韓愈(韓退之)《路傍堠》韓愈の屋敷へいきなり役人が来て、その場で出発を催促するのであった。そして韓愈が出て行ったあとで、家族も長安から追放の処分を受け、韓愈のあとを追って旅に出た。

2013年12月26日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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班孟堅(班固)《西都賦》(36)#14-2 文選 賦<112―36>18分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩990 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3498 (36)#14-2
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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《路傍堠〔元和十四年出為潮州作〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <903>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3499韓愈詩-228-#2
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ731 《送竇九歸成都〔草堂逸詩拾遺〕》 蜀中転々 杜甫 <638>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3500 杜甫詩1000-638-894/1500〔草堂逸詩拾遺-(7)〕
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ235 《九辯 第三段》 宋玉 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3501 (12/26)
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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
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《路傍堠〔元和十四年出為潮州作〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <903  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3499韓愈詩-228-2

 

 

本気で韓愈を死刑にしたがっていたわけではない、たてまえであって、裴度たちのとりなしを受け入れた形で韓愈の死刑を免じ、かわりに潮州へ流すこととしたのだ。形式上は潮州刺史に任ずる旨の辞令を出し、都から追ったのである。潮州は今の広東省に属し、福建省との境に近い海岸の町で、当時においては未開野蛮の土地である。

その辞令が出たのは元和十四年正月十四日のことで、実質上は流罪なのだから、とりあっかいも罪人なみとなることは、やむを得ない。韓愈の屋敷へいきなり役人が来て、その場で出発を催促するのであった。そして韓愈が出て行ったあとで、家族も長安から追放の処分を受け、韓愈のあとを追って旅に出た。十二歳になる四女の挐はたまたま病中であったが、これも病床に残ることは許されず、ともに旅へと出たのであった(この娘はついに旅の途中で死んでしまい、韓愈の一行はその遺体を道はたに仮埋葬して、旅を続ける)。杜甫が『三吏三別』、秦州紀行、同谷紀行、成都紀行と綴ったように、韓愈は詠っている。

 

ここでは『嶺南行』として整理、カテゴリーとする

(1)『路傍堠』〔元和十四年出為潮州作〕

(2)『過南陽』〔元和十四年出為潮州作〕

(3)『瀧吏』〔元和十四年出為潮州作〕

・・・・・。

 

年: 元和十四年  819  52 

卷別: 卷三四一  文體: 五言古詩 

詩題:路傍堠〔元和十四年出為潮州作。〕

及地點:  㶚水駅・藍田の

 

路傍堠〔元和十四年出為潮州作。〕 #1

(路傍の道標として堆く盛り土をしている)#1

堆堆路傍堠,一雙復一隻。 

路傍の道標として堆く盛り土をしているのが「堠」である。一対になっているのが十里で、一隻は五里であって、五里ごとにつづいているのである。

迎我出秦關,送我入楚澤。 

この度の長安を出て㶚水の関所を抜けたら五里塚が迎えてくれ、見送ってくれると、秦嶺の山を越えて雲霧澤に続く平野にはいるのである。

千以高山遮,萬以遠水隔。 

振り返ってみればもう千個の道標塚も過ぎ、これを高山まで設置することで遮断されたように感じられ、、万個過ぎたら、遠水さえも隔離されたように感じられるのである。

#2

(路傍の道標として堆く盛り土をしている)#2

吾君勤聽治,照與日月敵。 

我が皇帝陛下は努めて政務を能くお聞きになられおり、その帝の聖徳は太陽と月とがあまねく照らされるのと同様に隅々まで行き届いたお恵みをお与えになっている。

臣愚幸可哀,臣罪庶可釋。 

さすがにこの臣下である私の愚鈍さを気の毒に思召され、丞相へのお怒りの罰はどうやらご赦免になろうかと、ここから潮州に行くもののこい願うことなのである。

何當迎送歸,緣路高歷歷。 

どうかお許しになって必ず長安に帰ることになってこの送ってくれた道標塚にお迎えをされることになるだろうか、そして、再びこの街道路の景色に沿うて、この塚が高く歴々と並んでいるのを見たいものである。

 

路傍の堠【こう】〔案:元和十四年出為潮州作。〕

堆堆【たいたい】たり路傍の堠,一雙復た一隻【いっそう】。 

我を迎えて秦關を出で,我を送って楚の澤に入る。 

千は高山を以って遮られ,萬は遠水を以って隔つ。 

 

吾が君 勤めて治を聽く,照は日と月とを敵す。 

臣の愚 幸いに哀れむ可く,臣の罪 庶わくば釋【ゆる】す可し。 

何ぞ當に歸るを迎送し,路に緣【よ】って高く歷歷たらむ。 

 泰山の夕日

 

 

『路傍堠』 現代語訳と訳註

(本文) #2

吾君勤聽治,照與日月敵。 

臣愚幸可哀,臣罪庶可釋。 

何當迎送歸,緣路高歷歷。 

 

(下し文)

路傍の堠【こう】〔元和十四年出為潮州作。〕 #2

吾が君 勤めて治を聽く,照は日と月とを敵す。 

臣の愚 幸いに哀れむ可く,臣の罪 庶わくば釋【ゆる】す可し。 

何ぞ當に歸るを迎送し,路に緣【よ】って高く歷歷たらむ。 

 

(現代語訳)

(路傍の道標として堆く盛り土をしている)#2

我が皇帝陛下は努めて政務を能くお聞きになられおり、その帝の聖徳は太陽と月とがあまねく照らされるのと同様に隅々まで行き届いたお恵みをお与えになっている。

さすがにこの臣下である私の愚鈍さを気の毒に思召され、丞相へのお怒りの罰はどうやらご赦免になろうかと、ここから潮州に行くもののこい願うことなのである。

どうかお許しになって必ず長安に帰ることになってこの送ってくれた道標塚にお迎えをされることになるだろうか、そして、再びこの街道路の景色に沿うて、この塚が高く歴々と並んでいるのを見たいものである。

 

(訳注)

路傍堠〔元和十四年出為潮州作。〕 2

(路傍の道標として堆く盛り土をしている)#2

漢文委員会紀頌之タイトル002 

吾君 勤聽 ,照與 日月

我が皇帝陛下は努めて政務を能くお聞きになられおり、その帝の聖徳は太陽と月とがあまねく照らされるのと同様に隅々まで行き届いたお恵みをお与えになっている。

「聽治」天下の政を聞くこと。

・照與 日月  善き皇帝派たいようとつきのようにすみずみまでてらすということ。

 

臣愚 可哀 ,臣罪 可釋

さすがにこの臣下である私の愚鈍さを気の毒に思召され、丞相へのお怒りの罰はどうやらご赦免になろうかと、ここから潮州に行くもののこい願うことなのである。

「幸 可哀」憐れんでくださることが出来るならば幸福だ。気の毒に思召され。

「臣罪」韓愈が『論佛骨表』を上奏したことによって皇帝が大いに怒って、死罪を言い渡されたが、許されて潮州刺史に貶められたことを言う。

 

何當迎送 ,緣路 歷歷

どうかお許しになって必ず長安に帰ることになってこの送ってくれた道標塚にお迎えをされることになるだろうか、そして、再びこの街道路の景色に沿うて、この塚が高く歴々と並んでいるのを見たいものである。

「迎」塚が迎えてくれる。

「送」塚が、送ってくれる。

「歸」長安に歸ってくること。。

「緣路」帰る時の同じ街道沿いの景色。
DCF00212