〔韓愈、李正封〕《晚秋郾城夜會聯句》(18)かくて再び朝廷に入って、いよいよ顕厳の位に上り、ひと月に九度官を移されたというように、暫くの間に昇進し、そして、顕厳の節、諤諤の言をもって、朝廷の風気を一新せられた。そこで、凱旋の賓筵に列するものは、孤偃趙衰に比すべき名臣輩であるし、案内をして先導する騎兵は、衛靑・霍去病のような堂々たる武臣である。
 

2013年11月18日  の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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班孟堅(班固) 《兩都賦序》(6) 文選 賦<111―6>13分割41回 Ⅱ李白に影響を与えた詩952 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3308
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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《晚秋郾城夜會聯句〔韓愈、李正封〕》(18)-#16韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <865>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3309韓愈詩-220-#16
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 693 《臺上〔得涼字。〕》 蜀中転々 杜甫 <600>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3310 杜甫詩1000-600-856/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 77《蒿里曲》 無名氏  挽歌 漢・樂府  kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3311 (11/18)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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15

洪赦方下究,武飆亦旁魄。

大赦の詮議は下々まで行き渡り、武威は飄風の如く四海隅々までいきわたっている。

南據定蠻陬,北攫空朔漠。(正封)

そこで南には根拠地を定めて、蛮族を平定し、北にむけては地を略して、砂漠をむなしくする。

儒生愜教化,武士猛刺斫。

儒家はその身にふさわしく、教化を務め、武人は、刺撃斫殺に猛々しく厳然としてひかえている以上は、何ら心配もないのである。

吾相兩優游,他人雙落莫。(愈)

私の知才を知っていただいている宰相の裴度公は優游して、国家の至治を楽しみ、その余の小人輩は、全く落莫として、段々に朝廷から退けられてしまった。

洪赦【こうしゃ】方【まさ】に下究【かきゅう】,武飆【ぶひょう】亦た旁魄【ほうはく】。

南に據【よ】って蠻陬【はんそう】を定め,北に攫【つか】んで朔漠【さくばく】を空しうす。(正封)

儒生 教化に愜【かな】い,武士 刺斫【さつしゃく】を猛【たけ】くす。

吾が相 兩つながら 優游,他人 雙びに 落莫【らくばく】。(愈)

 

16

印從負鼎佩,門爲登壇鑿。

裴度公は古の伊尹が鼎爼を負うて、湯に用いられたのと同じく、今の天子に抜擢されて、印綬を佩び、また漢の高祖が壇を設けて、韓信を大將に拝せしが如く、特に壇に登るがために、門をさえ開かれたくらいである。

再入更顯嚴,九遷彌謇諤。(正封)

かくて再び朝廷に入って、いよいよ顕厳の位に上り、ひと月に九度官を移されたというように、暫くの間に昇進し、そして、顕厳の節、諤諤の言をもって、朝廷の風気を一新せられた。

賓筵盡狐趙,導騎多衛霍。

そこで、凱旋の賓筵に列するものは、孤偃趙衰に比すべき名臣輩であるし、案内をして先導する騎兵は、衛靑・霍去病のような堂々たる武臣である。

國史擅芬芳,宮娃分綽約。(愈)

国史は、裴度公の功業を記して、その芳芬を千古にほしいままにすべく、入朝の際は、綽約たる宮娃に導かれて、奥御殿まで参入することを許される。

 

印は鼎【かなえ】を負うに從って佩び,門は壇に登るが爲に鑿【ほ】る。

再び入って更に顯嚴【けんげん】,九たび遷って彌【いよい】よ謇諤【けんがく】。(正封)

賓筵【ひんえん】盡【ことごと】く狐趙,導騎【どうき】多くは衛霍【えいかく】。

國史 芬芳【ふんほう】擅【ほしいまま】にし,宮娃【きゅうあい】綽約【しゃくやく】を分つ。(愈)

sas0009 

 

『晚秋郾城夜會聯句』 現代語訳と訳註

(本文) 16

印從負鼎佩,門爲登壇鑿。

再入更顯嚴,九遷彌謇諤。(正封)

賓筵盡狐趙,導騎多衛霍。

國史擅芬芳,宮娃分綽約。(愈)

 

(下し文) 16

印は鼎【かなえ】を負うに從って佩び,門は壇に登るが爲に鑿【ほ】る。

再び入って更に顯嚴【けんげん】,九たび遷って彌【いよい】よ謇諤【けんがく】。(正封)

賓筵【ひんえん】盡【ことごと】く狐趙,導騎【どうき】多くは衛霍【えいかく】。

國史 芬芳【ふんほう】擅【ほしいまま】にし,宮娃【きゅうあい】綽約【しゃくやく】を分つ。(愈)

 

(現代語訳)

裴度公は古の伊尹が鼎爼を負うて、湯に用いられたのと同じく、今の天子に抜擢されて、印綬を佩び、また漢の高祖が壇を設けて、韓信を大將に拝せしが如く、特に壇に登るがために、門をさえ開かれたくらいである。

かくて再び朝廷に入って、いよいよ顕厳の位に上り、ひと月に九度官を移されたというように、暫くの間に昇進し、そして、顕厳の節、諤諤の言をもって、朝廷の風気を一新せられた。

そこで、凱旋の賓筵に列するものは、孤偃趙衰に比すべき名臣輩であるし、案内をして先導する騎兵は、衛靑・霍去病のような堂々たる武臣である。

国史は、裴度公の功業を記して、その芳芬を千古にほしいままにすべく、入朝の際は、綽約たる宮娃に導かれて、奥御殿まで参入することを許される。

 

bijo01(訳注) 16

印從負鼎佩,門爲登壇鑿。

裴度公は古の伊尹が鼎爼を負うて、湯に用いられたのと同じく、今の天子に抜擢されて、印綬を佩び、また漢の高祖が壇を設けて、韓信を大將に拝せしが如く、特に壇に登るがために、門をさえ開かれたくらいである。

・鼎 鼎爼:1 かなえと、まないた。ともに料理に使う道具。2 かなえで煮られ、まないたの上で切られること。死ぬべき運命にあることのたとえ。

・壇 1 土を小高く盛り、上を平らにした所。「花壇・祭壇」2 他より一段高くした設備。「壇上/演壇・教壇・降壇・登壇・仏壇」3 学芸の専門家の社会。歌壇・画壇

・鑿 木材、石材、金属等に穴を穿ったり、溝を刻んだりするのに用いる工具。

 

再入更顯嚴,九遷彌謇諤。(正封)

かくて再び朝廷に入って、いよいよ顕厳の位に上り、ひと月に九度官を移されたというように、暫くの間に昇進し、そして、顕厳の節、諤諤の言をもって、朝廷の風気を一新せられた。

・顯嚴 高級官僚。

・謇諤 正しいことを遠慮せず直言すること。遠慮なく直言・論議すること。別名 蹇愕、侃諤.

 

賓筵盡狐趙,導騎多衛霍。

そこで、凱旋の賓筵に列するものは、孤偃趙衰に比すべき名臣輩であるし、案内をして先導する騎兵は、衛靑・霍去病のような堂々たる武臣である。

・狐趙 孤偃趙衰

・衛霍 衛靑・霍去病。衛靑:? - 元封5年(紀元前106年))は、前漢の武帝に仕えた武将。河東平陽(山西省臨汾)出身。字は仲卿。爵位は長平侯。母親は婢であった衛媼(えいおん)。幼少時に下級官吏の鄭季(ていき)の家に引き取られていたため、父親は鄭季とされる。霍 去病:(かく きょへい、紀元前140 - 紀元前117年)は、前漢の武帝時代の武将である。父は、霍仲孺。異母弟は、大司馬大将軍になり、武帝後の政治を取り仕切った霍光。

 

國史擅芬芳,宮娃分綽約。(愈)

国史は、裴度公の功業を記して、その芳芬を千古にほしいままにすべく、入朝の際は、綽約たる宮娃に導かれて、奥御殿まで参入することを許される。

・芬芳 よい香り。また、よい香りをただよわせること。

・宮娃 (「娃」は美女の意)宮中に仕えている女性。李賀『宮娃歌』

・綽約 姿がしなやかで優しいさま。たおやかなさま。