原毀 韓愈(韓退之) <119-#6>
人に対して厳しく、自分に対して甘いことをそしり、誡める。

2013年3月21日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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#4三段目-(1)
其於人也,曰:「彼人也,
その古代の君子が人に対するときにはいうのである、「あの人の事である。」
能有是,是足為良人矣。
「あの人には、ここにいう善事があることである。これが善良な人とするに十分なことなのである。」
能善是,是足為藝人矣。」
「この仕事を上手にすることができたということ。これは、多芸の人ということとするには十分である」ということなのだ。
取其一,不責其二;
「その一つを取りあげて、うまいか、うまくいかないか、その二つについて責めを問うことをしない。」
即其新,不究其舊;
「その人が努力して新しく進んだところについて見て、その過去のいたらなかったところを追究しないことである。」
恐恐然惟懼其人之不得為善之利。

「心おそれてなにもできないでいることは、その人が善事をなす利便を得ないかもしれないことを心配することになる。」
其の人に於けるや,曰く:「彼の人や,
能く是れ有り,是れ良人と為すに足る。
能く是れを善くす,是れ藝人と為すに足ると。」
其の一を取りて,其の二を責めず;
其の新に即【つ】いて,其の舊を究めず;
恐恐然として惟だ其の人の善を為すの利を得ざらんことを懼る。

#5三段目-(2)
一善易修也,一藝易能也;
其於人也,乃曰:
一つの善事はよく行いやすいものなのである。一つの技芸はできやすいものである。
「能有是,是亦足矣!」
それなのに、その人が他人に対するときにこういう。
曰:「能善是,是亦足矣。」
「あの人にはこの能力があることができたのだから、これもまたこれだけで十分である」という。
不亦待於人者輕以約乎。
そしていう、「これを立派におこなうことができたのだから、これでもまた十分である。」と。
これが他の人に期待することが軽くしてひかえめなことではなかろうか。
#5三段目-(2)
一善は修め易きなり,一藝は能くし易きなり;
其の人に於けるや,乃ち曰く:
「能く是れ有り,是れも亦た足れり!」と。
曰く:「能く是れを善くし,是れも亦た足れり。」と。
不亦た人を待つ者、輕くして以って約



#6四段目
今之君子則不然。其責人也詳,其待己也廉。
今の君子はそうではない。今の君主は人を責める場合は詳細であり、ところが自分にたいしては期待することのハードルを低く設定する。
詳,故人難於為善。廉,故自取也少。
人をとがめ責めることにかんして微に入り細にいるもので、それ故人は善を為すことをはばかるようになる。欲が少ないから、それ故に自分が修得することは少ないのである。
己未有善,曰:「我善是,是亦足矣。」
自分にはまだ善行の積重ねがないのに、「自分はこれが上手なのだから、これで十分である」といい、
己未有能,曰:「我能是,是亦足矣。」
自分にはまだできるという実証を重ねたことがないのに、「自分はこれができるから、これで十分である」という。
外以欺於人,內以欺於心,
これは外においては人をあざむくことであり、内においては自分自身の心をあざむくことである。
未少有得而止矣,不亦待其身者已廉乎。
まだ少しも得ることがなくて中途半端で終るのである。それこそわが身に期待することが、はなはだ自分に甘いこと、やろうとする物事のハードルを低く設定するということではないだろうか。

今の君子は則ち然らず。其の人を責むるや詳【つまびらか】に、其の己を待つや廉なり。
詳なるが故に入善を為すを難んず。廉なるが故に自ら取るや少し。
己未だ善有らざるに、日く、「我是を善くす。是も亦足れり」と。
己未だ能くすること有らざるに、日く、「我是を能くす。是も亦足れり」と。
外は以て人を欺き、内は以て心を欺き、末だ少しも得ること有らずして止む。
亦其の身を待つこと己だ廉ならずや。


『原毀』 現代語訳と訳註
(本文)
#6四段目
詩人055今之君子則不然。其責人也詳,其待己也廉。
詳,故人難於為善。廉,故自取也少。
己未有善,曰:「我善是,是亦足矣。」
己未有能,曰:「我能是,是亦足矣。」
外以欺於人,內以欺於心,
未少有得而止矣,不亦待其身者已廉乎。


(下し文)
今の君子は則ち然らず。其の人を責むるや詳【つまびらか】に、其の己を待つや廉なり。
詳なるが故に入善を為すを難んず。廉なるが故に自ら取るや少し。
己未だ善有らざるに、日く、「我是を善くす。是も亦足れり」と。
己未だ能くすること有らざるに、日く、「我是を能くす。是も亦足れり」と。
外は以て人を欺き、内は以て心を欺き、末だ少しも得ること有らずして止む。
亦其の身を待つこと己だ廉ならずや。


(現代語訳)
今の君子はそうではない。今の君主は人を責める場合は詳細であり、ところが自分にたいしては期待することのハードルを低く設定する。
人をとがめ責めることにかんして微に入り細にいるもので、それ故人は善を為すことをはばかるようになる。欲が少ないから、それ故に自分が修得することは少ないのである。
自分にはまだ善行の積重ねがないのに、「自分はこれが上手なのだから、これで十分である」といい、
自分にはまだできるという実証を重ねたことがないのに、「自分はこれができるから、これで十分である」という。
これは外においては人をあざむくことであり、内においては自分自身の心をあざむくことである。
まだ少しも得ることがなくて中途半端で終るのである。それこそわが身に期待することが、はなはだ自分に甘いこと、やろうとする物事のハードルを低く設定するということではないだろうか。


(訳注) #6四段目
今之君子則不然。其責人也詳,其待己也廉。

wakaba002今の君子はそうではない。今の君主は人を責める場合は詳細であり、ところが自分にたいしては期待することのハードルを低く設定する。
○詳 くわしくこまかである。
○廉 無欲。廉の本義はかどめ正しくて、取るべきでない利を取らないこと。ここではわが身に修得することを欲はらない。ハードルを低く設定する。


詳,故人難於為善。廉,故自取也少。
人をとがめ責めることにかんして微に入り細にいるもので、それ故人は善を為すことをはばかるようになる。欲が少ないから、それ故に自分が修得することは少ないのである。
○難 はばかる。困難に思う。


己未有善,曰:「我善是,是亦足矣。」
自分にはまだ善行の積重ねがないのに、「自分はこれが上手なのだから、これで十分である」といい、


己未有能,曰:「我能是,是亦足矣。」
自分にはまだできるという実証を重ねたことがないのに、「自分はこれができるから、これで十分である」という。


外以欺於人,內以欺於心,
これは外においては人をあざむくことであり、内においては自分自身の心をあざむくことである。
○欺 あざむく。ごまかす。


未少有得而止矣,不亦待其身者已廉乎。
まだ少しも得ることがなくて中途半端で終るのである。それこそわが身に期待することが、はなはだ自分に甘いこと、やろうとする物事のハードルを低く設定するということではないだろうか。
○已 甚だに