王維  《桃源行》 <#4>そこに春が来ると、ここのすべてが桃の花が咲き乱れ花びらが水面にも落ちて広がる。そんな仙人が澄む桃源郷がどこにあるのか尋ねることを語ることも許されない。


2013年6月24日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩《龜雖壽》 武帝 魏詩<88-#1>古詩源 巻五 805 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2573
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩《桃源行》 王維  <#4>718 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2574
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集通泉縣署屋壁後薛少保畫鶴 楽府(七言歌行) 成都6-(25) 杜甫 <846>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2575 杜甫詩1000-846-709/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性聽歌 武元衝 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-206-72-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2577
 
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex

『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 



《桃源行》 王維  <#4>718 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2574



《桃源行》作者:王維
海棠花011漁舟逐水愛山春,兩岸桃花夾去津。
漁師の船は水面をすすんでゆき、愛すべき山水に春がおとずれる。さらに進むと両岸には桃の花が咲き誇り、突き当りの舟付き場まで桃の花に挟まれる。
坐看紅樹不知遠,行盡青溪忽視人。
岸の桃の花の咲く木の下に座って近くの花を見ると、遠くの景色を見ることをしない。春の若芽でいっぱいの渓谷を昇って行き着く所まで上がるとあたりに人はいなくなっている。
山口潛行始隈隩,山開曠望旋平陸。 
山の昇り口に進むと木々の下を抜けて行くと初めて入り組んだところは暗くなるほどだ。すると今度は前がパッと開けてグルット見回すと遠くに平地が見える。
遙看一處攢云樹,近入千家散花竹。
はるか遠くに一か所にこんもりと木があつまり茂った森が見える。その近くにたくさんの家があり花と竹があちこちに見える。

#2
樵客初傳漢姓名,居人未改秦衣服。 
木こりの旅人はここに初めての漢人系統の姓名が伝えられた。ここに住む住人は長安地方の衣服を未だに改めようとはしていない。
居人共住武陵源,還從物外起田園。
ここに住む住人は何事も一緒に行う武陵源の少数民族である。外部からここに及んでくるものを排除してここに田園経営を起こしたのである。
月明松下房櫳靜,日出云中雞犬喧。 
月の明かりが明るい夜は末の下に作った部屋や囲いの中で静かに過ごし、朝日が昇ってからはここのなかで忙しく働き鶏や犬のようにさわがしくすごす。
惊聞俗客爭來集,競引還家問都邑。
・云中 云は物の多いさま、ここでは忙しいさまを云う。
俗人に対して驚かすのが聞えて來るし、争い事があるようだと集団でこれにあたる。競い合い引き合いの後家にかえって村全体に相談するのである。

#3
平明閭巷掃花開,薄暮漁樵乘水入。 
夜明けになってこの村里は散る花を掃き奇麗にして花の開くのを待つ。夕暮れてここの住人の漁師や木こりは河水から村に帰って來る。
初因避地去人間,及至成仙遂不還。
ここに来る前、初めに世俗から逃れたところに、人間世界を去って行くことにしたのであった。そうして、各地を探し此処に至ったことは隠遁して仙人になるということでもう世俗には帰らないこととしたのだ。
峽里誰知有人事,世中遙望空云山。 
谷間の村里には人間同士の事柄は誰も問題にはしない。世の中遙か遠く、むなしく雲や山を望むのである。
不疑靈境難聞見,塵心未盡思鄉縣。

この里では神仏等の神聖な郷境というべきものを見聞きすることは難しいということは疑う余地はない。俗世界の事は考え尽くすことはなく、故郷の郷縣のことを思うのだ。

#4
出洞無論隔山水,辭家終擬長游衍。 
巌谷を抜け出てこの里の山水から離れていくけれどそれを問題にして論ずることはない。家に別れをつげてついに長い遊学、見聞を広げるたびに出ようかと思案する。
自謂經過舊不迷,安知峰壑今來變。
この経過について、昔のことについても迷うことはない。どうしてなのか、嶺や谷が今こうしてきてみる路変化はないという。
當時只記入山深,青溪几曲到云林。 
この時にあたって、ただ、この山深き所に入って來ることを記録しているのだ、そして、春になって若葉の谷間には曲がりくねって行き着くところはうっそうと茂っている林の中なのだ。
春來遍是桃花水,不辨仙源何處尋。
そこに春が来ると、ここのすべてが桃の花が咲き乱れ花びらが水面にも落ちて広がる。そんな仙人が澄む桃源郷がどこにあるのか尋ねることを語ることも許されない。桃園001


《桃源行》作者:王維
漁舟 水を逐い山の春を愛し,兩岸に桃花 去津を夾む。
坐して紅樹を看て遠きを知らず,青溪を行き盡き忽として人を視る。
山口 潛行は隈隩より始り,山開 曠望は平陸より旋る。 
遙に看るは 一處 云樹を攢【あつ】むるを,近くに入れば千家 花竹を散ず。
#2
樵客 初めて傳う 漢の姓名,居人 未だ改めず 秦の衣服。
居人 共に住す 武陵源,還た物外に從って田園を起す。
月明かにして 松下 房櫳 靜か,日出ずれば 云中雞犬 喧し。
惊れて俗客を聞き 爭い來り集い,競うて引き 家に還り都邑を問う。
#3
平明に閭巷は花を掃うて開き,薄暮に漁樵は水に乘じて入る。 
初めに避地 人間を去るに因り,及び至り 仙と成って遂に還らざるに。
峽里 誰か人事有るを知る,世中 遙に望めば空しく云山。 
靈境 聞見し難きを疑わざれども,塵心 未だ盡きず鄉縣を思う。
#4
洞を出でて 山水を隔つるを論ずる無し,家を辭して終に 長く游衍せむことを 擬す。 
自ら經過 舊【もと】迷わずと 謂う,安んぞ峰壑 今來 變ずるを 知らん。
當時 只だ記す 入山の深きを,青溪 几曲 云林に到る。
春來 遍く是れ 桃花の水,辨ぜず 仙源 何れの處に尋ねるべきかを。


『桃源行』 現代語訳と訳註
(本文)
#4
出洞無論隔山水,辭家終擬長游衍。 
自謂經過舊不迷,安知峰壑今來變。
當時只記入山深,青溪几曲到云林。 
春來遍是桃花水,不辨仙源何處尋。


(下し文) #4
洞を出でて 山水を隔つるを論ずる無し,家を辭して終に 長く游衍せむことを 擬す。 
自ら經過 舊【もと】迷わずと 謂う,安んぞ峰壑 今來 變ずるを 知らん。
當時 只だ記す 入山の深きを,青溪 几曲 云林に到る。
春來 遍く是れ 桃花の水,辨ぜず 仙源 何れの處に尋ねるべきかを。


(現代語訳)
巌谷を抜け出てこの里の山水から離れていくけれどそれを問題にして論ずることはない。家に別れをつげてついに長い遊学、見聞を広げるたびに出ようかと思案する。
この経過について、昔のことについても迷うことはない。どうしてなのか、嶺や谷が今こうしてきてみる路変化はないという。
この時にあたって、ただ、この山深き所に入って來ることを記録しているのだ、そして、春になって若葉の谷間には曲がりくねって行き着くところはうっそうと茂っている林の中なのだ。
そこに春が来ると、ここのすべてが桃の花が咲き乱れ花びらが水面にも落ちて広がる。そんな仙人が澄む桃源郷がどこにあるのか尋ねることを語ることも許されない。


(訳注) #4
出洞無論隔山水,辭家終擬長游衍。 
洞を出でて 山水を隔つるを論ずる無し,家を辭して終に 長く游衍せむことを 擬す。 
巌谷を抜け出てこの里の山水から離れていくけれどそれを問題にして論ずることはない。家に別れをつげてついに長い遊学、見聞を広げるたびに出ようかと思案する。
・擬 ① どうしようかとはかり考える。思案する。「擬議」② 他のものと引き比べてみる。本物らしく似せる。なぞらえる。「擬音・擬勢・擬態・擬古文・擬人法・擬声語/模擬」[難読]雁擬(がんもどき)・擬宝珠(ぎぼし)
・衍 ① 余分にあまる。余計な。「衍字・衍文」② 延び広がる。押し広げる。「衍義/敷衍」


自謂經過舊不迷,安知峰壑今來變。
自ら經過 舊【もと】迷わずと 謂う,安んぞ峰壑 今來 變ずるを 知らん。
この経過について、昔のことについても迷うことはない。どうしてなのか、嶺や谷が今こうしてきてみる路変化はないという。


當時只記入山深,青溪几曲到云林。 
當時 只だ記す 入山の深きを,青溪 几曲 云林に到る。
この時にあたって、ただ、この山深き所に入って來ることを記録しているのだ、そして、春になって若葉の谷間には曲がりくねって行き着くところはうっそうと茂っている林の中なのだ。


春來遍是桃花水,不辨仙源何處尋。
春來 遍く是れ 桃花の水,辨ぜず 仙源 何れの處に尋ねるべきかを。
そこに春が来ると、ここのすべてが桃の花が咲き乱れ花びらが水面にも落ちて広がる。そんな仙人が澄む桃源郷がどこにあるのか尋ねることを語ることも許されない。
桑畑