《潮州刺史謝上表》(12) 唐朝の第2代皇帝太宗、李世民が天下を太平にされましたが、その大功の立ったわけは、みな高祖の御代にありました。それは陛下が天宝の乱後を承けて、長いしきたりに因り従った後をうけついだことです。六、七十年の後に、かがやかしく盛んに立ち上がられた。

2014年2月5日 の紀頌之5つのブログ
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《潮州刺史謝上表》(12)韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <944  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3704韓愈詩-242-(12)

 

 

(11)8-1

陛下即位以來,躬親聽斷;

陛下は御即位以来、御自身で政事を聴いて裁断を下されます。

旋乾轉坤,關機闔開;

あれほど危かった天下をもとどおりにかえされ、地を正しい位置に転じ、全く旧来と一変し、その万物生々のからくりの動きが、或いは閉じ、或いは開いて順調に活動するように政治を運用なされた。

雷厲風飛,日月所照;

あれほど危かった天下をもとどおりにかえされ、地を正しい位置に転じ、全く旧来と一変し、その万物生々のからくりの動きが、或いは閉じ、或いは開いて順調に活動するように政治を運用なされた。

天戈所麾,莫不寧順;

天の振るうほこともいうべき陛下の軍隊のさしまねくところ、天下に安らぎ順わないものはない。

大宇之下,生息理極。

大いなる天のもと万人万物の生息する秩序が平安で「太平の治」はここにその極致に至ったのであります。

 (12)#8-2

高祖創制天下,其功大矣,而治未太平也;

唐の高祖李淵がはじめて天下を支配されて、その功は大きかったのですが、しかもその治はまだ太平ではなかった。

太宗太平矣,而大功所立,鹹在高祖之代。

唐朝の第2代皇帝太宗、李世民が天下を太平にされましたが、その大功の立ったわけは、みな高祖の御代にありました。

非如陛下承天寶之後,接因循之餘,

それは陛下が天宝の乱後を承けて、長いしきたりに因り従った後をうけついだことです。

六七十年之外,赫然興起,

六、七十年の後に、かがやかしく盛んに立ち上がられた。

南麵指麾,而致此巍巍之治功也。

南面して皇位につき天下にさしずをなさって、この高大な政治の手柄を得られたようなのではありませんでした。

 (13)#8-3

宜定樂章,以告神明,

東巡泰山,奏功皇天,

具著顯庸,明示得意,

使永永年代,服我成烈。

 

(11)8-1

陛下 即位 以來,躬 親【みづか】ら聽斷【ちょうだん】す。

乾を旋【めぐ】らし坤を轉じ,關機 闔開【こうかい】す。

雷厲【らいれい】風飛し,日月 照る所なり。

天戈【てんか】麾【さしまね】く所,寧順【ねいじゅん】ならざるは莫し

大宇の下,生息の理 極まれり。

(12)#8-2

高祖 創めて天下を制す,其の功大なり。

而れども 治 未だ太平ならざるなり。

太宗は太平なりき、而れども大功の立つ所は,鹹【みな】高祖の代に在り。

陛下が天寶の後を承け,因循の餘を接【う】け,

六七十年の外,赫然として興起し,

南麵【なんめん】指麾【しき】して,而れど此の巍巍【きぎ】の治功を致すが如きに非らざるなり。

(13)#8-3

宜しく樂章を定めて,以て神明に告ぐ。

東のかた泰山を巡りて,功を皇天に奏す。

具【つぶ】さに顯庸【けんよう】を著し,明らかに得意を示す。

永永 年代をして,我が成烈に服せ使むべし。

終南山06 

 

『潮州刺史謝上表』現代語訳と訳註

(本文)(12)#8-2

高祖創制天下,其功大矣,而治未太平也;

太宗太平矣,而大功所立,鹹在高祖之代。

非如陛下承天寶之後,接因循之餘,

六七十年之外,赫然興起,

南麵指麾,而致此巍巍之治功也。

 

(下し文) (12)#8-2

高祖 創めて天下を制す,其の功大なり。

而れども 治 未だ太平ならざるなり。

太宗は太平なりき、而れども大功の立つ所は,鹹【みな】高祖の代に在り。

陛下が天寶の後を承け,因循の餘を接【う】け,

六七十年の外,赫然として興起し,

南麵【なんめん】指麾【しき】して,而れど此の巍巍【きぎ】の治功を致すが如きに非らざるなり。

 

(現代語訳)

唐の高祖李淵がはじめて天下を支配されて、その功は大きかったのですが、しかもその治はまだ太平ではなかった。

唐朝の第2代皇帝太宗、李世民が天下を太平にされましたが、その大功の立ったわけは、みな高祖の御代にありました。

それは陛下が天宝の乱後を承けて、長いしきたりに因り従った後をうけついだことです。

六、七十年の後に、かがやかしく盛んに立ち上がられた。

南面して皇位につき天下にさしずをなさって、この高大な政治の手柄を得られたようなのではありませんでした。

韓愈の地図01 

(訳注) (12)#8-2

高祖創制天下,其功大矣,而治未太平也;

唐の高祖、李淵がはじめて天下を支配されて、その功は大きかったのですが、しかもその治はまだ太平ではなかった。

○高祖 李淵は、唐の初代皇帝。隋末の混乱の中で長安を落として根拠地とし、恭帝侑を隋の正統として立てたうえで、その禅譲により唐を建国した。 李淵の出自である隴西李氏は、史書では西涼の武昭王の末裔で、隴西郡成紀県を本貫とする漢民族ということになっている。

 

太宗太平矣,而大功所立,鹹在高祖之代。

唐朝の第2代皇帝太宗、李世民が天下を太平にされましたが、その大功の立ったわけは、みな高祖の御代にありました。

○太宗 李世民は、唐朝の第2代皇帝。高祖李淵の次男で、兄の李建成を殺害し皇帝に即位した。唐王朝の基礎を固める善政を行い、中国史上最高の名君の一人と称えられる。

 

非如陛下承天寶之後,接因循之餘,

それは陛下が天宝の乱後を承けて、長いしきたりに因り従った後をうけついだことです。

○大宅之後 天宝十四年安疎山の乱の後。

○因循 困りしたがう。前からのしきたりに従って改めない。

 

六七十年之外,赫然興起,

六、七十年の後に、かがやかしく盛んに立ち上がられた。

○六七十年 安史の乱755763年、この上奏文の時期は819~820年で6465年である。

○赫然 かがやかしい。

 

南麵指麾,而致此巍巍之治功也。

南面して皇位につき天下にさしずをなさって、この高大な政治の手柄を得られたようなのではありませんでした。

〇南麵 宮中で天子の座位について南面して臣下にのぞむ。

○巍巍 高大の形容。
杏の白花01