《論佛骨表》(7) 古今に通ずる宜しい処置を知って、聖徳明智の高祖の御心を推し広め明らかにした。この仏教の弊害を救うことができなかったため、その事は遂に取り止めになった。


2013年12月13日  の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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班孟堅(班固) 《西都賦》(23)#9―2 文選 賦<112―23>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩977 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3433
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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《論佛骨表》(7)元和十四年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <890>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3434韓愈詩-227-7
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 718 《行次鹽亭縣聊題四韻奉簡嚴遂州、蓬州兩使君諮議諸昆季》杜甫 <625>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3435 杜甫詩1000-625-881/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 222  《杏殤 九首 之五》 孟郊  唐宋詩  kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3436 (12/13)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
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《論佛骨表》(7)元和十四年韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <890>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3434韓愈詩-227-7

 

 

(5)#4-1

漢明帝時,始有佛法,

後漢の明帝の時、はじめて仏法が存在したが、

明帝在位,才十八年耳。

明帝は帝位に在ることわずかに十八年だけであった。

其後亂亡相繼,運祚不長。

そして、その後、国は乱れたり、亡んだりすることが相継いだのであり、国運も帝位も長くなかったのである。

宋、齊、梁、陳、元魏以下,

南朝の宋・斉・梁・陳や北朝の元魏より以下、

事佛漸謹,年代尤促。

仏教のおしえに仕えることが段々と謹みて敬われるようになったが、王朝の年代は最も短いものでしかなかったのである。

 (6)#4-2

惟梁武帝在位四十八年,

ただ梁の武帝は在位四十八年で、

前後三度舍身施佛,宗廟之祭,

その間前後あわせて三度も身を捨て仏に献げて、僧侶となり、祖先のみたまやの祭りにも犠牲の肉を用いず、

不用牲牢,晝日一食,止於菜果。

昼の間は一食、それもただ野菜や果物だけであった。

其後竟為侯景所逼,餓死台城,

その後とうとう侯景のために迫られて、台城の中で餓死し、国もまたついで滅んでしまった。

國亦尋滅。事佛求福,乃更得禍。

仏につかえて福を求めたはずなのに、すなわち、さらに一層の禍を得たのであった。

由此觀之,佛不足事,亦可知矣。

これをもって観れば、仏は仕えるだけのねうちがないこともまたよくわかるのである

 (7)#5

高祖始受隋禪,則議除之。

唐の高祖皇帝がはじめて隋からの禅譲を受けて天子の位に即かれたときには、この仏教を除き去ろうと諮儀相談された。

當時群臣材識不遠,不能深知先王之道、

当時の群臣は才力も見識も遠くを見抜くことができず、深く儒家の先王の道ともとめた。

古今之宜,推闡聖明,

古今に通ずる宜しい処置を知って、聖徳明智の高祖の御心を推し広め明らかにした。

以救斯弊,其事遂止。

この仏教の弊害を救うことができなかったため、その事は遂に取り止めになった。

臣常恨焉。

私は平素これを残念に思っていた。

 (8)#6

伏惟睿聖文武皇帝陛下,神聖英武,

數千百年已來,未有倫比。

即位之初,即不許度人為僧尼、

道士,又不許創立寺觀。

以為高祖之誌,必行於陛下之手,

今縱未能即行,豈可恣之轉令盛也!

 

 

『論佛骨表』 現代語訳と訳註

(本文) (7)#5

高祖始受隋禪,則議除之。

當時群臣材識不遠,不能深知先王之道、

古今之宜,推闡聖明,

以救斯弊,其事遂止。

臣常恨焉。

 

(下し文) (7)#5

高祖 始めて隋の禪を受け,則ち之を除かんと議す。

當時 群臣【ぐんしん】材識【ざいしき】遠からず,深く先王の道を知るを能わず、

古今の宜,聖明を推闡【すいせん】し,

以って斯の弊を救い,其の事遂に止む。

臣常に恨む。

 

(現代語訳)

唐の高祖皇帝がはじめて隋からの禅譲を受けて天子の位に即かれたときには、この仏教を除き去ろうと諮儀相談された。

当時の群臣は才力も見識も遠くを見抜くことができず、深く儒家の先王の道ともとめた。

古今に通ずる宜しい処置を知って、聖徳明智の高祖の御心を推し広め明らかにした。

この仏教の弊害を救うことができなかったため、その事は遂に取り止めになった。

私は平素これを残念に思っていた。

云亭 

(訳注) (7)#5

高祖始受隋禪,則議除之。

唐の高祖皇帝がはじめて隋からの禅譲を受けて天子の位に即かれたときには、この仏教を除き去ろうと諮儀相談された。

高祖 李淵、618年、5月帝を称した。

 

當時群臣材識不遠,不能深知先王之道、

当時の群臣は才力も見識も遠くを見抜くことができず、深く儒家の先王の道ともとめた。

材識 才能見識。

不遠 遠くを見通すことがなかった。短見。

 

古今之宜,推闡聖明,

古今に通ずる宜しい処置を知って、聖徳明智の高祖の御心を推し広め明らかにした。

古今之宜 古今を通ずる宜しい処置。宜は義に通ずる。正しくよい行い。

推闡 推しひろめあきらかにする。

 

以救斯弊,其事遂止。

この仏教の弊害を救うことができなかったため、その事は遂に取り止めになった。

 

臣常恨焉。

私は平素これを残念に思っていた。
甘粛省-嘉峪関