原道 韓愈(韓退之) 13段目-#2

2013年2月21日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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●森鴎外の小説 ”激しい嫉妬・焦燥に下女を殺してしまった『魚玄機』”といわれているがこれに疑問を持ち異なる視点で解釈して行く
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性酬李郢夏日釣魚回見示 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-83-19  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1962
 
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孟浩然の詩
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http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
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http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
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http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩
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原道 韓愈(韓退之) 13段目-#2<115-23>Ⅱ中唐詩595 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1959
13段目-#2


13段目 -#1
曰:「斯道也,何道也?」
わたしは自問自答をしてみる「この道とは何の道であるか」と問いかける。
曰:「斯吾所謂道也,非向所謂老與佛之道也。」
答えていう、「これは私のいうところの人間の在り方であります。さきに述べた黄老・老荘の道と仏教の道などではないのです。」
堯以是傳之舜,舜以是傳之禹,
「先王の堯帝はこれを舜帝に伝え、舜帝はこれを夏の禹王に伝えたのです。」
禹以是傳之湯,湯以是傳之文武周公,
そして「禹王は、この道を殷の湯王に伝え、湯王はこれを周の文王・武王・周公且に伝えました。」
文武周公傳之孔子,孔子傳之孟軻。

さらに「文・武・周公はこれを孔子に伝え、孔子はこれを孟子に伝えました。」
 -#2
軻之死,不得其傳焉。
孟子が死んだあとは、其の道を伝え得ないで終わった。
荀與揚也,擇焉而不精,語焉而不詳。
その後、戦国の荀子と漢の揚雄とは、儒家の道を異端の説と区別して択び取るのに精密でないし、またその論述も詳細でなく、そざつであるとしかいいようがないために、先王の儒学の道が明確でなくなったのである。
由周公而上,上而為君,故其事行;
それに周公より以前の先王は、民の上にいて君主であった。それ故その儒教の道を政治の上の仕事に実施したのである。
由周公而下,下而為臣,故其說長。

ところが周公より後世の、孔子・孟子その他の人々については、身分が下で臣下であった。それゆえこれを政事・施政として行えなかったが、その學説は書物に記述することができ、長く後世に伝えられるところとなったのである」と。

日く、斯の道は何の道ぞや。
日く、斯れ吾が所謂遺なり。
向の所謂老と仏との道に非ざるなり。
堯は是を以て之を舜に伝え、舜は是を以て之を禹に博へ、
禹は是を以て之を湯に伝へ、湯は是を以て之を文・武・周公に伝へ、
文・武・周公は之を孔子に伝へ、孔子は之を孟軻に伝う。
#2
軻の死するや、其の伝を得ず。
荀と揚とは、擇【えら】んで精しからず、語って詳【つまびら】かならず。
周公よりして上は、上として君爲り。故に其の事行はる。
周公よりして下は、下として臣爲り。故に其の説長しと。

原道 韓退之(韓愈)01

『原道』13段目-#2韓愈(韓退之) 現代語訳と訳註
(本文)
-#2
軻之死,不得其傳焉。
荀與揚也,擇焉而不精,語焉而不詳。
由周公而上,上而為君,
故其事行;
由周公而下,下而為臣,故其說長。


(下し文)
#2
軻の死するや、其の伝を得ず。
荀と揚とは、擇【えら】んで精しからず、語って詳【つまびら】かならず。
周公よりして上は、上として君爲り。故に其の事行はる。
周公よりして下は、下として臣爲り。故に其の説長しと。


(現代語訳)
孟子が死んだあとは、其の道を伝え得ないで終わった。
その後、戦国の荀子と漢の揚雄とは、儒家の道を異端の説と区別して択び取るのに精密でないし、またその論述も詳細でなく、そざつであるとしかいいようがないために、先王の儒学の道が明確でなくなったのである。
それに周公より以前の先王は、民の上にいて君主であった。それ故その儒教の道を政治の上の仕事に実施したのである。
ところが周公より後世の、孔子・孟子その他の人々については、身分が下で臣下であった。それゆえこれを政事・施政として行えなかったが、その學説は書物に記述することができ、長く後世に伝えられるところとなったのである」と。

shia02

(訳注) -#2
軻之死,不得其傳焉。
孟子が死んだあとは、其の道を伝え得ないで終わった。


荀與揚也,擇焉而不精,語焉而不詳。
その後、戦国の荀子と漢の揚雄とは、儒家の道を異端の説と区別して択び取るのに精密でないし、またその論述も詳細でなく、そざつであるとしかいいようがないために、先王の儒学の道が明確でなくなったのである。
○荀 荀況、または筍卿(前320-前250ごろ)、孫卿ともいわれる。戦国の斉の学者、「善」を「治」、「悪」を「乱」と規定し、また人間の「性」(本性)は「限度のない欲望」だという前提から、各人がそれぞれ無限の欲望を満たそうとすれば、奪い合い・殺し合いが生じて社会は「乱」(=「悪」)に陥る、と述べてその性悪説を論証する。 そして、各人の欲望を外的な規範(=「礼」)で規制することによってのみ「治」(=「善」)が実現されるとして、礼を学ぶことの重要性を説いた。このような思想は、社会契約説の一種であるとも評価される。要約すると孟子の性善説に反対し、礼を重んじた。その弟子に韓非・李斯浮丘伯の3人が知られる。純枠の儒者ではないが、自分では孔子の思想を継ぐことをもって任じていた。『筍子』二十巻三十二第かある。
〇揚 揚雄(前53-後18)字は子雲、前漢末蜀の成都の人。人性に善悪二因子があると説いた。その著『法言』は『論語』に比し、『太玄』は『易』に比し、孔子を継ぐものと自任した。また、みずからの不遇を嘆いて自殺した屈原の生き方に反論して,有名な《反離騒》を著した。成帝の奢侈(しやし)を風刺した〈甘泉賦(かんせんふ)〉を奏上した。
○擇焉而不精「焉【これ】を択んで精ならず」の意味。儒家の道を異端の説と区別して択び取るのに精密でない。荀子の性悪説、揚雄の性善悪混合説は、分析が粗雑である。
○語焉而不詳 「焉を語りて詳ならず」の意味。論述が詳細でなく粗雑である。これは韓愈の『読荀子』に述べている。


由周公而上,上而為君,故其事行;
それに周公より以前の先王は、民の上にいて君主であった。それ故その儒教の道を政治の上の仕事に実施したのである。
○由周公而上 周公旦より前の堯・舜・禹・湯・文・武の諸聖王、周公も成王の摂政であったからこの中にはいる。上は上代、以前。
〇上而為君 上位に在って君主である。
○其事行 政治の事業が行われた。


由周公而下,下而為臣,故其說長。
ところが周公より後世の、孔子・孟子その他の人々については、身分が下で臣下であった。それゆえこれを政事・施政として行えなかったが、その學説は書物に記述することができ、長く後世に伝えられるところとなったのである」と。
○由間公而下 周公且から後、周公をもふくめて、孔子・孟子・荀子その他。
○下而為臣 身分が下で臣である。
○其説長 その學説は経典に載せられて長く伝わる。長は久しい。