え出した生活文化を排斥し、隠遁し、自然の塵の一つになるという、仙人になるを良しとする主張をするのである。自然に生きることで仙人になるといい。智慧による生活の改善、文化向上を嫌うものである。