韓愈(趙德君と別れる)私が初めて潮州に左遷された時、君はそれに先立って、掲揚にいた。潮州は長安を去ること、万里以上もあり、まことに僻遠の偏地である。そんな小さな城郭の中に、君のごとく共に語るに足る人がいることは、まことに予想せぬことである。心を平穏にして行いを高くするそして、詩経と書経の両經に精通していて、立派に学問の根底ができている。


2014年2月9日 の紀頌之5つのブログ
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●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
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《別趙子》#1韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <948  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3724韓愈詩-243

 

 

作時年: 819  元和十四年  52

卷 別: 卷三四一  文體: 五言古詩 

詩 題: 別趙子〔趙子名德,潮州人。愈刺潮,德攝海陽尉,督州學生徒,愈移袁州,欲與俱,不可,詩以別之。〕 

作地點: 揭陽(嶺南道東部 / 潮州 / 揭陽) 【案:揭陽,漢縣,屬南海郡,至唐為湘州。】

及地點:  揭陽 (嶺南道東部 潮州 揭陽) ・袁州 (江南西道 袁州 袁州) 別名:宜春 【案:袁州。】    

交遊人物/地點: 趙德當地交遊(嶺南道東部 潮州 揭陽)

 

 

別趙子

(趙德君と別れる)

〔趙子名德,潮州人。愈刺潮,德攝海陽尉,督州學生徒,愈移袁州,欲與俱,不可,詩以別之。〕

(趙子 名は德,潮州の人。愈 潮の刺たりしとき,德 海陽尉を攝し,州學の生徒を督す。 愈 袁州に移るとき,與に俱せんと欲すも,「可ならず」,詩以て之と別る。)

我遷於揭陽,君先揭陽居。

私が初めて潮州に左遷された時、君はそれに先立って、掲揚にいた。

揭陽去京華,其里萬有餘。

潮州は長安を去ること、万里以上もあり、まことに僻遠の偏地である。

不謂小郭中,有子可與

そんな小さな城郭の中に、君のごとく共に語るに足る人がいることは、まことに予想せぬことである。

心平而行高,兩通詩與書。

心を平穏にして行いを高くするそして、詩経と書経の両經に精通していて、立派に学問の根底ができている。

#2

婆娑海水南,簸弄明月珠。

及我遷宜春,意欲攜以俱。

擺頭笑且言,我豈不足歟。

又奚為於北,往來以紛如。

#3

海中諸山中,幽子【案:隱士也。】頗不無。

相期風濤觀,已久不可渝。

又嘗疑龍蝦,果誰雄牙鬚。

蚌蠃魚鱉蟲,瞿瞿以狙狙。

#4

識一已忘十,大同細自殊。

欲一窮究之,時屢謝除。

今子南且北,豈非亦有圖。

人心未嘗同,不可一理區。

宜各從所務,未用相賢愚。 

 

(趙子に別る)

我れ揭陽【けいよう】に遷り,君は先づ揭陽に居る。

揭陽 京華を去る,其の里 萬有う餘。

謂わざりき小郭の中,子が與にしむ可き有らんとは

心 平らかにして行い高し,兩つながら詩と書とに通ず。

 

海水の南に婆娑とし,明月の珠を簸弄【はろう】す

我が宜春【ぎしゅん】に遷るに及び,意 攜えて以って俱にせんと欲す。

頭を擺って笑い且つう言,我 豈に足らざらん歟【や】。

又 奚【なん】ぞ北に為さん,往來 以て紛如【ふんじょ】たり。

 

海中 諸山の中,幽子 頗ぶる無きにあらず。

風濤の觀を相い期し,已に久しくして渝【かわ】る可からず。

又 嘗て疑う 龍蝦【りょうか】,果して誰か牙鬚【がしゅ】に雄なる。

蚌蠃【ぼうら】魚鱉【ぎょべつ】の蟲【ちゅう】,瞿瞿【くく】以て狙狙【そそ】たり。

 

一を識って已に十を忘る,大は同じゅうして細は自ら殊【こと】なれり。

一たび之を窮究せんと欲す,時 【しばし】ば謝除【しゃじょ】す。

今 子 南し且つ北す,豈に亦た圖ること有るに非らざらんや。

人心 未だ嘗て同じからず,一理もて區す可からず。

宜しく各【おのお】の務むる所に從うべく,未だ相い賢愚【けんぐ】するを用いず。  

韓愈の地図01 

『別趙子』 現代語訳と訳註

(本文)

別趙子

我遷於揭陽,君先揭陽居。

揭陽去京華,其里萬有餘。

不謂小郭中,有子可與

心平而行高,兩通詩與書。

 

(下し文)

(趙子に別る)

我れ揭陽【けいよう】に遷り,君は先づ揭陽に居る。

揭陽 京華を去る,其の里 萬有う餘。

謂わざりき小郭の中,子が與にしむ可き有らんとは。

心 平らかにして行い高し,兩つながら詩と書とに通ず。

 

(現代語訳)

(趙德君と別れる)

私が初めて潮州に左遷された時、君はそれに先立って、掲揚にいた。

潮州は長安を去ること、万里以上もあり、まことに僻遠の偏地である。

そんな小さな城郭の中に、君のごとく共に語るに足る人がいることは、まことに予想せぬことである。

心を平穏にして行いを高くするそして、詩経と書経の両經に精通していて、立派に学問の根底ができている。

 

(訳注)

別趙子

(趙德君と別れる)

趙子 趙德に當たる。蘇東坡『潮州韓文公廟碑』に進士とあるから、郷貢進士であったひと。

紅蓼00 

我遷 於揭陽 ,君先 揭陽

私が初めて潮州に左遷された時、君はそれに先立って、掲揚にいた。

「揭陽」 (嶺南道東部 / 潮州 / 揭陽) 揭陽は漢の縣で,南海郡に屬す,唐に至りて湘州の治と為す。廣州記に言う、「大庚,始安、臨賀、桂陽、揭陽を五嶺と為す。」五嶺(湖南から福建広東にある山、大庚・始安・臨賀・桂陽・掲陽の五嶺山脈)西から東の順に、越城嶺(えつじょうれい)、都龐嶺(とほうれい)、萌渚嶺(ほうしょれい)、騎田嶺(きでんれい)、大庾嶺(だいゆれい)の五つの山並みが組み合わさっているためこの名がある。唐朝の宰相・張九齢が大庾嶺を切り開いて「梅関古道」を築いて以後、嶺南地区の開発がようやく進んできた。また古代以来の中国の統治者たちは南嶺を行政区画を作る上で利用してきており、南嶺は諸省区の境界線および辺縁の地となってきた。

 

揭陽 京華 ,其里 有餘

潮州は長安を去ること、万里以上もあり、まことに僻遠の偏地である。

「揭陽」地名、行政地名、揭陽。

「京華」京師。 都、長安。

「萬有餘」荘子逍遥遊編「衆人皆有餘」に基づく。

 

不謂 小郭 ,有子 可與

そんな小さな城郭の中に、君のごとく共に語るに足る人がいることは、まことに予想せぬことである。

「小郭」小さな城郭。

「可與樂活動、樂。 詩経 鄭風「聊可與」とある。

 

心平 而行 ,兩通 與書

心を平穏にして行いを高くするそして、詩経と書経の両經に精通していて、立派に学問の根底ができている。

「心平而行高」、心神氣力の狀態をいう。

「兩通」両經に精通する。立派に学問の根底ができている。

「詩與書」詩經と尚書(書経)。
2蜀の山00