韓愈《過鴻溝》項羽と高祖とは戦争が久しきにわたっていたために共に戦いには倦怠していた、たとえば龍がつかれ、虎が苦しむようなものであり、そこで、鴻溝を界とし、中原の要地を分割して和を結び、億万の人民の生命を全うしてやっと安心ということになったのだ。
(韓退之) Ⅱ中唐詩 <833> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3149韓愈詩-205
作者: 韓愈 817年 元和十二年 50歲
卷別: 卷三四四 文體: 七言絕句
詩題: 過鴻溝
寫作地點: 滎陽(都畿道 / 鄭州 / 滎陽)
寫及地點: 鴻溝 (都畿道 鄭州 滎陽)
過鴻溝
(鴻溝の古址をよぎる際に作った詩)
龍疲虎困割川原,億萬蒼生性命存。
項羽と高祖とは戦争が久しきにわたっていたために共に戦いには倦怠していた、たとえば龍がつかれ、虎が苦しむようなものであり、そこで、鴻溝を界とし、中原の要地を分割して和を結び、億万の人民の生命を全うしてやっと安心ということになったのだ。
誰勸君王回馬首,真成一擲賭乾坤。
この時、高祖に勧め、不意に馬首を回らして、再び戦場に立ちかえらせた、今度こそ本当に乾坤一擲の壮図を成して、勝負を賭せしめたものは誰であるか。「好機、まことに失うべからず、かくて後にこそ」。高祖は、初めて天下を統一することが出来たのである。
鴻溝を過【よぎ】る
龍は疲れ 虎は困しんで川原【せんげん】を割く,億萬の蒼生 性命 存す。
誰が 君王に勸めて馬首を回し,真成 一擲 乾坤を賭す。
『過鴻溝』 現代語訳と訳註
(本文)
過鴻溝
龍疲虎困割川原,億萬蒼生性命存。
誰勸君王回馬首,真成一擲賭乾坤。
(下し文)
鴻溝を過【よぎ】る
龍は疲れ 虎は困しんで川原【せんげん】を割く,億萬の蒼生 性命 存す。
誰が 君王に勸めて馬首を回し,真成 一擲 乾坤を賭す。
(現代語訳)
(鴻溝の古址をよぎる際に作った詩)
項羽と高祖とは戦争が久しきにわたっていたために共に戦いには倦怠していた、たとえば龍がつかれ、虎が苦しむようなものであり、そこで、鴻溝を界とし、中原の要地を分割して和を結び、億万の人民の生命を全うしてやっと安心ということになったのだ。
この時、高祖に勧め、不意に馬首を回らして、再び戦場に立ちかえらせた、今度こそ本当に乾坤一擲の壮図を成して、勝負を賭せしめたものは誰であるか。「好機、まことに失うべからず、かくて後にこそ」。高祖は、初めて天下を統一することが出来たのである。
(訳注)
過鴻溝
(鴻溝の古址をよぎる際に作った詩)
元和十二年八月、蔡州に向かう途中、汴州に入って鴻溝の古址をよぎった時にこの詩を作った。この時絶句のシリーズを六首作っている。今の河南省の賈魯河のことで、そのかみ、秦滅びて天下がまだ統一しない時、楚の項羽と漢の劉邦(後の高祖)がここに一線を画して天下を分有した。詩は当時を追懐したものである。
・過鴻溝
・送張侍郎〔張賈,時自兵侍為華州。〕
・贈刑部馬侍郎〔馬總,時副晉公東征。〕
・奉和裴相公東征,途經女几山下作
・郾城晚飲奉贈副使馬侍郎及馮〔宿。李宗閔。二員外:馮李時從裴度東征。〕
・酬別留後侍郎〔蔡平,命馬總為留後。〕
龍疲 虎困 割 川原 ,億萬 蒼生 性命 存 。
項羽と高祖とは戦争が久しきにわたっていたために共に戦いには倦怠していた、たとえば龍がつかれ、虎が苦しむようなものであり、そこで、鴻溝を界とし、中原の要地を分割して和を結び、億万の人民の生命を全うしてやっと安心ということになったのだ。
「龍疲 虎困」項羽と漢の高祖とが久しくたたかったことを云う。
「割」。鴻溝を界とし、中原の要地を分割して和を結んだこと。
「川原」中原の要地。
「蒼生」人民。
誰勸 君王 回 馬首 ,真成 一擲 賭 乾坤 。
この時、高祖に勧め、不意に馬首を回らして、再び戦場に立ちかえらせた、今度こそ本当に乾坤一擲の壮図を成して、勝負を賭せしめたものは誰であるか。「好機、まことに失うべからず、かくて後にこそ」。高祖は、初めて天下を統一することが出来たのである。
「回馬首」いったん帰りかけたのに、また馬の頭を基向いていた戦場の方にむきなおす。
「乾坤一擲」道家語を使ったものであり、李白『経乱離後天恩 流夜郎憶旧遊書懐贈江夏韋太守良宰』「天地賭一擲、未能忘戦争」。に基づいているものである。