原毀 韓愈
2013年3月16日 | 同じ日の紀頌之5つのブログ |
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原毀 韓愈(韓退之) <119-#1>Ⅱ中唐詩618 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2074
世の毀(そしり)の原因は、人が怠惰でありながら名声あるものを嫉妬することにあることを論じたものである。
科挙の試験に用いる八股文という対句を主とした文章の模範とされた。
九段、11回の分割で掲載後12回をまとめとする。この後、ちょっと横道であるが、宋玉『楚辞―九辯』を紹介し、そのあと韓愈に戻る。
#1一段目-(1)
古之君子,其責己也重以周,其待人也,輕以約。
重以周,故不怠。輕以約,故人樂為善。
聞古之人有舜者,其為人也,仁義人也。
#2一段目-(2)
求其所以為舜者,責於己曰:
「彼人也,予人也;彼能是,而我乃不能是。」
早夜以思,去其不如舜者,就其如舜者。聞古之人有周公者,其為人也,多才與藝人也。
#3二段目
求其所以為周公者,責於己曰:
「彼人也,予人也;彼能是,而我乃不能是。」
早夜以思,去其不如周公者,就其如周公者。
舜,大聖人也,後世無及焉。
周公,大聖人也,後世無及焉。
是人也,乃曰:
「不如舜,不如周公,吾之病也。」
是不亦責於身者重以周乎。
#4三段目-(1)
其於人也,曰:「彼人也,
能有是,是足為良人矣。
能善是,是足為藝人矣。」
取其一,不責其二;
即其新,不究其舊;
恐恐然惟懼其人之不得為善之利。
#5三段目-(2)
一善易修也,一藝易能也;
其於人也,乃曰:
「能有是,是亦足矣!」
曰:「能善是,是亦足矣。」
不亦待於人者輕以約乎。
#6四段目
今之君子則不然。其責人也詳,其待己也廉。
詳,故人難於為善。廉,故自取也少。
己未有善,曰:「我善是,是亦足矣。」
己未有能,曰:「我能是,是亦足矣。」
外以欺於人,內以欺於心,
未少有得而止矣,不亦待其身者已廉乎。
#7五段目
其於人也,曰 :
「彼雖能是,其人不足稱也。
彼雖善是,其用不足稱也。」
舉其一,不計其十;
究其舊,不圖其新;
恐恐然惟懼其人之又聞也,是不亦責於人者以詳乎。
#8六段目
夫是之謂不以眾人待其身,而以聖人望於人,
吾未見其尊己也。
雖然,為是者,有本有原,
怠與忌之謂也。怠者不能修,
而忌者畏人修。吾常試之矣,
#9七段目
常試語於眾曰:「某良士,某良士。」
其應者,必其人之與也。
不然,則其所疏遠,不與同其利者也。
不然,則其畏也。
不若是,強者必說於言,懦者必說於色矣。
#10八段目
又嘗語二於衆小目、某非二良士 某非二良土山
其不應者、必其人之輿也。不然則其所疎遠、不輿同其利者也。不然則其畏也。
不若是、強者必説於言、儒者必説於色矣。
#11九段目
是故事修而謗興,德高而毀來。
嗚呼!士之處此世,而望名譽之光,
道德之行,難已!
將有作於上者,得吾說而存之,
其國家可幾而理歟。
#1一段目-(1)
古之君子,其責己也重以周,
古代の君子といわれる成徳の人は、自分にたいして責めることは重くして、それをどんな事にもあまねく行きわたっているのである。
其待人也,輕以約。
その君子は他人にたいして期待することにおいて、軽くて簡略なものとしているのである。
重以周,故不怠。
自己を責めることが厳重でありどんな事にもあまねく行きわたっているのであるから、それゆえ怠惰でないのである。
輕以約,故人樂為善。
人に期待することが軽くてひかえめであるから、それゆえ人々は善をなすことを楽しむことができるのである。
聞古之人有舜者,其為人也,仁義人也。
聞くところによると、古代の五帝の舜があって、「その人物はひととなりがよく、仁という博愛の心があり、義という理性をもってすじみちを行う人である。」と。
古の君子、其の己を責むるや重くして以て周に、其の人を待つや、軽くして以て約なり。
重くして以て周なり。故に怠らず。
軽くして以て約なり。故に入善を為すを楽しむ。
聞く古の人に舜といふ者有り、其の人と爲りや仁義の人なりと。
『原毀』 現代語訳と訳註
(本文) #1一段目-(1)
古之君子,其責己也重以周,其待人也,輕以約。
重以周,故不怠。輕以約,故人樂為善。
聞古之人有舜者,其為人也,仁義人也。
(下し文)
古の君子、其の己を責むるや重くして以て周に、其の人を待つや、軽くして以て約なり。
重くして以て周なり。故に怠らず。
軽くして以て約なり。故に入善を為すを楽しむ。
聞く古の人に葬といふ老有り、其の人と爲りや仁義の人なりと。
(現代語訳)
古代の君子といわれる成徳の人は、自分にたいして責めることは重くして、それをどんな事にもあまねく行きわたっているのである。
その君子は他人にたいして期待することにおいて、軽くて簡略なものとしているのである。
自己を責めることが厳重でありどんな事にもあまねく行きわたっているのであるから、それゆえ怠惰でないのである。
人に期待することが軽くてひかえめであるから、それゆえ人々は善をなすことを楽しむことができるのである。
聞くところによると、古代の五帝の舜があって、「その人物はひととなりがよく、仁という博愛の心があり、義という理性をもってすじみちを行う人である。」と。
(訳注) #1一段目-(1)
古之君子,其責己也重以周,
古代の君子といわれる成徳の人は、自分にたいして責めることは重くして、それをどんな事にもあまねく行きわたっているのである。
○其責己也 その人、古の君子が自己を責める場合に。責は追求する。
其待人也,輕以約。
その君子は他人にたいして期待することにおいて、軽くて簡略なものとしているのである。
重以周,故不怠。
自己を責めることが厳重でありどんな事にもあまねく行きわたっているのであるから、それゆえ怠惰でないのである。
○重 おもくきびしい。厳重。
○周 あまねく、手落ちがない。おろそかでないこと。
○怠 怠惰。
輕以約,故人樂為善。
人に期待することが軽くてひかえめであるから、それゆえ人々は善をなすことを楽しむことができるのである。
○軽 軽く少ない。
○約 つつましい。簡略。ひかえめ。
○楽為善 楽しんで善いことをする。
聞古之人有舜者,其為人也,仁義人也。
聞くところによると、古代の五帝の舜があって、「その人物はひととなりがよく、仁という博愛の心があり、義という理性をもってすじみちを行う人である。」と。
○舜 古代の伝説上の聖天子の名。三皇五帝の三皇を伏羲、女媧、神農、五帝を黄・堯・舜・禹・湯とする一人。儒家により神聖視され、堯(ぎょう)と並んで堯舜と呼ばれて聖人と崇められた。また、二十四孝として数えられている。 舜は顓頊(せんぎょく)の7代子孫とされる。母を早くになくして、継母と連子と父親と暮らしていたが、父親達は連子に後を継がせるために隙あらば舜を殺そうと狙っていた。舜はそんな父親に対しても孝を尽くしたので、名声が高まり堯の元にもうわさが届いた。
○為人 人物、人がらをいう。
○仁義 儒家の遺徳の最大のものである博愛と義理。