#7『原性』五段目-1

2013年3月3日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
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●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
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●森鴎外の小説 ”激しい嫉妬・焦燥に下女を殺してしまった『魚玄機』”といわれているがこれに疑問を持ち異なる視点で解釈して行く。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
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原性 韓愈(韓退之) <116-7>Ⅱ中唐詩605 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2009






#7五段目
叔魚之生也,其母視之,知其必以賄死。
叔魚が生まれた時、その母は彼を見て、彼は必ず賄賂のために死ぬであろうことを知った。
楊食我之生也,叔向之母聞其號也,知必滅其宗。
楊食我が生まれた時、叔向の母はそのなき声を聞いて、必ずその一族を滅はすであろうことを知った。
越椒之生也,子文以為大戚,
越椒の生まれた時、伯父子文は「この子は殺さないと」大きな心配としたのだ。
知若敖氏之鬼不食也。
しかし、本当に若敦氏は滅んで祖先は祭りの供物を受けなくなることを知った。

#8
人之性果善乎?後稷之生也,
其母無災,其始匍匐也,
則岐岐然,嶷嶷然。
文王之在母也,母不憂;
既生也,傅不勤;
既學也,師不煩;
人之性果惡乎?

叔魚の生まるるや、其の母之を視て、其の必ず賄を以て死なんことを知る。
楊食我の生まるるや、叔向の母、其の嗁くを聞いて、必ず共の宗を滅さんことを知る。
越椒の生まるるや、子文以て大戚と為す。
若敖氏の鬼食せざるを知るなり。

人の性は果して善なるか。後稷の生まるるや、
其の母災無し。其の始めて匍匐するや、
則ち岐岐然、嶷嶷然たり。
文王の母に在るや、母憂へず、
既に生まるるや、傅 勤めず、
既に学ぶや、師 煩はず。
人の性果して悪なるか。


原道孔子廟001306



















#7『原性』五段目-1 現代語訳と訳註
(本文)

叔魚之生也,其母視之,知其必以賄死。
楊食我之生也,叔向之母聞其號也,知必滅其宗。
越椒之生也,子文以為大戚,
知若敖氏之鬼不食也。


(下し文)
叔魚の生まるるや、其の母之を視て、其の必ず賄を以て死なんことを知る。
楊食我の生まるるや、叔向の母、其の嗁くを聞いて、必ず共の宗を滅さんことを知る。
越椒の生まるるや、子文以て大戚と為す。
若敖氏の鬼食せざるを知るなり。


 (現代語訳)
叔魚が生まれた時、その母は彼を見て、彼は必ず賄賂のために死ぬであろうことを知った。
楊食我が生まれた時、叔向の母はそのなき声を聞いて、必ずその一族を滅はすであろうことを知った。
越椒の生まれた時、伯父子文は「この子は殺さないと」大きな心配としたのだ。
しかし、本当に若敦氏は滅んで祖先は祭りの供物を受けなくなることを知った。


(訳注)#7五段目
叔魚之生也,其母視之,知其必以賄死。

叔魚が生まれた時、その母は彼を見て、彼は必ず賄賂のために死ぬであろうことを知った。
・叔魚 『国語』晋語八に「叔魚生まる。その母これを視て口く『これ虎の目にして豕(いのこ) の喙(くちさき)、鳶(とび) の肩にして牛の腹なり。渓壑(谷川)は盈たすべきも、これを饜かしむべからず。必ず賄(まいない)を以て死なん』と。遂に視ず」と(晋の大夫叔魚は生まれながらに貪欲の相をそなえていたので、母はかえりみ養わなかった。)
・叔魚 (前580年-前531年),姓は姬,羊舌氏一名は叔鮒,字が叔魚である。春秋時代、晉國の人である。
晉國の貴族であり、羊舌職の子である。長兄に羊舌肸が有る。官位は晉國大夫に、代理司馬、代理司寇にまでなる。羊舌鮒は賄賂を好んで、非道を行なった。魯昭公十四年(前531年),晉國において邢侯、跟雍の子において家產(鄐田)爭奪があり,衝突が發生した。この時の司法官に叔魚がついていてわいろを要求し、これにより死罪になる。


楊食我之生也,叔向之母聞其號也,知必滅其宗。
楊食我が生まれた時、叔向の母はそのなき声を聞いて、必ずその一族を滅はすであろうことを知った。
・楊食我 食の音に嗣に同じ。晋の大夫叔向の子伯石。楊は領地名である。字が食我である。『国語』晋語八に、「楊食我生まる。叔向の母これを聞き、往きて堂に及んでその号くを聞き、乃ち還りて日く、『その声は犲(山犬)狼の声なり。終に羊舌氏の宗(一族)を滅すものは必ずこの子ならん』」と。


越椒之生也,子文以為大戚,
越椒の生まれた時、伯父子文は「この子は殺さないと」大きな心配としたのだ。
・越椒『左伝』宜公四年に「初め楚の司馬子良、子越椒を生む。子文(令尹闘子文)日く、『必ずこれを殺せ。この子や、熊虎の状にして、犲(山犬)狼の声なり。殺さざれば必ず若敖氏を滅さん。諺に曰く、狼子は野心と。これ狼なり。それ畜ふべけんや』と。子良可かず。子文以て大戚と為す。日く、『鬼(祖先の霊)猶食を求めば、若敖氏の鬼、それ餧ゑざらんや』」と。
 

知若敖氏之鬼不食也。
しかし、本当に若敦氏は滅んで祖先は祭りの供物を受けなくなることを知った。




叔魚   羊舌鮒
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前580年-前531年),姬姓,羊舌氏一名叔鮒,字叔魚。[1]春秋時代晉國人。
晉國貴族,晋武公的后代,羊舌職之子。有一兄長羊舌肸。官至晉國大夫、代理司馬、代理司寇。魯昭公十四年(前531年),晉國邢侯跟雍子爭奪家產(鄐田),發生衝突。由於司法官(士)景伯人在楚國,大夫韓起命羊舌鮒代理審判。羊舌鮒貪贓索賄,雍子獻出女兒,羊舌鮒即判雍子無罪。邢候不服,拔劍刺死雍子。晉昭公授權其兄長羊舌肸(叔向)處罰羊舌鮒,論以墨罪,“殺,棄屍於市。”[2]
[编辑]注釋

^ 《姓纂》中記載:“春秋時晉羊舌鮒,字叔魚,後以字爲氏。”
^ 《左傳•昭公十四年》:晋邢侯与雍子争赂田,久而无成。士景伯如楚,叔鱼摄理,韩宣子命断旧狱,罪在雍子。雍子纳其女于叔鱼,叔鱼蔽罪邢侯。邢侯怒,杀叔鱼与雍子于朝。宣子问其罪于叔向。叔向曰:“三人同罪,施生戮死可也。雍子自知其罪而赂以买直,鲋也鬻狱,刑侯专杀,其罪一也。己恶而掠美为昏,贪以败官为墨,杀人不忌为贼。《夏书》曰:‘昏、墨、贼,杀。’皋陶之刑也。请従之。”乃施邢侯而尸雍子与叔鱼于市。
羊舌鮒(ヨウゼツフ)【文官】
晋の臣。字は叔魚。叔鮒、叔魚ともいう。叔向の同母弟。~B.C.528。
羊舌鮒が生まれた時、母が羊舌鮒を見て「この子は虎の目をして残忍で、豚のとがった口で貪欲であり、とびの肩のように張っていやしんぼうで、 牛の腹のように太っている。きっと賄賂で死ぬだろう」と言って、ついに自分で育てなかった。
羊舌鮒は賄賂を好んで、非道を行なった。
范カイが和大夫と田畑の境界争いをして、決着がつかなかったので、 范カイは和大夫を攻めようとして羊舌鮒に尋ねた。羊舌鮒は「わたくしが彼を殺しますので、お待ちください」と答えた。結局、范カイは土地を和大夫に与えて仲直りした。
B.C.529、7月30日、諸侯は邾の南で勢揃いした。兵車4000台(30万)という大軍で、羊舌鮒は司馬を代行した。
諸侯は平丘に宿ったが、羊舌鮒は衛からまかないを取ろうと考え、草刈や薪取りで山林を荒らして衛を悩ませた。衛人は向に相談すると、 叔向は「あなたが衛君の命だと称してあの者(羊舌鮒)にこの錦を与えるなら、きっとおさまるでしょう」と言った。衛がそのとおりにすると、羊舌鮒はこれをやめた。
冬、魯の子服椒が晋に捕らえられた季平子を取り返すために晋に来た。 晋は季平子を返すことを決めたが、子服椒が「わが魯がお許しを受けたことを諸侯の会合の席において晋君から賜りたいと存じます」と言って帰ろうとしなかった。 韓宣子は叔向に相談すると、叔向は「鮒ならできるでしょう」と答えた。そこで羊舌鮒は季平子に会って 「昔、この鮒が魯君のもとに身を寄せたとき、ご祖父の武子の助けがなければ今日はありませんでした。あなたは帰ろうとされませんが、 魯君はあなたのために西河でお待ちになっておられます」と泣きながら言った。季平子は恐れて子服椒より先に帰ったため、子服椒は正式に許されて帰される礼を待った。
B.C.528司法官士弥牟が楚に使いしていたので、羊舌鮒が司法官を代行することとなった。 邢侯と雍子が境界争いをしていたが、雍子が娘を羊舌鮒に与えて、自分の有利に判決するよう頼んだ。 罪は雍子の方にあったが、羊舌鮒は雍子が正しいと判決した。そのため邢侯は怒って羊舌鮒と雍子を朝廷で殺した。叔向は「三人とも同罪である。 生きている者には刑罰を施し、死んでいる者には誅戮を加えてよいであろう」と言い、邢侯を処刑し、羊舌鮒と雍子のしかばねを市場にさらした。


楊食我       《左伝》 昭公二十八年
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(?-前514年),字伯石,中国春秋时期晋国的大夫,他是叔向的儿子,他的母亲是巫臣和夏姬的女儿。
杨食我出生时,伯华(叔向长兄)之妻告诉婆婆。叔向的母亲到达产房外,听到了杨食我的哭声,说:“是豺狼之声也,狼子野心。非是,莫丧羊舌氏矣。”。
他和祁盈交好。祁盈的族人祁胜与邬臧换妻通奸。祁盈要治祁胜的罪,祁胜贿赂荀躒。荀躒向晋顷公说祁盈的坏话。祁盈还是杀了祁胜与邬臧。前514年,晋顷公杀祁盈,杨食我作为祁盈的同党也被处死,祁氏、羊舌氏被灭。叔向子孫逃入華山仙谷,遂居華陰弘农。就是弘农杨氏的始祖。
楊食我(ヨウショクガ)【文官】
晋の臣。名は伯石。叔向の子。母は姒。~B.C.514。
楊食我が生まれたとき、叔向の母がその泣き声を聞いて引き返して「この声は山犬や狼の声だ。将来、羊舌氏の一族を滅ぼすのは、きっとこの子であろう」と言って、 そのまま見ることはなかった。
B.C.514祁盈の家で騒動が起きて、国がこれに関与した。楊食我は祁盈の一味で、祁盈に味方したため殺されて、 一族は族滅された。



越椒          「野心」の生まれる故事
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中国の春秋時代、楚の国の司馬であった子良(しりょう)に子どもが生まれた。名を越椒(えつしょう)と言った。

 子良の兄・子文(しぶん)が越椒を見て、こう言った。「この子は必ず殺せ。容貌が熊のようであり、声は狼のようだ。生かしておけば、我が若敖(じゃくごう)一族は必ずや滅びてしまうだろう。ことわざに「狼子野心」とあるように、狼の子はいくら飼い馴らしても最後まで野性の心を失わず、ついにはその飼い主を害してしまう」

 果たして、越椒は成長した後、楚王に謀反を起こし、若敖一族は滅びることとなった。

 (春秋左氏伝・宣公四年より)

 この故事にあるように、「野心」とは元来、「野性の心」のことで、「人に馴れ親しまず、害を及ぼそうとする心」を指したが、それが転じて、「ひそかに抱く大きな望み」のことを言うようになった。